2023年3月21日
北の地まで流れて、早4か月が経ちました。
オホーツクの生活にも漸く慣れてきました。
今日は住んでいる場所から比較的近くにある「オムサロ遺跡公園」に来てみました。
かつてオムサロ遺跡の周辺は、オホーツク海の砂州が伸びており、沼地が水をたたえ、豊富な魚介資源が満ち溢れていたと考えられているそうです。
恵まれた自然の中で擦文時代の人々はカマドのある竪穴住居に住み、鎌や鍬などの鉄器を植物も栽培していたそうです。
ですが、主としてサケ漁と山での狩猟、海や川、沼での狩猟をを中心とした暮らしが営まれていたそうです。
奈良・平安や鎌倉時代のころ、紋別ではアイヌの祖先にあたる人たちが、このような擦文文化の暮らしをしていたそうです。
ここではその頃の様子が再現されています。
北の地まで流れて、早4か月が経ちました。
オホーツクの生活にも漸く慣れてきました。
今日は住んでいる場所から比較的近くにある「オムサロ遺跡公園」に来てみました。
かつてオムサロ遺跡の周辺は、オホーツク海の砂州が伸びており、沼地が水をたたえ、豊富な魚介資源が満ち溢れていたと考えられているそうです。
恵まれた自然の中で擦文時代の人々はカマドのある竪穴住居に住み、鎌や鍬などの鉄器を植物も栽培していたそうです。
ですが、主としてサケ漁と山での狩猟、海や川、沼での狩猟をを中心とした暮らしが営まれていたそうです。
奈良・平安や鎌倉時代のころ、紋別ではアイヌの祖先にあたる人たちが、このような擦文文化の暮らしをしていたそうです。
ここではその頃の様子が再現されています。
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