植物園の温室には、一カ所だけひんやりする部屋があって、
そこには高山植物が植えられていました。
いい色ですね!
明日は、歌会の場所を変えてやると連絡がきたのですが、
休もうと思います。
疲れてしまったのが、一番の理由です。
16日から、毎日出かけていましたから。
ヤクシマヒメヒカゲツツジ と書いてあります。
息子も5日からずっと仕事(16日は臨時に休みになりましたが)で、
あした、やっと休めます。
高貴な色をしています。
潮流 (4月24日)
一枚の写真から思いを巡らせる。その人は、どんな人生を歩んできたのか。なぜ死ななければならなかったのか。
▼フォトジャーナリスト・安田菜津紀さんの写真展「照らす 生きた証を遺すこと」(東京・新宿区で26日まで)
は、亡くなった人たちの無言のメッセージで溢れていました。▼展示の中心は東日本大震災。岩手県陸前高田市で
手話通訳をしていた安田さんの義母・佐藤淳子さんも、津波で犠牲になりました。最初に泥の中から見つかったのは
車。淳子さんは1カ月後、川の上流で発見され、4年後、医師だった義父も亡くなりました。▼短い解説に胸をつか
れます。淳子さんは、以前から津波注意報が発令した際、聴覚障害のある人の家に走る人だったといいます。この日
もそうだったのでしょうか。母の遺影を持って満開の菜の花の中にたたずむ息子・佐藤慧さんの写真が物悲しい。
▼安田さんが指針にしている義父の言葉があります。安田さんが撮影した”奇跡の一本松”の写真が新聞に掲載され、
その記事を見せに行った時のこと。義父は「あなたのように、震災以前の7万本の松と一緒に暮らしてこなかった人
たちにとっては、これは希望に見えるかも知れない。だけど、僕たちのようにここで生活してきた人たちにとっては
波の威力の象徴みたいに見えるんだよ」と。▼震災から10年。メディアがつくる美談に違和感を持ってきた安田さん。
「悲しみは乗り越えるべきものではない。悲しみを抱きながら歩むことに意味がある」。重い言葉です。
(しんぶん赤旗より)
病は疲れにつけ込みますからね。
来週もよろしくお願いします。
疲れがたまると、いろいろとだめですね!
今はコロナにかからないように、細心の注意を
はらわなくては、と思います。
ブログを書くときも間違いやすくなるし……。
さっきツツジの名前を直しました。