城陽人のフォトアルバム

季節の移ろい、日々の情景、目に映る景色、町並みの風情や、カメラに映った画をそのままに貼り付けてゆきたいと思っております。

JOYO産業祭in2023

2023年11月04日 | 寺院参詣・散歩・ぶらり

城陽市に在住して40有余年、始めて参加した「JOYO産業祭」

今回で44回を迎える産業祭りを初めて体験しました

私が城陽市を知りましたのは、まだ城陽町でした

小学校の恩師がお住まいになったのが城陽町でした

その頃から知っていたこの街に移住し、家族が出来、

今や齢80歳、感慨深いものが込み上げてきます

そのお祭りに初めて参加した日の印象です

 

 

 

町のシンボル「文化パルク城陽」前に産業まつりのモニュメントが立ち、祭りを盛り上げています

この街の一番のモニュメント「プラメタリュウム」の文化パルクの前の駐輪場には市民の熱気を感じる自転車の行列群

市内の有名幼稚園のオープニンゲセレモニーの素敵なイベントが行われています

市内の主要産業城陽金銀紙を始め農業工業産物等のひしめくテント展示が所狭しと、韓国の姉妹都市「慶山通り」にずらりと並びます

老若男女が集まるこの祭りには城陽警察も参加し子供には白バイに招待し、

交通安全をアピールし、スタンプラリーにより、老人には詐欺被害にあわぬよう啓発をしていました

ステージを抜け出した「王様キングオージャーショーヒーロー」も子供達と触れ合って楽しんでいました

城陽市になった当時は、消防署も警察署もなかった町は、今では完備し交通事故に備えた輸血に備え「献血」を実施できるような態勢にもなっていました

37あるブースには子供たちのお楽しみにとスパーボールやお宝すくやゴルフパターといったを設えて、あらゆる産業に興味を持つようにイベントをしていました

と云ったところで、お腹がすいてきたのでイートインスペースで一服し、昔に帰りノスタルジーに浸りました

昔懐かしい「スマートボール」も健在でした

お祭りの露店は年寄りには何とも懐かしくノスタルジーの世界に引き込んで我を忘れ昔に戻れる世界ですね。なんだか締まらない終わり方でした。


ぶらり京都亀岡寺社巡り

2018年10月18日 | 寺院参詣・散歩・ぶらり

 

家にじっとしていて暇だったので

どこかで出掛けるかとということで

以前から気になっていた

京都・亀岡にある「大神宮」へと車で出掛けました

大神宮と言えば伊勢の「神宮」か出雲の「出雲大社」が思い浮かびます

この亀岡の大神宮は「出雲大神宮」でした

何故亀岡にお祀りされているのかちょっと不思議です

取り敢えずご覧ください

車で約1時間走り「大神宮」へと着きました 

末社でしょうか、お稲荷さんか弁天さんでしょうか?

 一の鳥居を潜ると本殿が見えてきます

1025年、日照りが続き農作物に影響が出た為、当宮の領家職西園寺家は留守所に仰せて雨乞いを祈祷されたところ、忽ち雨が降りその後

神威いよいよ顕らかになり、正応五(1292)年には正一位に昇られ
その間、国司巡拝の定着化を背景に、丹波国一宮となったそうです

この地は出雲大和両勢力の接点にあり、此処に国譲りの所由に依り祀られたのがこの神社だそうです

崇神天皇再興の後、社伝によれば元明天皇和銅二(709)年に初めて社殿を造営されました

それ以前は御神体は後方の御陰山だってようです

ご祭神は大国主命と三穂津姫命(ミホツヒメノミコト)の御二柱 (ミホツヒメノミコト)で

少那毘古名命(スクナヒコナノミコト)と共に国土経営に尽力され

その後、皇孫に国譲りの後、幽世(カクリヨ)を統治すべく、現在の島根県にある出雲大社に鎮座される事となったようです

社伝によれば、「元明天皇和銅年(709)、大国主命御一柱のみを島根の杵築の地に遷す。すなわち今の出雲大社これなり」と記されているようです

そのためか「元出雲」と呼ばれ信仰を集めていたようです

お馴染みの「大黒 恵比須社」蛯子大黒のお姿で祀られていました 

 

御神体山の御蔭山(みかげやま)から湧き出る霊水「真名井の水」 

 

夫婦和合の印の夫婦岩もお祀りされていました

夫婦岩をお参りして次へと向かいましょう

次に着いた寺の参道はごつごつした岩がゴロゴロ、ところが山門までの参道左右は名勝庭園だそうです

 そこに小さな祠が一つ、中には4体の石佛がお祀りされています

山門の脇には石佛と供養塔もお祀りされています

こちらは「龍潭寺」と号され、龍安寺(京都市)、龍興寺(南丹市)とともに臨済宗妙心寺派の三龍寺と呼ばれているとの事です

また時代劇のロケにも使われ紅葉の名所として有名で、ライトアップでも有名な所です

 

 立派な腰袴の鐘楼もありました

放生池には弁天堂がお祀りされています

あまり見かけない「経蔵」も建てられています

盧舎那仏とされているようですが、 お前立ちは何でしょか?

何かのお祭りの物でしょうか、ちょっと分かりません 

扁額には祈祷と彫られています 

そのお隣、右手の青巌塔(開山堂) 

 開祖、特芳禅傑禅師 (とくほうぜんけつぜんじ)像が中央にお祀りされております

本堂と右手は庫裏入口です

竜安寺僧・雪江(せっこうそうしん)が建てた大梅寺を起源とし、細川氏の庇護を受け特芳禅傑(とくほうぜんけつ)が明応年間に龍潭寺として開山されました

本堂の左手、経堂との間を入ってゆくと庚申堂が立てられています。奉られた青面金剛童子は病魔・悪魔を払う大威力を持つといわれ細川政元の念持仏だと云われています

本堂は拝観出来ませんでした 

 

 こちらは金銅仏ですが恐らく「釈迦如来」ではないでしょうか

傾いて今にも滑り落ちそうなお姿です。両手共施無畏の印をされているのでしょうかお別れに手を振ってられるようにも見えるので手を振ってお暇して次のお寺に向かいましょう

南に約15分ほどで「神蔵寺」に着きました

朝日山神蔵寺、なぜかお寺なのに朱に塗られた「みかえり橋」を渡ります 

開創1221年の歴史のあるお寺で、別名:佐伯薬師として親しまれて、毎年、紅葉、桜の季節には、ライトアップして、境内いっぱいが鮮やかな モミジや桜が咲き賑わうそうです

1200年の歴史 ある古刹ですが、明智光秀の丹波平定ために兵焚に罹り一宇を残さず焼亡してしまったそうで、残念ながら今はこの佇まいしか見られません

 もう少しすれば真っ赤に紅葉しそれは見事な錦秋に彩られるようです

小さな「八幡大菩薩」のお社がお祀りされていました

 

薬師堂(東方閣)には伝教大師最澄御自作と伝えられるお薬師様がお祀りされております 

仏堂伽藍塔頭が26院もあった大寺で源氏一門の崇拝が篤く隆盛を極めました。源 頼光(大江山・酒吞童子の鬼退治で有名)帰依の寺と云われ、頼政も帰依されたの寺でもあったそうです

 

平成8年に落慶されたようです 

 薬師堂前のお庭から眺めた境内ですが、紅葉が色付いたらさぞかし絶景となるのでしょうね

 皆さんこれは何だと思われますか

お寺の方に振舞って頂きましたのですが「ポポ(またはポポー)」と云うらしいのです。非常に珍しい果実です

でも明治に日本に入ってきたらしいのですが、アケビに似ていアケビガキとも呼ばれ味・感触はバナナに似ています

始めていただいて甘くて美味しいので、2つ頂いたので種(右の黒いのもの)を植えてみようと思っています

一番印象に残ったポポーを戴いてお暇しましょう

 帰途の途中に亀岡の有名な「コスモス畑」に出くわしましたが、こちらもまだ咲き始めで、満開にはちょっと早すぎました

また改めて出掛けましょうか。ちなみに今回行きました日は10月8日でした

おしまい


ある日の山城ぶらり歩き

2018年03月23日 | 寺院参詣・散歩・ぶらり

 散歩と云っては時間も距離も気にせず

行く先もなく、ただふらふらと

ひたすら城陽から南へと向かって

歩くのみでした

元々が街道歩きが趣味のようなものですので

目に触れた街道の趣や、古民家などを求めて歩いていました

どんな景色を目にしたのでしょうか?

ご覧ください

 

木津川を跨ぐ「京奈和道路」の100円橋を渡り南へと京田辺市へと来ていました

府道22号線を、西に向かう一休寺道の南に、以前から車では通り掛っていました

「棚倉孫(たなくらひこ)神社」が見えてきました

 

文政十年の常夜灯です

 

社務所の屋根には今は使われてはいないであろう「煙だし」がのっかています

 

野菜の瑞饋で屋根を葺いた神輿です

 

神社の由来とその瑞饋神輿の説明がされています

 

  

「五社殿」

お伊勢さんや、八幡さん、春日社(素戔嗚尊)と云ったそうそうたる神様がお祀りされています

 

 普通遙拝所と云えばお伊勢さんを指すようですが、ここは西を向いているから、恐らく八幡の「八幡宮」さんの遙拝所ではないでしょうか?

絵馬堂に武将の絵馬が掛けられています

 

 八幡大菩薩の旗印を持った武将です。武運を祈願されて奉納されたものでしょうか

こちらのご神体は神武天皇を救ったといわれる「天香古山命(あめのかぐやまのみこと)別名・高倉下命(たかくらじのみこと)」だそうで、強くなるように祈願されたのでしょうね

 

 

この神社は道より高いところにあり、その傍を川が流れ道路を跨ぐ天井川となっていました

西念寺の門前にそれぞれ格式のある美しい古民家二軒を通り過ぎると・・・

 

左手に料亭の善哉に「綴喜郡役役所跡」石碑が建っています。古代の役所跡だったようです

 

  

その向かい(西)に「2月堂」と彫られた石碑がありましたが一体何なんでしょう

裏側は丸くえぐられておりました。この南の方に普賢寺地区があり、そこにある観音寺(旧普賢寺)より奈良東大寺二月堂のお水取り行事の大たいまつにされる竹をこの辺りで送られるという行事があるにですが、何か関係があるのでしょうか?

 

 

この府道22号線沿いは多くの古民家が残され古を忍ぶことができ目を楽しませてくれます

 

 

また美しく保存されてられ大切にされているようです

 

 

国道307号線の京田辺市役所東の交差点に「鉾立之松」碑

 

 

朝鮮半島に出兵する神功皇后の軍勢が通られたの際、この「鉾立の松」と高木村の「鉾立の杉」の間に整列されたと伝えられているそうです

 

この交差点を越えた先の三差路に、これまた神功皇后ゆかりの「不違(たがわず)の池」

この左手の府道22号線は奈良から太宰府へと通じる古代の山陽道に重なるそうです

 

この右手に約700mにある「酒屋神社」縁起に神功皇后が行きに髪を洗い清め、帰りも必ず通ると約束をたがえなかったところからこう呼ばれるようになったそうです

 

古代へも思いがつながる街道風情です

 

 

古さの中にも新しさも入り込んで調和を保っているのでしょうか

 

 

日本建築の直線の美しさと、白黒のコントラストがキリリとした秩序を感じます

 

いつの間にかJR片町線の興戸駅近くやって来てしまっていました

ここは「防賀川」が上を跨ぐトンネルです。しかもこの川は天井川になっています。先に出てきました「棚倉孫神社」の天井川と同じです

 

 

線路の東にはお地蔵さまと事故で亡くなられたのか供養塔が数基お祀りされていました

 

 

興戸と云えば名門同志社大学田辺キャンパスがあり、雨の中今日は卒業式なのか振り袖姿の女子大生が足元を気にして足早に駅に向かっていました

 

 

静かな佇まいの街並みです

 

 

ぽつんと一つ不釣り合いな塀の傍に常夜灯が見えました。どこの神社の常夜灯かな?

 

 

こじんまりとしたそれでいて凛としたお寺が片田舎の街並みにも存在していました

三山木郵便局前の交差点に祠と何かの石碑が立っていましたが、どちらも詳細は解かりません

でも蔵と祠と石碑はなかなか趣のある取り合わせでした

 

 

さて、JR三山木駅前に出てきました。右手、西側は少し盛り上がった地形をしています。この辺りに古民家が集中して並んでおりました

 

 

その先三山木小学校手前に西へ入る道脇に「慈(?)ぼ観音 従是西一丁」と読める道標に従い行ってみましたが見当たらず

後で調べてみるとそれらしいところまで来ているのですが、ちょっと目線をあげれば見えたお堂らしき建物を見落としていました

 

直ぐ先に「佐牙神社」が見えました

 

 

創建は573年といわれ、酒造り発祥に関係があるとも云われます

 

 

朱に塗られた二の鳥居です。六脚になっていますね

 

 

境内には神社なのに「恵日寺跡」というお寺もあったようです。明治に廃仏毀釈により神社が残りお寺は無くなったたようです

 

 

佐牙彌豆男(さがやずつ)神(北殿)・佐牙彌豆女(さがずめ)神(南殿)をお祀りされます


 

 本殿は左右両殿同形式の二社あり重要文化財に指定されているようです

 

 飛鳥時代から平安時代に建てられた大寺院があったようで地名より「三山木廃寺」として知られているようです

 

 

古代の山陽道沿いの交通の要所だったようです

 

 

 椿の花が咲くいかにも日本の原風景といった風情です

 

 

 どうやら愛宕山?常夜灯のようです。何やら上にしめ縄状の輪になった藁が載せられておりますが、どんな意味があるのでしょうか?

 

 

 まー見事にアスファルトの間から芽を出した土筆ん坊です

 

 

 JR片町線に沿って南に下ると右手に灌漑用ため池が少し高いところにありました。古代よりずっと守られてきたようです

 

 

その先の小さな川に行き当たると、そこには鉄橋の遺跡が見つかりました

 

 

「煤(すす)谷川鉄橋跡」の案内板が立っておりました

太平洋戦争開戦当時に架けられた軍用鉄道だったそうです。戦争と平和を考える上での歴史的に遺産といえるのでしょうか

 

 

古い家並みはそこかしこに点在して風情を残していました

 

 鞍岡山若王寺という地元のお寺もあり・・

 

白と黒のコントラストが美しい虫籠窓の古民家や・・

 

 

なまこ壁の長屋門を構えた立派なお屋敷もある、この辺りは下狛と呼ばれる山里です

 

 

小高い山となっております

 

 

そこに「鞍岡神社」が見えました

先程、鞍岡山若王寺がありましたが、この山を鞍岡というのでしょうか

 

  

この石段を登ってゆきましょう。小高いと思っていたが意外と高いようです


 

二の鳥居と拝殿も見えてきました

 

  

おがたまの木と云って一円硬貨の図案になっているようです。あまり聞かない木ですね

 

 

割拝殿になっています

 

 

飛梅のように紅梅が美しく咲き誇っています

 

 

末社は多くありますがこちらには「道祖神社・猿田彦命」等がお祀りされております

 

 

この燈籠だけに「天満宮」と彫られていたので何故かと思っていたら、京都の北野天満宮より勧請された古来「鞍岡山天満宮」と呼ばれていた菅原道真をお祀りする神社と云うので納得

 

左の牛は解かりますが、右の馬は何を祈願されたのでしょうか?

 

菅原道真は学問の神様で、武士とどのつながりがあるのでしょう

 

 

 神社の前の通りはさながら古き時代の趣そのものです

 

 

電柱がなければもっと素晴らしい風情ですね

 

 

いつの間にかかなり南に来ていたようで、山手幹線を歩いていました

 

 

 相楽郡精華町役場に出てきました。この町は近年急速に都市化が進み、町の発展し近代的な街並みなっておりました

 

 

 その前を伸びる都市道路は都市計画により新設され、ショッピングモールも進出し新興都市化しておりました

 

 

 JR,近鉄の二つの交通機関も一体化した橋上駅となり、ターミナルの機能を果たしておりました

帰りは私鉄に乗り散歩はここでお終いです

 


京都洛西・紅葉めぐり<<大原野神社&勝持寺>>

2016年11月26日 | 寺院参詣・散歩・ぶらり

12年ぶりに京都・洛西「大原野神社」へ行ってきました

そのときも行きましたが、

すぐ隣に花の寺として有名な「勝持寺」にも寄りました

晩秋の暖かな日差しの中、紅葉が美しく輝いておりました

まずはご覧あれ

 

南に面した正面鳥居です 

 「鯉沢の池」 

 

 

「瀬和井(せがい)」 清和天皇の産湯と伝わり、和歌に詠まれています

結婚式の前撮りの光景が見られました

本殿の前にも前撮りです 

 こちらの神社の狛犬は珍しい「鹿」です(画像は加工しています)

 春日大社は平城京の東、古来より神山と崇められる御蓋山(みかさやま)の西麓に神護景雲2(768)年に鎮座し、政権を担う藤原氏にとってはまさに王城鎮護、国家鎮護の社でありました。かたや大原野神社は長岡京の西、小塩山の東麓に鎮座し、平安京遷都後も二十二社(にじゅうにしゃ・常に朝廷の殊遇を受けた社で、国家に重大事や天変地異のあるごとに使を遣わされて奉幣を受けた二十二の神社)に列し国家鎮護の社とされました。(大原野神社HPより)

 

 4つのお社からなっています

 この立派な樫の木のそばの紅葉が一番鮮やかでした

 

 池の周りの燈篭にも映えています

 次にお隣の「勝持寺」に向かい、山門を潜ります。唯一応仁の乱の戦火を逃れた建物らしいです

 竹林の中の細道を500mほど行きます

 

 途中の霊園前の紅葉でした

 こちらが「勝持寺」の門です

 それでは境内の紅葉をお楽しみください

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 石の祠にお祀りされている不動明王石仏です

 

 

 

 おしまい