□本日落語一席。
◆三遊亭志う歌「柳田格之進」(衛星劇場『衛星落語招待席』)。
深川江戸資料館小劇場、令和6(2024)年4月13日(「三遊亭志う歌・春風亭柳枝ふたり会~らくご、昇り龍がゆく。」)。
多くの落語家が、講釈ネタの「柳田格之進」を、いかに納得できる噺として再構成するか、また、落げをどうするかと独自のくふうをかさねてきた。今もまだ落語として定番と言える型はない。
志う歌のくふうは、吉原に身を売った柳田の娘が、まだ店で売りに出される前に、万屋によって身請けされたという点だろうか。通常は、かなりあとになって身請けということになっていたと思う。
しかし、それにしても、出世したあとの柳田格之進がなぜ自分の娘を身請けしなかったのかという穴は解消されないのだが。
あとは、だいたい従来どおりだったろうか。個人的には、もっとも嫌いな展開である万屋の番頭と柳田の娘が結婚するというはこびになるところを、そのまま演じていたところが嫌だった。現代感覚というのでなく、当時の人間感情に照しあわせてもぜったい納得できるものではないと思う。むりやり美談で終らせようとする作為が見えてしまって好きになれない。
◆三遊亭志う歌「柳田格之進」(衛星劇場『衛星落語招待席』)。
深川江戸資料館小劇場、令和6(2024)年4月13日(「三遊亭志う歌・春風亭柳枝ふたり会~らくご、昇り龍がゆく。」)。
多くの落語家が、講釈ネタの「柳田格之進」を、いかに納得できる噺として再構成するか、また、落げをどうするかと独自のくふうをかさねてきた。今もまだ落語として定番と言える型はない。
志う歌のくふうは、吉原に身を売った柳田の娘が、まだ店で売りに出される前に、万屋によって身請けされたという点だろうか。通常は、かなりあとになって身請けということになっていたと思う。
しかし、それにしても、出世したあとの柳田格之進がなぜ自分の娘を身請けしなかったのかという穴は解消されないのだが。
あとは、だいたい従来どおりだったろうか。個人的には、もっとも嫌いな展開である万屋の番頭と柳田の娘が結婚するというはこびになるところを、そのまま演じていたところが嫌だった。現代感覚というのでなく、当時の人間感情に照しあわせてもぜったい納得できるものではないと思う。むりやり美談で終らせようとする作為が見えてしまって好きになれない。