16日の夜、3年ぶりの規模を縮小しない「五山の送り火」が行われました。
鳥居型
広沢の池に浮かぶ灯籠
山肌を火が走りゆく鳥居型 広沢の池に灯籠浮かび
(2016年12月号)
舟型
昨日の朝の熱は6度3分。
でも、咳と痰、胸の痛みが取れないため、レントゲンで調べてほしいなと思っていました。
朝から電話をかけて、診てもらう予約をしたいのですが、やっと通じた電話では
「午前中はもういっぱいになってしまったので、4時半にまたかけてください」
ということでした。
さて、4時半からの電話もなかなか通じず、30分以上休みなくかけ続けて、
やっと「何時になるかわかりませんが、連絡させていただきます」ということで、
待ち続けることに。
診察時間は8時で終わりのはず。
8時過ぎても連絡は来ませんでした。
でも、8時半を少し過ぎた頃、
「今からでも来ていただけたら、診察します」という電話が・・・。
「ええ、いいんですか?」
と、こちらが恐縮してしまいました。
大きな雷が鳴って、大粒の雨がバシャバシャ降る中を、夫の車で行きました。
裏口から二階に上げてもらい、診察室へ。
陽性判定をしてもらったときとは違う、ここが本来の診察室なんだなと
思う部屋でした。
「14日に解除になったんやね、まだ少しかかると思うよ」
と言われました。
聴診器を当ててもらって、なんだかそれだけで安心しました。
「音はきれいですね、レントゲン撮りましょう」と言われ、またほっとして。
胸の写真もきれいでした。
咳止めと痰を切る薬と解熱剤をもらって、9時前に帰ることができました。
その間、他の患者さんとは会わず、でした。
きっと準備ができたら電話をして来てもらう、
というふうにしているんだなと思いました。
医師は、私と同年配かなと思います。
毎日お疲れでしょうに、とても優しく親切にしていただきました。
看護師さんたちも、言葉遣いが丁寧で優しくて親切でした。
感謝でいっぱいです。
「ご親切にありがとうございました」と言って帰って来ました。
コロナが落ち着くまで、医療関係者の方々は命がけだと思います。
どうぞ、お気をつけてお仕事をしてほしいと思います。
きょうの潮流
戦意高揚をあおった戦時下のメディア。その過ちを二度と繰り返さないために、何をなすべきか。13日の「報道特
集」(TBS系)が重い課題に向き合いました。
▼カメラは、ロシアの侵略が続くウクライナへ。公共放送と民放が協力して、「団結ニュースマラソン」を同時放送する
同国。「ここで起きていることを国内外に伝える」。スタッフらの使命感です。
▼国防省の記者会見は、国民を鼓舞する言葉が続き、戦闘の成果が強調されました。軍の規制と言論の自由のせめぎ合
い。公共放送の30代の会長は「私にはニュース制作の権限はない。現場の判断だ。自分たちを守る唯一の方法はジャー
ナリズムの規範を順守すること」と。
▼番組後半では、でたらめの大本営発表に迎合していった日本の新聞の姿をとらえます。朝日新聞大阪本社に残された膨
大な写真。軍の作戦に関するものなどは自己規制して掲載不可に。
▼西日本新聞は、タブロイド判の「戦時版」まで発行していました。後に共産党の参院議員になる故星野力(つとむ)氏
は終戦時、編集局次長。大本営発表に、やりきれない思いを抱いていたことが氏のノートからうかがえます。
▼「だます側とだまされる側を結合させたのがメディア」と指摘するのは映画評論家の吉村英夫氏。だまされる側が戦果
を誇張する大本営発表に熱狂し、メディアは自らの意志で加担へ。戦争になだれ込んでいきました。戦後77年、過去を
忘れない、過去から学び、現在と未来に生かす。今、一人ひとりができることです。
(しんぶん赤旗より)