思えば2011.3.11.14時46分 私は事務所で一人でおりました 今まで感じたことのない尋常でない揺れにとっさに机の下に潜り込んだのを覚えております
その後の停電 家に戻ると冷蔵庫は50センチほど飛び出しているはピアノの上のものはみな落ちているはでここに一人でいたらもっともっと怖かったとつくづく思いました
死を覚悟して制御作業にあたった地元福島出身の作業員たちを海外のメディアは「FUKUSHIMA 50」と呼んだそうですその記事を見た夫は建具組合の広報誌に投稿したのでした
海外メディアが福島の作業員の人たちのことをこう呼んでくれたこと 彼らの献身を世の中にもっと知ってもらわなければと夫は筆を執ったそうです
福島の方はまだまだ終わりの見えない現状ですが復興に向けてガンバってください
近々「FUKUSIMA 50」観に行ってきます