竹林亭白房

三代目歌之助「悋気の独楽」★落語

□本日落語一席。
◆三代目桂歌之助「悋気の独楽」(MBSテレビ『らくごのお時間』)。
DAIHATSU心斎橋角座、令和5(2023)年4月23日OA(第140回)。
丁稚の定吉が、御寮さんに手掛けの住まいを問いつめられた際、一度はあわてて万年筆を売っている所を答え、「心斎橋大宝寺町をちょっと南に入ったとこでんねん」と言った。「大宝寺町」なんてずいぶんくわしく言うなと聞いていると、次に、本当に手掛けの住まいを答えるところでも、「鰻谷中橋東へ入った北がわ、張物(はりもん)屋の一間路地だんねん」と、「中橋東へ入った北がわ」とか、「張物屋の一間路地」とか、ここでもくわしい場所を語っていた。

ちょっと記憶が定かでないけれど、ここって、みんなこんなふうにくわしく語っていたっけ。万年筆を売っている所は心斎橋、手掛けの住まいは鰻谷くらいは言っていたと思うけど……と思って、ネットで簡便に聞けるものを検索してみると、桂文珍は、やっぱり「心斎橋」と「鰻谷」と言うだけだった。また、六代目笑福亭松喬は、「心斎橋大宝寺筋入ったとこ」、「鰻谷中筋入ったとこでんねん」と多少の簡略化だった。
わりと意外だなと思ったのは、中堅どころの、桂福丸、桂文三は、ともに「心斎橋大宝寺町を南に入った……」、「鰻谷中橋東へ入った北がわ、張物屋の一間路地……」とくわしいヴァージョンで語っていたことである。

もしかすると、ちゃんと注意して聞いていれば、上方落語であれば、くわしく語るほうが多いのかもしれない。「悋気の独楽」は東京落語でも演られるので、東京落語だと、万年筆の件(くだり)はないので、当然地名の噺は出てこない。ふだん東京落語「悋気の独楽」を聞くことも多いので、今日のようにくわしい地名が出てくると、聞き慣れないなと思ってしまったのかもしれない。

東心斎橋一丁目だが、鰻谷は今でもそのあたりをそう呼ぶので、当時の雰囲気が残っていないにしても、土地感覚がよくわかる。ただ、大宝寺町は、慣習的にあまりそのようには呼ばないと思う。あらためて調べてみると、鰻谷と清水町の中間にある東西の通りだとわかった。
嗚呼、あそこらあたりが大宝寺町かとわかったが、やはりそのように呼ぶのをあまり聞いたことがない。鰻谷と清水町は、ともに生きた地名だと思うけれど、大宝寺町はあまり特徴がないからか。

昔は、鰻谷と清水町の中間に万年筆を売っている有名な文房具屋でもあったのだろうか。わかるものならこんど調べてみたいものである。
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