「サンマルティーニのソナタ・ト長調」の真の作曲者であるマルタン・ベルトーは1771年1月22日に亡くなりました。場所はフランスのアンジェ。
ベルトーの生涯は謎が多く、18世紀中頃に活躍したこと以外は残された記録も少なく伝説の人物と言ってもいいほどです。生年も没年も諸説ありだったのですが、死亡証明書が発見されて確定したというところでしょうか。
死亡証明書には、「ヴァランシエンヌ出身の高名な音楽家、マルタン・ベルトーは、1771年1月22日、アンジェにおいて62歳で没。翌日、サン・ピエール大墓地に埋葬」(拙訳)の旨が書かれているそうです(Jane Adas: ’Le célèbre Berteau’ (1989))。私の語学力では自信がありませんが。
それから250年が経ち、ベルトーの名も作品もようやく認められるようになりましたが、彼がどのような人生を送ったのかはいまだによく分かっていません。
酒を愛し、パトロンや聴衆の前で華麗なテクニックを披露し、多くの弟子も育てたマルタン・ベルトー。恋もしたろうし、挫折も味わったこともあるでしょう。フランス派の始祖として知られますが、後代には「ベルトーの弟子」というキャッチフレーズで利用された面もなくはないベルトーという存在。想像するだけですが、興味は尽きません。
昨年はベートーベンの生誕250年でした。ベートーベンが生まれた翌年にベルトーは亡くなったわけです。その後、40年足らずで運命交響曲が鳴り響くことになります。∎
ベルトーの生涯は謎が多く、18世紀中頃に活躍したこと以外は残された記録も少なく伝説の人物と言ってもいいほどです。生年も没年も諸説ありだったのですが、死亡証明書が発見されて確定したというところでしょうか。
死亡証明書には、「ヴァランシエンヌ出身の高名な音楽家、マルタン・ベルトーは、1771年1月22日、アンジェにおいて62歳で没。翌日、サン・ピエール大墓地に埋葬」(拙訳)の旨が書かれているそうです(Jane Adas: ’Le célèbre Berteau’ (1989))。私の語学力では自信がありませんが。
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それから250年が経ち、ベルトーの名も作品もようやく認められるようになりましたが、彼がどのような人生を送ったのかはいまだによく分かっていません。
酒を愛し、パトロンや聴衆の前で華麗なテクニックを披露し、多くの弟子も育てたマルタン・ベルトー。恋もしたろうし、挫折も味わったこともあるでしょう。フランス派の始祖として知られますが、後代には「ベルトーの弟子」というキャッチフレーズで利用された面もなくはないベルトーという存在。想像するだけですが、興味は尽きません。
昨年はベートーベンの生誕250年でした。ベートーベンが生まれた翌年にベルトーは亡くなったわけです。その後、40年足らずで運命交響曲が鳴り響くことになります。∎