「蔓世ノ永キニ渡リ人々ニ愛サレル道トナレ」
万世大路について書いちゃいます
このところチャリネタ切れのちゃりけんでございます
最近どーしてんのとお電話
お手紙たくさんいただいておりますが
どっこいしつこく生きておりますのでご安心くだされたく
先日ある調査報告会へ行ってきました。
万世大路調査研究会実行委員会主催による「万世大路調査報告会」でR。
そこで運良く手に入れられたのがこの本
限定で出版されたものだそうで一般には販売されないマニアックなものだ。
東日本高速道路㈱、建設省東北地方建設局、福島河川国道事務所の方々を中心に
大滝宿の方々や、昭和の大改修の実際の作業を行った方々、
さらには庭坂~赤岩~板谷間の奥羽線に詳しい元国鉄の方々も大勢参加。
関係者以外にも廃線廃道ファンが大勢集まり本は売り切れ立ち見も出る盛会であった。
250頁にも及ぶ報告書には江戸時代からの貴重な文献や写真が盛りだくさんであり、
実際に歩いて調査した報告文はとても興味深いものがある。
本当なら詳しく書きたいところだが諸所事情がありここには載せる事ができないのでご勘弁を
実際に自分が行った感想も交えてざっと紹介しときます。
松川から板谷を通り米沢まで抜けた米沢街道は、明神峠越えの険しい道。
1549年に開かれたこの明神峠(850m)越えルートが古道赤浜道だ。
1585年伊達政宗が二本松の畠山氏を攻めたときにもこの明神峠を越え、板谷、松川のルートを進んだ。軍事目的の道だったから標高差が険しくとも最短ルートを取ったわけだ。
明神峠・・・馬がかろうじてよじ登れるほどの激坂だっただろうなあ。
1601年関が原の合戦後に上杉影勝が30万石の米沢を治め米沢が整備された。
1635年参勤交代が制度化され公用の旅が増え福島米沢間にも宿場町のある街道が必要とされた。
板谷峠(755m)越えの参勤交代道を整備。これが江戸米沢街道である。
米沢、大沢、板谷、李平、庭坂、笹木野、八丁目(松川)に宿が開設。
福島米沢のMTB乗りにはお馴染みの道で現在でもほぼ古道どおりに走れる。最低限の下調べは必要だが。
http://pub.ne.jp/chariken/?monthly_id=200810&page=2
http://pub.ne.jp/chariken/?entry_id=1717557
↑このころよく行ってたっけ。
江戸当時、城下町米沢から上山へ向かい羽州街道へと続いていた。
作並街道(R48)笹谷街道(R286)
そして「GF福島4」にも考案してる金山峠や七ヶ宿へ抜ける羽州街道(R118)
に比べあきらかに米沢街道は激坂であった。板谷峠は名だたる難所で荷駄のすれ違いもできず険阻な峠部では馬の代わりに牛を利用された。
この険しさは嫌われて出羽諸藩は羽州街道や作並街道を利用し、この米沢街道は米沢上杉藩の専用道路となってしまった。
明治維新後、初代の山形県令三島通庸は福島県令山吉盛典と万世大路の建設に着手する。
栗子山(1216m)を超えた我が国最初の近代的幹線道路である。
明治9年11月
「刈安新道開削ニ関スル山形福島両県ノ結約書」締結
近代的な道というのは、商売や旅をするものにとって楽な道と言う意味である。
当時の文献や資料を読むと一般の人が気軽に通れる道を作ろうという意気込みが強く感じられる。政府の許可もろくすっぽ出ないままに工事は着手されていたのだ。絶対にこの道を切り開くんだという逞しさを感じる。
オランダ人のエッセルという男を政府は現地に送り込んだが彼の提案はヘアピン連続の緩やかな勾配の連続(5パーセント程度)だったが、これを無視し実際の万世大路は10パーセントが連続するものだ。少し笑えるのはオランダという国には山岳が少なく、エッセルは無知ゆえに馬鹿丁寧な図面を引いたのではないかと思う。
二ツ古屋隋道、そして栗子隧道という二つの隋道は当時の最先端の機器をも使用して掘られている。
栗子隋道、二ツ古屋隋道ともに日本の土木工事の最先端の削岩機も導入されている。
この二つの隋道(二代目)も訪れたことがある。
http://pub.ne.jp/chariken/?entry_id=2570926
エアコンプレッサー削岩機の重機を使ってるのに旧栗子随道内部は手彫りなのが不思議だ。
ダイナマイトはまだ発明されてしなかったらしいが黒色?爆薬も使用されているようだ。
のちに昭和11年に二代目の栗子随道(870m)が開通。二ツ古屋随道も二代目となる。
現在は初代二ツ古屋随道は潰れている。
現在はR13が開通されて、そして何年か後には高速道路と時代はどんどん変わってしまい万世大路もいつしか自然に還るのだろう。
現地へ行って不思議なことを感じた。
栗子隧道よりも二ツ古屋随道のほうがずいぶんと立派なのだ。
それと石積みの謎。
どこがどうかはここでは書かないので興味がある方は行ってみてください。
栗子隧道は県境付近で閉塞しているので通り抜けできません。・・・一応は・・・
米沢側は私有地を通るので声を掛けてから。
栗子維持出張所には「栗子随道記碑」があるので安全祈願がてら立ち寄るのもいいかも。
二ツ古屋随道入り口では
明治天皇がここを通られたときの光景を思い浮かべてしまうはずです。
って・・。誰も行かないか
水深がけっこうあるのでウエーダー着用がいいです。50cm程度ですが。
あとライトも強力なやつが必要。
熊よけも。前に行ったときは足跡がくっきりでしたので。
これから雪の季節になり万世大路は神の領域になるだろう。
初代栗子隧道は60mで閉塞しているが極寒期に氷筍が見れると言う。
ものすごく美しいらしい。
いつか・・・今期いけたらいいな
スノーシュー買おうかな今年こそ
赤岩遺構群も行きたいけどさすがに無理かなあ一人じゃ。
@@@
調査報告はもしかするともう数部だけあるかもしれません。
「万世大路調査研究実行委員会」さん発行です。
なお主要図書館には置いてあります。
ちゃりけんさんのマニア度もすごいです。
旧道、廃道でツアーが組めそうですね。
廃道、廃線マニアにとっては聖地みたいな
もんでしょうね。
時々新聞で見かける万世大路視察ツアーの人たちはどの辺まで行くのでしょうか?
ちゃりけんさん、行くときは充分気を付けてない。
会場は工事(昭和の大改修や平成の高速道路)に関わってる方々中心でしたが、あきらかに「山いが」系の輩もいました。
報告会のあとにいろんな方とお話できて面白かったです。宿場での生活や帰路で迷って亡くなった方の話とか。
明治時代初期に生まれてたら、どんな日本を見れたんだろうかと想像が膨らんでしまいます。
面白いですよね。温故知新というか温故知古というか。
100年の時空を超えてひっそりと残る橋脚や随道。万世大路は意外と資料が少ない中、この調査報告書は意味深いと思います。
皆さん少しづつ歩かれて総合的にまとめられています。
本には書けないことや解明されてない謎も多く興味深いです。
遭難や滑落、野生動物襲撃などを考えると一人では行かないほうが無難かと思います。
もちろん俺も一人じゃ怖くていけません。