□本日落語一席
◆隅田川馬石「火焔太鼓」(寄席チャンネル『夢 寄席』)。
新橋内幸町ホール、令和元(2019)年9月1日(第19回フランボヤン寄席「隅田川馬石の会10『25年目の馬石』)。
もしかすると、馬石の「火焔太鼓」は初めて聞くかもしれない。でも、「火焔太鼓」と言えば、古今亭のお家芸だから演って当然だとは思ったものの、ふと思い返してみるに、馬石の大師匠にあたる十代目金原亭馬生は「火焔太鼓」を演ってたのだろうかと気になった。五代目古今亭志ん生と古今亭志ん朝では、それこそ何度も「火焔太鼓」は聞いた。
古今亭志ん朝は、志ん生の得意としていたネタをほぼまるまる演っていたという印象だが、十代目馬生は、志ん生の演目路線とちょっとはずれたところで生きていたように感じていた。
だから、あのお家芸の「火焔太鼓」も、もしかしたら演らなかったのではと……。ネット検索で「十代目金原亭馬生 火焔太鼓」と入れてみると、なぜか古今亭志ん朝の「火焔太鼓」がトップに出てきた。やはり演ってないのか?と思って、もう二三のサイトを確認するとあった。CD化された音源もあるようだ(1957年)。
ただ、その二三確認したサイトの一つによると、馬生はあまり「火焔太鼓」を演らなかったらしい。理由もそこには書かれていたが、出所が明らかでないので今はそこにふれずにおこう。
ひるがえって、馬石の師匠である五街道雲助はどうなのだろうと検索すると、こちらはあっさり「火焔太鼓」が出てくる。聞きたければ動画もある。ただ、自分はもしかすると、聞いてないかもしれない。少なくとも自分の鑑演記録に雲助の「火焔太鼓」はなかった。
馬石の「火焔太鼓」は、道具屋の亭主と定吉がいっしょになって火焔太鼓の埃を叩くという演出だった。しかも、ドンドンドンという音でなく一種独特の音をたてながら。これは馬石のオリジナルか。一度雲助の「火焔太鼓」も聞いてみたいものだ。
◆隅田川馬石「火焔太鼓」(寄席チャンネル『夢 寄席』)。
新橋内幸町ホール、令和元(2019)年9月1日(第19回フランボヤン寄席「隅田川馬石の会10『25年目の馬石』)。
もしかすると、馬石の「火焔太鼓」は初めて聞くかもしれない。でも、「火焔太鼓」と言えば、古今亭のお家芸だから演って当然だとは思ったものの、ふと思い返してみるに、馬石の大師匠にあたる十代目金原亭馬生は「火焔太鼓」を演ってたのだろうかと気になった。五代目古今亭志ん生と古今亭志ん朝では、それこそ何度も「火焔太鼓」は聞いた。
古今亭志ん朝は、志ん生の得意としていたネタをほぼまるまる演っていたという印象だが、十代目馬生は、志ん生の演目路線とちょっとはずれたところで生きていたように感じていた。
だから、あのお家芸の「火焔太鼓」も、もしかしたら演らなかったのではと……。ネット検索で「十代目金原亭馬生 火焔太鼓」と入れてみると、なぜか古今亭志ん朝の「火焔太鼓」がトップに出てきた。やはり演ってないのか?と思って、もう二三のサイトを確認するとあった。CD化された音源もあるようだ(1957年)。
ただ、その二三確認したサイトの一つによると、馬生はあまり「火焔太鼓」を演らなかったらしい。理由もそこには書かれていたが、出所が明らかでないので今はそこにふれずにおこう。
ひるがえって、馬石の師匠である五街道雲助はどうなのだろうと検索すると、こちらはあっさり「火焔太鼓」が出てくる。聞きたければ動画もある。ただ、自分はもしかすると、聞いてないかもしれない。少なくとも自分の鑑演記録に雲助の「火焔太鼓」はなかった。
馬石の「火焔太鼓」は、道具屋の亭主と定吉がいっしょになって火焔太鼓の埃を叩くという演出だった。しかも、ドンドンドンという音でなく一種独特の音をたてながら。これは馬石のオリジナルか。一度雲助の「火焔太鼓」も聞いてみたいものだ。