3.8歳のフィロソフィー
うちに白い犬が来て初めての春。
私は小学三年生になった。
それまで楽しかった学校生活が、がらりと音を立てて変わっていったのを覚えている。
普通の小学生だった私。目立ちもせず、おとなしすぎるわけでもなく、身近なお友達と楽しく遊んでいたのだけれど、何がいけなったのかわからない。ボタンを掛け違ったみたいに学校生活が上手くいかなくなった。
私は新しい学年とそのクラスになじむことが出来ずに、いつも一人でどこかにいることが多くなった。休み時間や自由時間は、こっそり誰にもわからないようにトイレとか、校舎の端っことか、倉庫の裏側とか・・・。それで良かったし、別に寂しくなく、逆に安心だった。騒がしい子どもたちに付いていけず、自然と離れていったという方が正しい。だから、誰が悪いわけでもない。
みんなも特に構わずほおっておいてくれたのだと思う。
ところが、担任の教師がそれを壊した。
私は気づかれずにいたと思っていても、教師は見ていて、私のいないところでクラス全員に心無い発言をしたのだ。
「藍は変わったやつだが、みんな仲良くしてやってくれ!」
そう、先生にとっては生徒をフォローしたつもりだろうが、
それをまた私に告げ口する女の子がいた。
「藍は変わったやつだって、言ってたよ~」
友達がニヤ着いた顔で言う。
そんな風に先生がみんなに言ったこと、そんな風に先生やみんなに思われていること。それがショックだった。
多分その頃から、家に帰っても暗い顔をして、体育座りをして泣いていたのだ。
休日も家から出ないで、ゴロゴロばかりしていた。
リビングの掃き出し窓とつながるデッキでは、くうが気持ちよさそうに昼寝をしていた。夏の始めの大らかな南風がカーテンを大きく揺らしている。それは波のようでもあり、何か言いたげな形のないメッセージのようだ。
私も風のように透明で何もせず、風のようにただ周りを吹き抜けて、何も考えずぼんやりしていたい。
友達っていないといけないのかな?
私はみんなと同じように遊ばなきゃいけないの?
この風や空や空気と同じようにゆっくりとありのままでいてはだめなの?
そんなことを考えていたように思う・・・。
そんな私の心もまた、風のように姿を変えどこかに消えていった。夏休みが始まる頃には、私はクラスメイトになじむようになり、みんなと同じように遊ぶようになり、お友達とたくさんの約束が出来て、家でも学校でも暗い顔でいることはなくなった。
覚えているのは、母さんがイチゴのケーキを作ってくれたこと。
料理の上手い母さんじゃないから、買ってきたスポンジケーキの上に買ってきた生クリームをたっぷり乗せて、その上にイチゴを大量に乗せてくれた。それを登校前の朝ごはんの時に出してくれたのだ。小3の私はそれが母さんの目いっぱいのエールだったことに気づかなかった。
「なんで朝からイチゴケーキ⁈」
母さんはちょっと困り気な笑い顔で、
「イチゴ好きでしょ?」
と。
私は怪訝な顔をしてイチゴを一つ二つ頬張った。
それが私の大きな転換点になった。
真っ赤なたくさんのイチゴと朝食のミスマッチ!!
赤は元気の色だ!
あの時、私はこの世でヒトとして生きることを自分の中で肯定したのだと思う。
母さんとくうの朝散歩。一緒にランドセルをしょって元気よく走る私。
友達がいるところからはバイバイ!
母さんとくうに背中を押されて、私はもう大丈夫。
あの無神経な担任教師のセリフとは裏腹に、煩わしいことを一言も言わなかった母さんに心から感謝している。
小3でも生きることに戸惑う時があるのだと、そして、人は一瞬一瞬「生きる」ことを繰り返し繰り返し決めながら生きるものだということを、私は今も噛みしめている。
母さんがイチゴケーキを作ったのは後にも先にもあれ一回。
しかも、朝に出すなんて!
やってくれるよね。
( ;∀;)
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