司平さんは、1946年に生まれました。
お母さんのお腹にいるとき、富山は空襲を受けました。
「生きているのが辛い」と言ったお母さんを、お姉さんが励まして、
司平さんは疎開先の小屋で生まれたそうです。
小学校2年生の時に、ピアノのじょうずな佐々木先生と出会います。
先生は、やんちゃでどうしようもなかった司平さんに、
「うめちゃん、歌ってごらん」と居場所を作ってくれたそうです。
そこからだんだん歌が好きになり、自分のことも好きになり、
音楽で身を立てようと思い始めます。
お兄さんたちに「おまえ、そんなもんで食っていけんがかよ?」
と言われても諦めず、ギター一本で歌い続けました。
シャンソンを歌いながら、1971年より音楽活動を始めます。
1979年、CBSソニーオーディション関東甲信越代表となり、
1980年ソニーより全国デビューを果たします。 しかし、
メジャーとはほど遠く、歌の原点に返ることを余儀なくされます。
2003年、NHKラジオ深夜便「こころの時代」出演。(聞きました!)
2008年、キングレコードより再デビュー。
同年、講談社より「売れない歌手でよかった」刊行。(読みました!)
シンガーソングライターとして、CD・アルバムを多数制作しました。
2021年には、デビュー50周年を迎えるという矢先、コロナ禍に
なり、司平さんは人前で歌うことができなくなり、ひとりでスタジオに
籠もり、機械操作も覚えながら、ギターを弾き歌いました。
それが「声の手紙~ここへおいで」です。(2020年9月20日)
2021年には、「ギターと歩む音楽人生~はじまりとこれから」
というDVDを発売しました。 (これが歌手生活50周年の記念です)
そして今年2022年、ついに7月と11月にホールに聴衆を集めて
歌うことができるようになりました。
同時に新曲を作り、「声の手紙Ⅱ~ありがとう~」がもうすぐ発売に
なります。(12月22日の予定)
ここには、佐々木先生を歌った「僕の先生」が入っています。
会場でも歌ってくださいました。
「蛍と月と半夏生」は新しい恋の歌です。
司平さんは、進化することを止めない人だと思います。
きっとまた会えることを信じてわたしもがんばっていきます!
梅原司平という人を知っていただきたくて書きました。
私自身は「折り鶴」という歌がきっかけで、司平さんを知ったのだったと思います。
戦争と平和ということを、子どもたちと一緒に考えているときにこの歌を知りました。
♪ 生きていてよかった それを感じたくて
広島の町から わたしは歩いてきた
悲しみを言葉に 苦しみを怒りに
傷ついた身体で ここまで歩いてきた
この耳をふさいでも 聞こえる声がある
この心閉ざしても あふれる愛がある
はばたけ折り鶴 わたしからあなたへ
はばたけ折り鶴 あなたから世界へ
♪ 生きていてよかった それを見つけたくて
長崎の街から わたしは歩いてきた
この胸の痛みを 歌声にたくして
焼け跡の下から わたしは歩いてきた
この耳をふさいでも 聞こえる声がある
この心閉ざしても あふれる愛がある
はばたけ折り鶴 わたしからあなたへ
はばたけ折り鶴 あなたから世界へ