Chiakiの徒然日記

そろそろ12年~その3~

12月1日日曜日。
朝から、母曰く「3ババ(祖母と、祖父の姉妹)」を連れて父が病院に送って行った。
帰ってくると、意識はないものの落ち着いているということだった。
この分なら、予定通り広島に戻れるかと思っていた。
実際、そのつもりで用意もしていた。

しかし。

父が帰ってきてから1時間もしないうちに、病院に集合の命令が。
慌てて病院に駆けつけると、祖父の状態が急変していた。
従兄の姿が見えなかったのだが、朝9時前の飛行機で東京に戻ったのだという。
1月に同じように死にかけていた時は、祖父に懸命に声を掛けてこの世に引き戻すことができたのだが、今回は…。
「延命はしない」
自然に死が訪れるのなら、それをそのまま受け入れよう。
そのように決めてあったので、医師も何もせず、祖父を見下ろしていただけだった。
そして、10時半頃。
祖父の心電図が止まった。
そして、その時間は、従兄が乗った飛行機が羽田に到着する頃と一致していた。
「きっと、彼が羽田に着くのを待っていたんだよ。」
何度となく交わされた言葉。
そして、しばらくして携帯電話を持っていた従兄に叔母が電話を入れた。
祖父が亡くなったことを伝え、また帰るという従兄を説得し、東京にとどまらせた。
「熊本の方を向いて手を合わせていたら、それでいいから。そして駅伝頑張りなさい!」
叔母のこの言葉が、従兄を東京にとどまらせた。

私はどうするか。本当に困った。
こんなことになるとは思ってもみなかったので、どうしようと思った。
まず、葬儀で着る服。
この年の3月まで高校生だったので、葬儀に着るような服の準備はしていなかった。
そして、大学。
いつかはこういう日が来る、ということを確信していたので、授業は毎回欠かさず出席していた。
なので、友達に電話をした。祖父が亡くなったので、しばらく帰れないということ、
必修の授業のときには、先生に事情を話しておいてほしいことを頼んだ。

本来、通夜が執り行われる日が友引に重なったため、すべてのことが1日延びた。
そして、祖父が自宅に帰り、祭壇が設置されたころ、何気なく外を見ると、12月にしては珍しく、雪が舞っていた…。

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