高橋大輔をソチで見たいような見たくないような。ここ二年、高橋が争っているのがソヴィエトの呪縛、石原慎太郎のような五輪へ妄執する人たち相手で、かつて集中力を与えてくれた競技会に臨むときの緊張とは違う悲壮感ただようものになっているから。終わらせるのは自分しだいなのに、それが見えない。コーチも気づかせない。もうマニアが昔の良い演技に合わせて自分で曲を変えて楽しむだけの妄想の中の人になってしまったのか。
高橋大輔をソチで見たいような見たくないような。ここ二年、高橋が争っているのがソヴィエトの呪縛、石原慎太郎のような五輪へ妄執する人たち相手で、かつて集中力を与えてくれた競技会に臨むときの緊張とは違う悲壮感ただようものになっているから。終わらせるのは自分しだいなのに、それが見えない。コーチも気づかせない。もうマニアが昔の良い演技に合わせて自分で曲を変えて楽しむだけの妄想の中の人になってしまったのか。