城陽人のフォトアルバム

季節の移ろい、日々の情景、目に映る景色、町並みの風情や、カメラに映った画をそのままに貼り付けてゆきたいと思っております。

MIHO MUSEUM春季特別展と近江八幡水郷めぐり

2022年04月12日 | 旅行
今年初めてとなる旅行は
コロナウィルス第6波、蔓延防止処置が解除明けとなる、
4月9日で、この春1番の陽気に誘われてお出掛けできました
最近はコロナの影響もありますが、地元新聞社の日帰りバス旅行です
 
柄にもなく美術鑑賞と、屋形船遊びです
近江の旅をお楽しみください
 
京都駅前をバスで8:30に出発し・・・
名神、新名神高速道路を通り、新名神信楽斜張橋が向こうに見える県道16号、12号線を経てMIHO MUSEUMと向かいました
 
本当にこんな曲がりくねった山道の先にあるのかと思っていると、 MUSEUM駐車場に9:30頃到着しました。また、展示館に行くのに、左手の上り坂を約500mほど歩いて行かなければならないのですが、
でもこの通り、この春、最高の桜の見頃と暖かな麗らかな天候に恵まれ、道の両側に満開に咲く桜のお花見ができ、気分はハイテンションでした
 
え!何故と思うトンネルを抜けて展示館への道は続いています
 
トンネルの先は斜張橋になっており・・
 
振り返って見れば、斜張はトンネルに繋がっていました
 
何だかこんな山の中に近代的な直線的な文明が存在しているなんて、不思議な気がしました
 
その先に南北に長く繋がった美術館棟の入口が迎えてくれました
こちらの建物も幾何学的な近代的建造物でした
でも形は昔の日本建築・茅葺き屋根の古民家の形を成していて、丸窓を設えたノスタルジーを感じさせる落ち着いた建造物でした
 
入口を入り振り返ると、
天井もガラス張りで、設計者I.Mペイ氏の「自然と美術品」「伝統と現代」「東洋と西洋」の融合をテーマに自然を復元されていました
また、MUSEUMのテーマは「桃源郷」。道に迷った漁夫が仙境の楽園ー桃源郷を見つけ出すという中国の古典、陶淵明の「桃花源記」に描かれた物語をこの信楽の地に実現されたそうです
道理で山深い山中にある訳がようやく納得がいきました
 
まるで、六曲一双の屏風を見ているようです
この右手・北館が特別展棟で、左手・南館は常設展で、「エジプト」「西アジア」「ギリシャ・ローマ」「南アジア」「中国・西域」に分かれ、創設者・小山美季子さんが40年にわたり蒐集された茶道具、神道・仏教美術、書画、陶磁器、漆器などの多彩な日本美術から、世界の古美術、約3000件のうち約250件の常設展示棟となっています
 
今回は日本の「懐石の器」が特別展となっておりましたが、撮影禁止となっており、紹介できなくて残念です
懐石料理の器に盛りつけた写真とともに、本物の器が並べられ、温められた石で空腹をしのぐお料理が懐石料理であるとのこと、その心を知った思いで、MUSEUMに別れを告げ、次の目的地に向かいました
 
次の目的地に向かう前に、丁度、昼食時でしたので、信楽焼名物の狸がお出迎えの、その名も信楽陶苑「たぬき村」で昼食を取りました
 
流石、近江の国、近江牛の「すき焼き」です
天ぷら、お刺身、旬の物、茶蕎麦、茶わん蒸し、香の物、デザートなどもついており、お腹一杯頂き、次の目的地へと参りましょう
 
やって来ましたのは、この旅の2つ目の目的地、「近江八幡水郷巡り」です
この水郷巡りは、ここと他にもあり、この東には「西の湖」巡りもあり、以前には「八幡堀巡り」も行きましたが、ここは初めてでした
それでは屋形舟に乗り込みましょう
 
今回は総勢38名で、5艘にそれぞれ分乗して乗り込みました
それでは80分の舟遊びを楽しみましょう
 
櫓を操る船頭さんです
櫓という、日本の文化がいまでも引き継がれているのですね
 
ここ北之庄近江八幡水郷巡りは「北の庄沢を守る会」が運営されています
 
水辺には種々の生き物が生息して、この杭には「川鵜」が止まってていました
 
こちらの桜堤には「青鷺」が餌を狙っていました
鳥はこの他に「鴨」「カイツブリ」「白鷺」なども生息し、川面には「にごろ鮒」「ブラックバス」などもいるようです
 
この枯れた背の高い植物は「葦(あしともよしとも読むようです)原」です
水路は一面の葦原の中を進みます
 
水路は細いところもあれば、池のようになっているところもあり、早春の肌に心地よいそよ風が吹き、舟のゆったりとした揺れが眠気を誘います
 
水路の両側はほとんど水田となっており、その水際は葦原になっております
こちらには「東屋」が見え、さしずめ中国の一服の水墨画の様相を呈しています
 
葦原が続き長閑な春の一時です
 
芦原は年に一度野焼きが行われるそうで、ここ水際は新芽が伸び春の息吹が聞こえてきます
その向こうは枯れた葦が黒く焼かれています
さらにその向こうは風の吹き具合により取り残され枯れたままの葦となっていますね
 
春の温かい日差しに精一杯枝を伸ばした桜の花がここぞとばかりに咲き誇っていました
 
負けじと菜の花も桜と共演をして頑張っておりました
 
人々に春を感じさせ、色を添える雪洞も添えられていました
 
 
この橋は皆様ご存じの時代劇に登場する橋、名前はないようですが、木造の橋です
 
水路には道が走っており、ところどころに橋が架かっておりました
 
こちらの橋の石垣ですが、石垣積みでは知名な大津日吉・穴太衆の「穴太積」です
 
こちらの橋の下には水郷の漁獲に使用される「ウナギ漁の仕掛け」です
細長いところを好むウナギの習性をうまく利用した竹の筒でした
 
水郷地帯の守り神として信仰のあった「よしの大龍神」の祠です
こちらの葦は大阪天満宮へ奉納されています
 
後ろの山は「繖(きぬがさ)山」
西国三十三箇所32番札所「観音正寺」のあるお山です
 
こちらは織田信長が築城した「安土城」のあったお山です
 
葦と櫓漕ぎ屋形舟とオールボートの対比がなんとも長閑で・・
 
桜の花が趣を添えています
 
「葦と和船」
静かな川面に鳥の鳴き声が聞こえてくるようです
 
舟遊びの余韻に浸りながら、水郷巡りに別れを告げましょう
 
現実に戻りやってきましたのは、「めんたいパーク」
昨年にオープンした新しいテーマパークです
何だかカルピスのイメージを思い浮かべてしまいます
 
「めんたいこ」のお出迎えです
 
製造ラインも見学できます
 
もちろん明太子製品のお買い物も
 
こちらでは即食べることもできます
 
そのイートインスペースも設けられています
 
こちらの人気の一つでもあるキッズパークは、幼い子供の遊び場もあり、子ずれには一日遊ぶことができるテーマパークのような遊び場となっています
 
もちろん屋外にも遊び場もあり、抜け目ありませんでした
 
そして若いカップルにはお洒落な「サンセットテラス」で恋を語ることもできます
夕日を眺めながら帰路に着きましょう
 
おしまい

「夕日が浦温泉で味わうカニ会席」日帰りツアー

2021年12月14日 | 旅行

何と、2019年OB会の日帰りミステリーツアー以来の、2年2か月ぶりの日帰り旅行です

新型コロナウィルスにより、会社のOB会の行事も中止になり、個人のお出掛けも自粛しておりましたが、ようやく出かけることが出来ました

地元新聞社主催の「夕日が浦温泉で味わうカニ会席」ツアーに出かけました

それではご覧ください

京都を8時半に出発し京都縦貫自動車道に乗り、2時間半、11時に着いた処は、京都丹後半島網野町・夕日が浦温泉「佳松苑」

お昼にはまだ1時間早いですが、早速今回のツアーのメインイベント、カニづくしのグルメ「カニ会席」を戴きます。今回何と冬の味覚の王者・カニを味わえるとあってか、バス2台、総勢81名の大所帯でした

ドカーンと真中に姿ズワイガニが1杯鎮座します

まずは、カニ刺しを戴きます

まあーなんと甘いこと・・

次は良い匂いと香りの焼きガニを戴きます

カニ鋤まで付いて、合わせてズワイガニ約2杯分の豪華版です

食べ終わったら甲羅が3杯分ありました?はて何故でしょう❓

お腹が一杯になったところで、温泉が待っています

お肌ツルツル効果の弱アルカリ性の温泉にゆったり浸かって、日常の”コロナ疲れ“を癒しました

露天風呂に解放感を味わい、カニと温泉を満喫しました

ロングビーチの夕日が浦の海が眺められます

残念ながら時間的にも天候的にも恵まれず、夕日は見られませんでしたが‥

本当はこんな絶景の夕日が眺められるようです。残念!

食事と温泉の後は腹ごなしにお土産を見に行きましょう

ここ丹後は何といっても松葉ガニ(ズワイガニ)でしょう

ここ「かにはん」はセルフで本格麴菌の甘酒の無料接待をされており1杯頂きました

流石にカニという名が付くお店、いろんな種類のカニがずらりと並んで、いっぱい売られていました

発砲スチロールに一杯詰め込まれた「生ずわいがにセット」もあります

生かにだけではなくお菓子になったお土産も豊富にあります

こちらのお土産屋・御菓子司屋さんはその名も「あん」

この季節「栗」が売りのようです

このお店の名物は「がちゃまん」のようですね

丹後名産「丹後ちりめん」の機織りの縁起の良い音「ガチャン!ガチャン!」に因んだ名前だそうです

お土産も手に入り、それでは丹後ちりめんというものを見に行きましょう

1時間ほど走り、着きました所は「丹後ちりめん歴史館」

昭和初期の織物会社の跡地を活用された施設で、織物特有のノコギリ型の三角屋根が印象的な建物です

昔懐かしい工場のノコギリ屋根ですね

中から見たらこんな感じです

本当に工場だったのですね

そこに展示と絹製品がずらりと販売されていました

この歴史館のシルクの歴史が説明されています。詳しくはお読みください

様々な絹織物にまつわる機械も展示されたり、現役で製造されている機械も並んでいました

ガチャン、ガチャンと音を立てていました

 

絹糸を撚糸にする機械ですね

西陣の織屋さんにあるような紋織りの機械のようです

上は手織りですが、こちらは動力織機のようです

蚕の繭から、生糸になるまでを展示されています

絹は高級品で、化繊が多く作られるようになってからは、押されて少なくなったようですが、300年の歴史を誇りにされてきたようですね

そして新しい時代への挑戦もされていて、力強いですね

そして「絹のめぐみ」を伝える思いを発信されています

シルクのタオルで美肌復活、絹を再発見され、製品にされています

その製品が販売され・・

まゆ(繭)も美肌効果があるようで、製品になっています

繭から作られたシャンプーもあります

絹糸でおられた布で、美術品ような作品です

丹後の産業の一端に触れ勉強になったところで、最後のスポットへ急ぎましょう

園部まで戻ってきました

ここは京都の名物菓子「八つ橋」の

試食とお買い物のできる「井筒八つ橋本舗新光悦」さんです

お菓子の名の由来になった「八つ橋倹校」と名前の由来が書かれています

こちらも試食が接待され、「夕子」の3種類の八つ橋を美味しく頂きました

このツアーを含め、サービス品として、3種類がセットされたお菓子の詰め合わせが販売されています

また季節ごとの品物も販売されていました

風情のある赤い野立ての傘と、床几に並んで、季節柄、クリスマスの時期でもあるので、飾り付けられたツリーを眺めながら帰途につきました

おしまい


「天美卵と野菜を楽しむビュッフェ」とパンケーキのランチ

2018年05月20日 | 旅行
 
今年3度目となる旅行は
前回、前々回と同様に日帰り旅行でした
今回もバスツアーで鳥取市の近く大江の郷ヴィレッジや
日本三大投入堂・不動院岩屋堂や
若桜街道の若狭宿や
第三セクター・若桜鉄道乗車旅でした
 
晴れたり曇ったりの空模様でしたが、 薄っすらと汗ばむ陽気で気持ち良い一日でした
それではご覧ください
 
 
 朝、7時30分に京都を出発し「宝塚北PA」でトイレ休憩
ここは今年3月に開通した新名神高速道路にあります。従来とは違った最新のおしゃれなPAだというので少し紹介したいと思います
 
 こちらは何だと思われますか?劇場か美術館の入口のようですが、唯の「トイレ」です
 
 ロボットの案内嬢がこのエリア内のことは何でも教えてくれます
 
 アトムとリボンの騎士がお出迎え
 
 「森のパン」が左手に
 
 「TURLY’SCOFFE」が右手に
 
EAT-INスペースも設けられ
 
 こんなおしゃれなシャンデリアが店内にぶら下がっています。まるでホテルのようです
さすがは宝塚歌劇のお膝元といった感じのPAでした
 
 さて最初の目的地鳥取県「大江の郷ヴィレッジ」に着きました
山間に突然現れたグルメを楽しむ施設のようです
 
 全面ガラス張りのシャープな外観、ガス灯のようなランプのついた煉瓦の門
 
 パンやスイーツなどのショップがずらりと並びます
 
 「コッコ砂像」が「天美卵」を猛ーアピールしています
 
八頭大江の郷自然牧場の一番の売りのようです 
 今回のメインはここでこの卵を使った野菜たっぷりのビュッフェ料理を戴きます
 
 こんな豪華なシャンデリアのフロアーで食事を楽しみます
 
 ローストビーフがテーブルにドーンと載っていていかにも美味しそうで、実際柔らかくて味わい深い一皿でした
 
 ヴュッフェスタイルのお料理も、お野菜たっぷりヘルシーな昼食で、これだけで満腹し、堪能しました
 
そしてこのパンケーキも売りで、ほんわかと柔らかく口どけ滑らかでした
 
 お食事を戴いた後はお買い物
あの「天美卵」あり・・
 
 チョコが載ったスイーツもアリ・・
 
 可愛い形や色に心動かされついつい手が出そうです
 
 パン好きの方には様々な種類がありこちらも目移りしてしまいます
 
 お腹も膨れウトウトとしている内に到着しました
鳥取県八頭郡若桜町「不動院岩屋堂(窟堂)」

日本三大投入れ堂として 大分県宇佐郡 龍岩寺、鳥取県東伯郡 三徳山とならぶ国の重要文化財にも指定されています

 大同元年(800年代)の創建といわれます
中世以前、妙見山神光寺の大伽藍の一部でしたが、天正九年に豊臣秀吉の因幡侵攻により焼失し、
このお堂だけが残ったといわれ、現在のお堂は鎌倉時代初期の源頼朝による再建と伝わります
 
こちらのお堂もすっぽりと崖の中に納まっています
 
 
 建立年代は解かりませんが、室町時代初期・南北朝時代の建立と推定されているようです

 
現在の建物は昭和30年から昭和32年にわたって復元修理され一部安永の修理以前の姿に戻されているようです

 
 本尊は、空海33歳の作と伝わる「黒皮不動明王」だそうです 
 
目黒不動と目赤不動とともに「日本三大不動明王」の一つとも云われます
 
 
お堂の奥には一体の地蔵菩薩さまがお祀りされておりました
 
 
 ここ若桜町は近くに氷ノ山有り若桜の町中の融雪の水路には鯉が泳いでいたのでしょう
 
 
 若桜道の駅にやて来ました
これからこの若桜街道の若桜宿を忍んで江戸とまではいきませんが「昭和」を散策します
 
 
立派な「西方寺」の鴟尾
 
 
お庭の名前で「澄圓庵」というらしい
 
 
芭蕉の「百年の気色越庭乃落葉哉(百年の景色を庭の落葉かな)」の句が手でなぞってみないと判らないほど浅く刻まれた蕉「翁碑」です
 
 
隣には三体のお地蔵さまがお祀りされています 
 
 
 先ほど遠くより眺めた鴟尾です

 
若狭街道の面影を残す昭和の街道筋なのでしょうか
 
 
山より清流が流れ 蔵通りには明治の大火を教訓に蔵が立ち並び防災の街並みが出来たようです
 
 
蔵の出入り口は通りには面しておらず、通りには小さな出入り口が設けられました
 
 
また、防災上蔵以外が建てられなかったため蔵ばかりが建ってしまったようです
 
 
 
 白黒のコントラストが絵も言われないですね
 
 
これが昭和の町並みと言うのでしょうか
 
 
「かりや」と云うのはこの地区特有の呼び名で、 家と道路の間に幅1.2mほどの庇がついた私道で豪雪地帯ならではの雁木のような柱が立ちアーケードの様な通り道になっていることを言う様です
 
 
建物の中は太い柱や梁が通っていて重厚な感じです
 
 
太い梁や何本もの梁が支えています
 
 
玄関の扉ですが入口全体が上には跳ね上がった珍しい構造になっています
通常は横にスライドするか、手前に引く構造が一般的ですがはじめてお目に掛かりました
 
 
 融雪水路には清流が流れ・・
 
 
 シダや水草の花も咲いておりました
 
 
全面格子窓です 。軒先には雪の重みを支える柱も見られます
 
 
 昭和の時代を象徴する「駄菓子屋」さん風の「おもちゃ館」です
 
 
 昔懐かしい駄菓子やおもちゃを見つけましょう
 
 
 古いのか新しいのかちょっと首をかしげるお菓子が並んでいました
 
 
 左下に「月光仮面」とは・・と解説がしてあり、これが一番昭和らしかったですね
 
 
 この辺りのおもちゃは復刻版のソフビのようですね
 
 
 細い小道には昭和レトロな民家が並んでいます
 
 
 散策の終着点はこれから乗車する第3セクター「若桜鉄道」始発の「若桜駅」でした
 
ディーゼル機関車の前にはSLでしょうか? 
 
. 
 以前は黒光りのするSLだったのでしょうが、今は観光客のために話題性のあるショッキングピンクに装飾されていました
 
 
 始発駅だからなのか客車が2両止められていました
 
 ところでこの若桜駅は登録有形文化財に登録されていて、9つもあります
このプラットフォームや駅本屋もその一つです
 
この写真の中に3つの指定文化財がありますが解かりますか?
手前の溝、実はこれ「流雪溝」と云って普通の溝じゃないんですね
2つ目は奥に見える黄緑色の「給水塔」蒸気機関車の水を補給する装置ですね
3つ目は チョットこの角度ではわかりにくいのですが「転車台」もそうです
 
その転車台です
 
早速乗車して昭和レトロを味わいましょう
 
車両はラッピングされ「昭和」と名付けられています
  
床や座席に木材を使って昭和の雰囲気を出しています
 
 
駅名表示板もショッキングピンクです
 
 
次の丹比(たんぴ)駅には最後尾に繋がっていた「車掌車」もありました
 
 
車窓から指さしているのは何でしょうか?
手前も道の向こうもそして山や畑もこの辺りは一面の「梨畑」でした。恐らく鳥取といえば「二十世紀梨」でしょう
 
 
 途中「隼(はやぶさ)」という駅を通過しました
実はこの駅あるマニアの「聖地」となっているのですがお判りでしょうか
知る人ぞ知るオートバイの名車スズキの「ハヤブサ」号が名前つながりでライダーの聖地となっているとのことでした
 
 
よく見れば乗車した先頭車両のラッピングに「隼」の文字がしっかりと描かれていました
車両右下にもはっきりと[SUZUKI]の文字も書かれていました
 ここ「郡家(ごうげ)」駅で下車し帰路につきました
 
今回はここまでです「おしまい」
 

六甲山ホテルで洋食コースランチと5万株のあじさい

2015年06月18日 | 旅行

某旅行社の日帰りバスツアーに参加しました

①神戸市森林植物園(5万株の世界のあじさい見物

②六甲山ホテル(洋食コースランチの昼食)

③六甲ガーデンテラス(六甲山から大パノラマの景色)

④布引ハーブ園

⑤大阪舞洲ゆり園(250万輪のゆり鑑賞

というコースで、紫陽花見学と、食事と六甲山からの大パノラマと、布引ハーブ園散策と、百合観賞を楽しんできました

この季節梅雨に入り曇り勝ちの空模様でしたが

この日だけは、晴れ間に恵まれ1日をリフレッシュしてきました

まずはご覧ください

最初に行きましたのは「神戸市森林植物園」です

入り口を入るとモニュメントがあり

生きた化石といわれる、メタセコイアの並木道もありました

6月という梅雨の季節柄、紫陽花の花を見に行ったのですが

まだこんな状態でした

もっと一面に、また、大輪の花を咲かせてるのを期待していたのですが

まだ蕾のものもありちょっと期待はずれでした

咲き切っておりませんでしたが、お楽しみください

時刻も京都を出てからちょうどいい時分時になっておりましたので

六甲山ホテルの洋食コースで昼食を頂きました

ホテルのレストランではなく

向かい側の神戸が一望できる展望レストラン「サウスロード」で頂きました

一応コース料理でしたが画像を取りそこないました

おなかが膨れたところで、六甲ガーデンテラスからの眺望を楽しみました

すっきり晴れていればすばらしい景色が見られたのですが

遠望はできなく残念でした

お次は表六甲ドライブウェイを下り

布引ハーブ園へと向かいました

今回はタイトルは紫陽花でしたが、お花の観賞がメインとなっておりました

ロープウェイから「布引の滝」も見え

神戸の町並も綺麗です

頂上には展望エリアにレストハウス、香りの資料館があり

ゆっくり見学しました

というのも、

ちょっと歩いて下って

ハーブ園等を観賞するには

ツアーだったので時間がありませんでした

せわしなく、ツアーは次の目的地、大阪舞洲ゆり園へ向かいます

今年で3年目だという、250万輪の「ゆり園」ですが

会場入り口はそれらしい雰囲気もなく

白いテントが見えるだけでしたが・・・

会場に入り「びっくり!!」

なんと圧巻のゆりの花尽くしの見事な、一面の花園でした

おっと!これは花びらが散った後の百合でした

百合の香りの人いきれに酔ってしまいました

「終わりよければ全て良し」

という事で満足な一日でした


名湯・秘湯 【温泉マニア】第一回≪桜の有馬温泉≫

2015年04月02日 | 旅行

 某旅行会社の温泉巡りツアーに参加しました

人気シリーズの企画で、昨年度に続き

今年度も4月より1年・12ヶ月

12回のシリーズにし、開催されます

全行程日帰りの入湯&ランチツアーです

今回はその第一回と云うことで

《桜咲く有馬温泉》と《大坂城桜鑑賞》へ行って来ました

入湯&ランチは『兵衛向陽閣』です

先ず着いた所は泉源の一つ「元湯古泉閣」

有馬温泉の泉源を最初に発見したのは、大已貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)と伝えられています。この二神が有馬を訪れたとき、3羽の傷ついたカラスが水たまりで水浴びしているのを見かけました。数日後、水浴びをしていたカラスは傷が治った姿をみて、大已貴命と少彦名命はこの水たまりが効能の優れた温泉であることを発見したと伝えられています

その先の「太閤橋」

日本三古湯の一つであり、林羅山の日本三名泉や、枕草子の三名泉にも数えられ、江戸時代の温泉番付では当時の最高位である西大関に格付けされた。名実ともに日本を代表する名泉の一つである泉質は湧出場所により異なり、それぞれ、湧出口では透明だが、空気に触れ着色する含鉄塩化物泉(赤湯)は「金泉(きんせん)」と呼ばれ、 それ以外の透明な温泉は「銀泉(ぎんせん)」と呼ばれています(ウィキペディアより)

橋の東側には「ゆけむり広場」

中央には湯けむりに見立てた滝、右手には有馬温泉を愛した太閤秀吉の像(新谷英子 作)が有馬川をはさんでねね像と向かい合っております

有馬の湯を愛した豊臣秀吉は、豪華な別荘「湯山御殿」を建て、正妻・北政所(通称ねね)や重臣たちを引き連れて再三有馬温泉を訪れました。秀吉は、千利休や津田宗及など名高い茶人とともに有馬の地で大茶会を行ったり、配下におさめた諸大名を招くなど、有馬温泉をもてなしや物見遊山の場としても頻繁に利用していました

 橋の下を流れる「有馬川・親水公園」

六甲川と滝川が合流する、有馬温泉の中心地の河川敷を公園にした親水エリアです。飛び石や人工の滝、ヒョウタンをかたどったせせらぎなどがあり、清流に触れながら散策でき、また、赤い欄干のねね橋などもあり、有馬温泉にゆかりのある太閤秀吉を彷彿とさせ、毎年夏にはイベント「有馬涼風川座敷」が開催されてます

行基は万病に効くと名高い有馬温泉のことを知り、一時期衰退した有馬温泉を建てなおしたことが知られ、「古今箸聞集」に行基菩薩はもろもろの病人を助けようと有馬温泉を病気平癒に利用し庶民に広められたようです

街の中心部でひときわ赤い欄干の「ねね橋」

 橋の袂の「ねね像」

有馬に別邸まで建てたねねは秀吉と金泉につかりしばしの戦乱を忘れるときを過したのでしょう

その橋の北に私たちの昼食と入湯の「兵衛 向陽閣」

700年の歴史と伝統が宿る有馬温泉の老舗旅館。
太閤秀吉公より兵衛の名を授かり、以来守り伝えたおもてなしの心と伝統の味、
そして名湯有馬温泉の湯を湛えた、有馬随一の悠々とした三つの大浴場でおもてなしされています

 それでは早速昼食を頂くことにしましょう

先付(さきづけ)とお凌ぎ?(お寿司)でしょうか

牛肉の時雨煮、蛍烏賊の添え物、菜物に蒟蒻載せ 

向付(むこうづけ)ー刺身/お造り・鱠

鯛、鮪赤身、青海苔、食花(蘭系) 

 焼き物・ー鉢肴

鰤照焼、焼卵、蛸、胡桃の鰹節合え、変わったところで赤色付き若瓢箪

 前菜(お凌ぎの場合も)

豆腐に刻み菜

煮物・ー強肴(しいざかな)

鯛、はまち、豆腐、芹、練物 

 これは何の類でしょうか?世界に誇る「神戸牛」。椀物、揚げ物は昼食のためかありません

 水菓子

苺の葛のジュレ掛け

後はご飯と香の物を頂き満腹しお腹が出ていました。ご馳走さま・・・ 

食事のあと、「金の湯」でご自慢の一の湯二の湯三の湯と3つある湯の内、一の湯に、あの広いお風呂を、本当に初めての経験ですが、独り占めで殿様気分を味わいながら、ゆったりと天国気分を味わってきました

湯上りはお土産探しに売店へ・・ 

 「兵衛向陽閣」オリジナルブランドの品々の数々

黒毛和牛しぐれ煮、黒毛和牛入りオリジナルカレー、米焼酎兵衛、手作りぽん酢等など

流石兵庫県、灘五郷の銘酒がずらり・・ 

 

そのど真ん中に「兵衛」が、今津・西宮・魚崎・御影・西郷の銘酒が並んでいます

 辛丹波・大阪屋長兵衛・山田錦・総花・夢楽

 有名な「有馬人形筆」

日本最古の歴史書「古事記」には、奈良時代、三十六代孝徳天皇がお妃宝皇女に御子がないのを嘆かれ、有馬温泉に逗留されたところ間もなく、めでたくご懐妊され、お生まれになったのが有間皇子であると記されています。
人形筆は、この故事にちなみ、室町時代に神戸の伊助という筆職人が創作したのが始まりとされ、古くから有馬の名物として、子宝授与の縁起物として作られてきました。

『有馬筆ひょいと出たる言のはも 人形よりはめづらしきかな』と、本居宣長が詠んだ歌も残っています。
中から豆人形がひょっこり顔を出す、手作りのかわいらしい人形筆。つややかな絹糸を一本一本手で巻いて、模様を織り成す美しさ!筆を持って書こうとすると、「ひょこっ!」と豆つぶほどの人形が顔を出すという可愛らしくも愛らしい「からくり筆」です。全工程手作業のこの筆は、書道用だけでなく、絵筆にも使えます。飾っても、とても綺麗ですよ。(有馬温泉 灰吹屋 西田筆店HPより)

 お土産も仕入れたので町をチョット近場だけ散策してみましょう

「有馬温泉観光総合案内所」でマップを仕入れて

有馬温泉観光総合案内所には、パンフレットをはじめとして、有馬温泉観光の情報が満載です。また、有馬温泉内のホテル・旅館の予約取次ぎや、JRバスの予約取次ぎもしていますので、有馬温泉にお越しの際は、ぜひ、立ち寄られては如何でしょう 

 

「ねね橋」から南に山に向かって登りになっている通りが「太閤通」と呼ばれていて、お店が並んでいる一番広い通です 

 「御所の坊」手前の物産店「若狭屋」を東に行くのがメインの散策ルートのようです

坂道を登って行きましょう。この両側とも木造ですが、何年続いているのでしょうか、3階建てになっています。びっくり!! 

 

 向こうにもその向こうにも3階建てが見えています。昔は全て旅籠屋さんではなかったでしょうか。趣があって好きな風情です

思わず振り返って見てしまいました 

三軒とも同じ時代に建てられたもののように思います 

 その角にも二階建てではありますが、今は薬屋さんになっていますが恐らく旅籠屋さんだったと思います。今は高層ホテルが林立しすっかり様変わりしているのでしょうね

 その角に有馬の湯「金の湯」がその存感を主張していました

有馬の名物湯、金泉が楽しめる外湯(市営の協同浴場)、古来から由緒ある元湯として歴史を刻んできた名湯です

「日本第一神霊泉」 

また、「銀の湯」もあり、同じく外湯(市営の協同浴場)です。神社やお寺が集まる寺町の界隈の雰囲気に合わせた、和風の佇まいの中に立っていますが、現在臨時休館中で開業日は未定と云うことでした

碑文は 「有馬温泉は優れた温泉で、効能は「温泉論」を読むと分かり、いざりも治って帰ります」と刻まれているそうです

その先、道は3方向に分かれ見所がありますので、是非散策されては如何でしょう。私はここで引き返します

 

「若狭屋」の前に戻ってきましたら、「曹洞宗善福寺」の庭園にしだれ桜が見事に咲いていました 

行基が開基し仁西が再興しました。この寺の聖徳太子像は国の重要文化財で鎌倉時代の作です。樹齢200年を超える一重のしだれ桜はイトザクラと呼ばれ、神戸市民の木に指定されています。伝わる大ぶりの茶釜は、阿弥陀堂の住職の頭の形を面白がった秀吉が、その形に似せて利休に命じて天下一与次郎に作らせたことから阿弥陀堂釜と名づけられました。毎年4月、桜祭りの後桜の茶会が開催されます。11月2日に有馬大茶会の献茶式が行われます。

集合場所に向かい太閤橋袂の建つ「増冨稲荷大明神」

看板には 「御祭神 増冨稲荷大明神  明治四十年十一月三日鎮座」とありました

  

橋の北西側に1本のしだれ桜が満開を迎え咲き誇っておりました 

  

 今年は開花が早くもう関西地方では満開の時期を迎えておりツアータイトルとおり《桜咲く有馬温泉》でした

桜に見送られて観楼の名所《大坂城》に向かいました

 着くなりワアーもう満開ではありませんか!! 

 丁度お城の真南でバスを降り、西側の玉造口より城内に入ります

外堀に映える桜です。もう花びらが水面に浮かんでいます 

 南外堀から桜越しに石垣と「一番櫓」を眺めています

 南外堀から西側に堀が巡っています

 外堀に映った一番櫓

南側の外堀沿いに満開になった桜並木 

 「玉造口」近くの「一番櫓」と南外堀と石垣

「玉造口」を入った所の鉄砲狭間の石垣

 近くで見ると石垣は意外に思えるくらい大きく感じました。また美しい直線で切られていました

おや!? この四角い穴は何でしょうね 

 振り返って見ればここに「多門櫓」があったようです

玉造門の左右に鉄砲狭間があったようです 

その西に「玉造口大坂定番屋敷跡」と「蓮如上人袈裟掛けの松」

大坂定番は玉造口守衛のほか京橋口定番と共に下級役人を統率し、大坂城代を補佐し西日本の支配にもたずさわりました

秀吉の築城以前の戦国時代、浄土真宗本願寺第八世蓮如上人は大坂城地に大坂御坊を作り、松の枝に袈裟を掛け宗門の繁栄を願いました。西側に「南無阿弥陀仏」の石柱が立てられるなど大坂(石山)本願寺時代の記憶をとどめる史跡として保護されています

 こちらは内堀ですが東側は水をたたえていますが、南側は空堀となっております。その理由は不明とのことです

内堀の空堀はこの辺り相当水面より高くなっています。この辺りは上町台地と呼ばれる所に辺り、北側の水面より相当高くなっているのが分かります

そこに天守へ続く「桜門」が設けられています。その南側には「豊国神社」と「修道館が」建てられています

今回は天守へは行かず「西の丸広場」へ行きましょう 

西の端に突き当たりました。突当りの北に「六番櫓」が見えます。その前に案内板が見えます 

 この辺りに、先ほど玉造口を入った所に案内板にあった「西本願寺推定地」があったようです

山科本願寺が焼き討ちされ、西山(大坂)本願寺が重要となり、寺内町に発展し大坂の町並みの原型となったようです

 その後、信長によりここを撤退し、跡地は秀吉により、大坂城が建設され大きく地形は変わり、さらに家康による大坂城大規模土木工事により正確な位置は確認されませんが、ここが推定地とされています

 内堀の空堀はこの当たり南から南西側までとなっています 

 この辺りは南西隅となります。堀を掘り下げるとしたら相当深く、また石垣もかなり高く費用がかさむことでしょう、だから空堀だったのでしょうか

それはともかく今回は桜を楽しみましょう 

突き当りを右(北)に「太鼓櫓跡」があった石垣です 

「大手門」近くだということがあるのでしょうか、石が大きく感じられます

振り返ると「南仕切り門跡」で、上の石垣の裏側、北面になります

門も櫓も徳川幕府の大坂城再築工事最終頃の寛永五年に建てられましたが、明治維新の大火により焼失しました

ここが「多門櫓」、「大手門」になります。桜が満開です

その北側に西の丸庭園は広がります

豊臣時代には多くの御殿が建ち並び、秀吉没後は北の政所が住み、慶長五年・関が原の合戦までは家康が住み 

 桜は内堀側に北へと並木となっています

徳川時代となり大坂城代が管理に当り、明治になり西の丸跡地、上代屋敷跡地を合わせ西の丸庭園となりました

 我々が行ったのはもう3時半を過ぎており花見客はほとんどおられませんでした。ただこの日は午前中小雨が降っており花見の宴会をされていた人達も少なかったようです

暫らくは桜の花を暫らく観賞下さい 

 

「京橋口」 

「焔硝蔵」

徳川時代城内に数ヶ所あった焔硝蔵ですが、たびたび建て直しなどありましたが、石造りで、屋根の下が土で塗り固められた蔵は例がなく、焔硝のほかにも武器弾薬が貯蔵されていたと云います

「大坂迎賓館」

太閤秀吉さんは有馬へ花見にも出かけ、京都の醍醐寺煮も花見行列などされ、たいそう花見など煌びやかな派手なお方のようですね。

今日のキーワードは「太閤秀吉」と「桜の花見」でした