Chan-de-lier(シャンデリア)のギタリストのBlog

承認欲求②

2024年07月06日 23時58分44秒 | 日記
さて、前回の(今書いたばかりだろ)内容には補足、これを書いておかないと疑問が出ると思い書いておきたい。

他人を幸せにしたい!

他人に認められたい!

貢献したい!



いわゆるこれらは人間である以上仕方ない(他人に認められたいはバリバリの承認欲求だからない方がいいけど)と思う。



なので、思っていても良い!

と僕は考えている。


その理由が下記である。


他人を喜ばせたいとか貢献したいとかそのような気持ちは大事だが、

見返りを求めない。

これが承認欲求を持たない!というところの本質である。





つまりダメな例を次に示す。


こんなにあなたのためにやってあげたのにあなたは何もしないね!!



のような考えである。





ようは、そういうことがあっても、気にしないことである。


自分が勝手に自己満足でやり続ければいいことになる。





ちなみに相手が迷惑だと思っていることをし続けるのは、ただの嫌がらせとかストーカーだからな。

常識の範囲内で!!





書いてて改めて思ったけれど、この辺りの線引きができない人が

他人に貢献しているつもりが有り難迷惑でとても気持ち悪い👎人物なのか、と思うと、とてもいたたまれない気持ちになるな。




それは、他人の顔色を伺う能力が必要かもしれないね。

教養も身につけなきゃね。(お前何様だ?)






うーむ🥱まぁ、多分この手の人が心理カウンセラーとかにかかるのかなと思ったりするそんな夜だ。



承認欲求①

2024年07月06日 23時50分00秒 | 日記
①ってなんだ?続くのか!?

人間誰しも、たまに自分を良く見せたくなる心情があったりすると思うのだが、これについては人間は仕方がないことだと思う。

しかし、まぁ過度な承認欲求は持たない方がいい。これについて個人的に論理的に説明できるかな、と思い、ブログを書くに至ったのだが、例えば他人に認められなくなると人は自暴自棄に陥る。

何で認めてくれないの!こんなに頑張っているのに!!!!


まぁ、少し話は変わるが、自分には才能がある、だとかそういった自信は持っていた方がいい。
僕は天才だ、とか、努力しているとか、自分を褒めてもいいと思うが。

まぁちなみに僕は少し違うパラレルワールドでは世界的に有名な音楽家になっていた予定である。しかし、今世の僕は目の前の家族を幸せにすることを最優先にした。これからもそれはずっと変わらない。

まぁこれも理由付けのように見えて自分の中で努力できなかった言い訳の正当化なのだろうが。


さて、話が逸れたから冒頭の話に戻ろう。
アドラー心理学を絡めて…



努力を認めてくれない。



という発言にフォーカスしたいのだが、

認めてくれない?


誰が?何の努力を?という話である。






かなり厳しい言葉になってしまうが他人が付ける評価というのは他人の物差しである。つまりあなたの努力そのものがそのまま反映される訳ではない。


よく分からない?


更に続けると、要するに努力というのは本質は他人を喜ばせるために、または認めさせるためにするべきものではない。と僕は思うのである。(僕は思うという表現を使ったのは僕がそう思いたいからである)

努力はいわゆる、自分がやりたいことの延長線上にあって、例えば勉強は自分が学ぶことの楽しみを得るためにするものであり、練習は自分がその対象のものを上手くしたいからするものである。

つまり、他人を喜ばせるため、他人に認めてもらうためだけにしている訳ではないのだ。



この点を勘違いして、好きでもない物事をミーハーに取り入れたりするのもそうだし、

本来自分を満たすことの本質、できるようになった自分を認めてあげること、ができていないと思うのである。





努力が認められない?




もっと努力すればいいんじゃないのか?



分かってくれない、理解してくれない!



もっと努力すれば良いんじゃないのか。





先に述べたが評価は他人の物差しでするものである。

これが今回話す内容の結論なのだが、



承認欲求が強く、認められないと嘆く前に努力は直向きに続けるべきだし、
努力っていうのは限界なんかはないのだよ。


こんなに頑張っている!



こんなに?とは?




誰が決めるの?




あなたがそう思いたいだけでしょ?



そういうことなのである。





つまり努力限界っていうのは決めているのは自分の物差しなのである。
自分の物差しを

他人が認めてくれるとは限らないし、



ならばどうするのか、というと
誠実に努力を生涯続けていくしかないということになる訳だ。
その結果が評価になるだけである。


他人が自分をどう思うかなんか考えなくていい。努力を死ぬまで続ければいいだけだ。

と僕は思う訳だが。







あと、例えば逆に自分のダメなところを探し出したらキリがないはずである。

だったらダメなところを克服するためには?



努力を続けるしかないよね。





まだまだ自分なんて全然凄くないよ。そういう気持ちで向上心を持つことがモチベーションに繋がり人が努力する理由となっている。

と僕は思いたい。



だから僕は今も前向きに生きている。



これからもそのように生きていく。



以上


吉野家と食べるラー油

2024年07月06日 20時57分00秒 | 日記



吉野家が美味い季節(?)



私、松屋派なのだが、吉野家も美味いから好きだ。

吉野家…豚汁も好きである。具がたくさん😌



さて、まぁ個人的(個人の感想です)な感想なんだが、

今日は普通の牛丼。

そしてスタミナ丼というのも昨日食べた訳だ。(連日牛丼かよ)



そのスタミナ丼に少し言いたいのだが、丼は満足感が高い量なのだが、

ラー油評論家(誰だお前)の僕にとってあまりあの乗っている食べるラー油が美味しくなかった印象。


まぁ味はそれぞれ好みはあるけれど、独特の苦味があるというか。

是非吉野家の開発社員は

S&Bの食べるラー油を食べて改善して欲しい。(いや、食べるラー油は別に牛丼に必須じゃないだろう…)




うむ。


ちなみにS&Bのニンニクが入っていない食べるラー油はかなりオススメ😌
ニンニクが入っていないから朝昼晩食べても匂いが気にならないね。(食べ過ぎ)


ん?ニンニクじゃなくてお前が臭い?



まぁもうおじさんだからね。加齢臭は許してくれ🥱(職場に問題なければ毎日香水付ける人間なんだけどな僕は)



以上!


豚汁が美味いー😌

※ちなみに牛丼にはS&Bの食べるラー油(ニンニクなし)をトッピングしてます。


性格とかその他何かと難がある人ほど

2024年07月06日 06時50分00秒 | 日記
表題の件について、


何かと記載しているようなタイプの人間は自分はまともだ。周りがおかしいと思っている傾向が強いと思う。



そういう人はどこの環境に行っても絶対に同じ悩みに苛まれるし、



逆にいえば、優秀な人材はどこの環境でもある程度(ある程度だが)適応できる。



何故なら自分を変えないと(見方を変える)周りは変わってくれないことを理解しているからだ。




あー!独立してー🥱

心理カウンセラーでも作曲家でもいいから自分で自分に責任持って仕事してー!




というのはさておき、



結局、僕がいいたいのはどんなに環境が悪い会社にいても、成果を出せる人は成果を出す立ち回りができるし、

成果が出せない人は何かと周りのせいにばかりしているから


どこに行っても絶対に認められない。



これは本当に真理だと思う。




だからどんな風な環境でも誠実に仕事をする姿勢でいいのである。

っていうのをまぁ誰に伝えたらいいかはともかく、生涯平社員でぶら下がっていたい人達には分からないのだろうなぁ。

ひとり残されて静かの海にいる

2024年07月06日 06時32分00秒 | 日記
君は帰ってしまったけれど

夜空がなぐさめてくれる。









!?

どうしたん?何かあったん?






いや、L'Arc〜en〜Cielの歌詞だよ。

名を静かの海でという。


※ちなみにこの内容かなり長文を書いていたのだが、アプリがバグって本文リセットされちゃったので、

実は時をかける少女みたいになっている。



おい!


やめるんだ!

もういい!フリじゃないぞ!



うわああああああ!




これを書くのは実は3845667回目なんだ。ようやく終わった。(何を言ってるんだ貴様は)