地図のない旅

地図を持たない行き当たりばったりの旅日記です。旅先で触れたこと、感じたことを写真を織り交ぜて綴っていきます。

3.11

2013-03-11 20:06:56 | ☆地図のない旅
東日本大震災のあの日から2年が経ちました。
ここ数日、その関係の報道番組も多いようですが、復興は遅々として進んでいないような気がするのはおいらだけでしょうか?

あの日2011年3月11日の事は、今でも鮮明に覚えています。
週末の金曜日でした。
旅立ちの予定を翌日に控え、仕事をしながらも気もそぞろで落ち着かない午後の職場でした。

14時46分、唐突に揺れが始まりました。
後々記録を調べると、揺れは6分ほど続いたらしいですが、その時は随分永い時間揺れていたように思えました。
揺れが収まってからラウンジのTVで、しばらく報道を見ていました。
次々と画面に映し出される被災地の様子...
津波に呑み込まれる街...
言葉を発することもできず、数時間の間、画面に見入っていました。

気が付くと、既に夕食の時間です。
報道で、電車がほとんど動いていない事が分かったので、今日は職場に泊り込むのを覚悟して夕飯を買いに行きました。
職場近くのコンビニに行くと、長蛇の列でおにぎりや弁当などは既に売り切れ。
パンも食パンですら売り切れ状態。
お菓子もほとんど無い状態でした。
辛うじて残っていたカップ麺3個と缶ビール4本、そして、さきイカや柿の種などつまみを数点買い込んで職場に戻りました。

そして、再びTVで報道を見続けました。
深夜になり、さすがに眼が疲れてきたので眠ろうとしましたが、色々な想いが頭を巡ってなかなか寝つけませんでした。
職場の会議用の椅子を3つ繋げて寝ていたので、それも寝付けない理由のひとつだったでしょう。

翌朝、9時前に駅に行ってみました。
報道によると電車も少しづつ動き始め、自宅の最寄駅までは無理のようですが途中までは行けそうでした。
まあ、そこから先は歩くしか無い訳ですが...。
駅に着くと、多くの人で混雑していて改札までも辿り着けません。
諦めて一旦職場まで戻りました。
どうするか考えていると、タクシードライバーをしているm3さんの事が思い浮かびました。
もしかしたら来て貰えるかも知れない。
m3さんの携帯を呼び出してみますが、呼び出し音は鳴っていますが出ません。
もう少し職場待機を続けるしかないと思っていると、m3さんから着信がありました。
絶対においらが帰宅できていないはずだと、昨夜から何度も携帯に連絡をくれたそうですが繋がらなかったらしいです。
連絡が取れてから、一時間しないうちに職場の前まで来て貰えました。
途中、コンビニなどで買い物をしたり、一緒に昼食を取ったりして草加の自宅に着いたのは午後3時頃でした。

自宅に着いてみると、食器棚の食器は全て散乱し、パソコンのディスプレイも倒れていましたが、被害はグラスが一個割れただけでした。
草加は震度5強あったはずですが、おいらの自宅は意外と被害がありませんでした。
片付けもすぐ済んでしまいました。



この後は、電車の運休で出社できなかったり、計画停電があったり、食用品が手に入りづらかったりと不自由な生活が続きました。



落ち着いた頃、 『秩父三十四観音霊場』の巡礼に旅立ちます。



あの日からもう2年。
まだあの日の記憶がこれだけ鮮明に残っています。
自分自身もまだあれから前に進めていないのかも知れませんね...。





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4 コメント

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3.11 (LEI)
2013-03-12 05:15:01
礼次郎さん、
おはようございます
2年前...
そうでしたね~
あの時のこと、そして感じた事をブログのトップに書いておいたのですが、
今でもそのままにしています。
私の家は夜中の2時まで停電だったとおもいます。
TVを観たのは朝になってからでした。
あの衝撃は忘れる事が出来ませんよね。
礼次郎さんも大変でしたよね。
よ~く覚えていますよ~。
今でもあの時の気持ちは変わっていません。私に出来る事、小さな事だけど少しずつだけどこれからも続けていきます。
少しでも力になれればと思っています。
返信する
3.11 (aquarius)
2013-03-12 06:21:28
おはようございます。
同じような思いを抱えている人は多いと思います。
私もその一人。
仙台市に住んでいるわたしは電気が復旧したのが4日後
TVでみた津波の様子に言葉を失い、大した被害もなかったことに、罪悪感さえ覚えました。
仰る通り、復興はまだまだです。
できることを少しでも続ければいのではないでしょうか。
返信する
☆LEIさん (礼次郎)
2013-03-12 21:15:08
多分、ず~っと忘れられないでしょうね。
とても冷え込んだ夜に計画停電になり、パソコンも使えずローソクランタンの灯りの下、電源の入っていないコタツにもぐりこんでラジオを聴いてました。
一人でとても切ない想いをしていた記憶しかありません。
願わくばもうああいう想いはしたくないですね。
返信する
☆aquariusさん (礼次郎)
2013-03-12 21:28:06
訪問&コメ、ありがとうございます。

aquariusさん、仙台でしたね。
仙台は好きな街の一つなので、何度か訪れてます(お時間があったら過去記事を読んでくださいね)

確か青葉区においらの従姉妹が住んでます。
しばらく連絡が取れなかったので、とても心配しました。
東松島市に当時のブロ友が住んでましたが、一週間以上音信不通でした(後日無事が確認されました)

出来る事を少しでも続ける、大事な事ですね。
なかなか継続した事は出来ていません。
この記事の本文にリンクを貼っていますが、震災後に巡礼をしたのが唯一の出来る事でした。
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