行きたいよぉ~。
当日券ってあるだろうか?
青山劇場の場合、立見席っていうのはもう前もって
販売されているんだよね。
それも完売。
いろいろネットを探すものの、当日券についての情報って
流れていませんよね。
電話すれば一番早いのだろうけど。
さてさて、本題へ。
黒澤明監督の「蜘蛛巣城」見ました。
疲れていたせいもあって、途中寝てしまった部分もあるんですけど、
でも、『メタル・マクベス』の話と重なる部分が多かったので、
きっと、この「蜘蛛巣城」も原作に忠実なんだろうなぁと思いました。
(原作をいい加減読めよ!って感じですけど・・・・・。
一応原作の本は買ってみたんですよ。ちくまではなく新潮文庫ですけど。)
原作も蜘蛛巣城も最後に森が動いて襲ってくるんですよね、
バーナムの森が。
でも、実際にはそれは森が動いているのではなくて、
敵軍が隠れるために体や武器に木の枝なんかをつけて、
城に近づいていたために森が動いているように見えただけなんです。
マクベスはその森を見て、森が責めてくると自分がやられるという
魔女の言葉を思い出し、狂うんですよね。
それで注目なんですけど、「メタル・マクベス」では、
「森が攻め上るまでは」ではなく、「天が避けるまでは・・・・」と
なっているんですよね。
どうして、こうなったか不思議ではないですか?
そこで、考えてみました。
メタルマクベスのマクベス内野のおっかけの人たちの名前に注目してください。
すべて、苗字が木に関係するんですよぉ~~~~。
これをバーナムの森とかけたのかなぁと思いました。
だって、森って木の集まりでしょ?
メタルマクベス(バンド)の方(過去の方)は、ファンたち、つまりは、
「苗字が木に関係する人の集まり」=「森」に攻撃を受ける・・・・
そのファンの集団(=「森」)がファンでなくなることによって、
メタルマクベスの人気は落ちて、
「解散につながる」=「破滅へとつながる」んですよね。
一方、未来のときには、原作の「森が攻めてくるとき」を変えて、
「天が割れるとき」にしているんですけど、これって、
「天が割れる」=「大きな稲妻(=電気)」をさしているのかなぁと思います。
だから、本来、城(未来)を攻め入るのは原作でいうバーナムの森で
あったものが、
過去のメタルバンドが成り立つ(演奏する)ために必要な電気(稲妻)
になっていて、しかし、結局はその電気(落雷)によって破滅する
(死んでしまう)という、
未来と過去、ここらへんも巧みに融合されているんですよね。
その融合さが、マクベスの狂気にもつながり、本当によくできているんですよ、
この台本。
(説明がまどろっこしいですね・・・。すんません。)
原作でのバーナムの森の扱いだけど、この森は城を囲む大森林で、
敵軍が攻め入ろうとしても大迷路のようになっていて、
なかなか攻め入ることのできないんです。
だから、城を守っている森なんですよね。
ファンの集団も、そのおっかけの対象を守っている存在ですよね。
ファンがいなくては成り立ちませんもんね。
だから、ファンの集団はバーナムの森的存在といえるんですよね。
すごいぞ、クドカン!
って、早く原作をちゃんと読めって感じですよね。
原作を読んだらまだまだ発見ありそうで楽しみです。
注釈:ここで書いている「未来」とは、ランダムスターの時代を指し、
「過去」とは、マクベス内野の時代を指しています。
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