肩甲骨 ……自動記述日記3(2019年7月22日)
ちゅうたかずきちゅうたかずき忠田一希(ちゅうたしげる
ポメラを購入したが、まったく手を触れない日が続いた。紙のノートがメモを書くのに捨てがたかったのだ。自動記述日記2を書いたのが六月十一日前後だった。もうはや七月下旬に入った。今日は七月二十二日。参議院の選挙が昨日終わった。むろん投票には行かなかった。「国政選挙」など興味は無い。本来人間は「自由」なので、「選挙」なんてカラスの勝手。「国民」の一人として「年金」にありつけばそれで不服は無い。年金なんて国家的詐欺の一種だけれど。
一ヶ月半まえ六月五日水曜日だったろう。いつも就寝に使っている布団をまるめて、枕にして二十分ほど昼寝をしたのだ。そうして目が覚めたら、左腕から肩にかけて違和感と共にひどい痛みを感じた。一生治らない実存的な痛みを左側肩甲骨の奥に感じた。起き上がって重力が左腕から肩甲骨にかかるとひどいしびれと痛みがある。一週間ほど放っておけば治るさ。と高をくくっていたら治りそうも無い。一生痛い目に遭うのかとインターネットで調べてみた。肩関節の腱板損傷でも無い。腱板断裂でもない。神経痛でも無い。むかし村の年寄りが「けんびき」と呼んでいたものか。と調べてみると「胸郭出口症候群」という病名があった。
病院に行くわけでも無い。じっとこらえていたら一ヶ月過ぎた頃から痛みがなくなった。治ったのだ。手術をせずに肩の痛みを治すのを保存的療法と言うらしい。
はじめ、痛みが無くなる姿勢があるのに気がついた。寝転んで左腕を楽にしていたら痛みが無い。起き上がると重力がかかって痛む。安静にしていたら左腕の神経の炎症の過敏が収まった。それから散歩をしたり、草刈り機で草を刈る動作をしたり、ストレッチをして肩甲骨を動かすと痛みがやわらいで鎮痛の効果があるのがわかった。肩を動かしながら治療したのだ。風呂に入って温めると鎮痛の効果がある。ひなたぼっこをしていても鎮痛の効果があった。サウナも二度ほど行ったが間接的に効いた。そしてロキソニン入りの湿布を貼っても鎮痛の効果があった。どんな病気でも西洋医学的な対症療法は大事なことなのだと気づいた。対症療法が自然に治る自然治癒力を刺激するのだ。対症療法で痛みを緩和すると肩甲骨と肩を動かしやすい。安静にして神経の過敏を鎮めて、そして患部を温め、動かして治す。そうこうしているうちにふと痛みが半減して、妻にストレッチをして肩を動かしてもらったら神経が元の位置に戻って、完全治癒した。
治らない病気や解決できない問題はこうやれば良いのかと思った。それともはじめからたいした病気ではなかったのだろうか。妻は昨年右肩を痛めた。十年前に左肩を痛めた。病院で調べてもらったら六十肩だった。一年経ったが後遺症と痛みが残っているらしい。いまでも車の運転は片腕でハンドルを握っている。隣村に住む妹もこの頃肩が痛むらしい。
おれは、けがの功名ということもあるさ。とか、万事塞翁が馬。とか、禍福はあざなえる縄のごとし。とか思って自分を慰めていた。長男は「楽しく暮らせば痛みも軽い」と慰めにもならないことを語った。人間はいろいろな痛い目に会うのだ。
この一ヶ月本を集めて読んでいた。藤原審爾の「死にたがる子」という小説を2時間ほどで読み上げた。おれが学生になったばかりの頃発表された小説だ。今から四十年以上前のことか。おれ自身もかつての「死にたがる子」だった。中学生の頃、若年者の自殺という現象が流行ったのだ。藤原審爾は「死にたがる子」の背景を生物学的に説明しようとしている。
志賀直哉に興味深い一文がある。「志賀直哉随筆集」岩波文庫。1950年雑誌「世界」に載った一文。当時「世界」の編集長は吉野源三郎だったろうか。全面講和の論陣を張った。
志賀直哉は「閑人妄語…『世界』の『私の信条』のために…」という一文で「私は『なるほど』と大いに感心したことがある。」と書いている。なにが「なるほど」かと言うと庭のガマガエルの姿と客人の恰好がそっくり同じだ。と言うのだ。志賀直哉はそのとき、人間が動物由来だという確信を得たのだ。
似たようなことはヨーロッパ思想にも見られる。エラスムスの「痴愚神礼讃」。パスカルの「パンセ」で人間は神と動物の中間者とされたのは有名。十九世紀に入ってニーチェは進化論を背景に「ツアラストラはかく語りき」で、人間はウジ虫より来たった、「なんじらはいまだ猿中の猿である」と書き。ロートレアモンは「人間という毒虫」と書いた。近代ヨーロッパの思想やホッブズ、ロック、ルソーの社会契約論は人間とは何かを問い続けた歴史でもある。途上で現れたマルクス主義は理想主義だったので、社会契約論の唯物論から後退していたのではないだろうか。K.マルクスの「唯物論」は人間を「生き物」として見る視点が弱い。近代ヨーロッパの自然法思想は生き物として人間の「自然状態」を想定し、そこから国家を契約によるとして、人間の「権勢」と「利得」「財産」を権利として認め、近代市民革命を導いて、革命権と人権の思想を生んだ。
そういうわけで、生物、植物学、昆虫学、動物学、動物行動学の本を集めた。日高敏隆などを読んだ。
二十年ほど前、九十年代に人類は世界観を揺さぶられるいくつかの学問的な仮説に到達した。物理学では超ひも理論。膜宇宙論。医学生物学では「ミトコンドリアの細胞内共生説」、動物行動学では「利己的遺伝子論」。ゲーム理論では「囚人のジレンマ」説。最近は脳科学という知見の蓄積がある。
これらの説は人間の世界観を大きく揺さぶるが、まだ社会的に十分には検討されていないのだ。
というわけでいま机の上には、「囚人のジレンマ…フォン・ノイマンとゲームの理論」ウイリアム・パウンドストーン著。青土社。1995年。という本を置いている。「核戦争の危機とゲーム理論」ともいうべき恐ろしい内容の本だ。フォン・ノイマンという悪魔的知性は五十年代からすでに「気象兵器」を考案していたらしい。
なかなか明けない長い梅雨が終わったら、孫の一希といっしょに海に行きたいと思う。
(了)
ちゅうたかずきちゅうたかずき忠田一希(ちゅうたしげる
ポメラを購入したが、まったく手を触れない日が続いた。紙のノートがメモを書くのに捨てがたかったのだ。自動記述日記2を書いたのが六月十一日前後だった。もうはや七月下旬に入った。今日は七月二十二日。参議院の選挙が昨日終わった。むろん投票には行かなかった。「国政選挙」など興味は無い。本来人間は「自由」なので、「選挙」なんてカラスの勝手。「国民」の一人として「年金」にありつけばそれで不服は無い。年金なんて国家的詐欺の一種だけれど。
一ヶ月半まえ六月五日水曜日だったろう。いつも就寝に使っている布団をまるめて、枕にして二十分ほど昼寝をしたのだ。そうして目が覚めたら、左腕から肩にかけて違和感と共にひどい痛みを感じた。一生治らない実存的な痛みを左側肩甲骨の奥に感じた。起き上がって重力が左腕から肩甲骨にかかるとひどいしびれと痛みがある。一週間ほど放っておけば治るさ。と高をくくっていたら治りそうも無い。一生痛い目に遭うのかとインターネットで調べてみた。肩関節の腱板損傷でも無い。腱板断裂でもない。神経痛でも無い。むかし村の年寄りが「けんびき」と呼んでいたものか。と調べてみると「胸郭出口症候群」という病名があった。
病院に行くわけでも無い。じっとこらえていたら一ヶ月過ぎた頃から痛みがなくなった。治ったのだ。手術をせずに肩の痛みを治すのを保存的療法と言うらしい。
はじめ、痛みが無くなる姿勢があるのに気がついた。寝転んで左腕を楽にしていたら痛みが無い。起き上がると重力がかかって痛む。安静にしていたら左腕の神経の炎症の過敏が収まった。それから散歩をしたり、草刈り機で草を刈る動作をしたり、ストレッチをして肩甲骨を動かすと痛みがやわらいで鎮痛の効果があるのがわかった。肩を動かしながら治療したのだ。風呂に入って温めると鎮痛の効果がある。ひなたぼっこをしていても鎮痛の効果があった。サウナも二度ほど行ったが間接的に効いた。そしてロキソニン入りの湿布を貼っても鎮痛の効果があった。どんな病気でも西洋医学的な対症療法は大事なことなのだと気づいた。対症療法が自然に治る自然治癒力を刺激するのだ。対症療法で痛みを緩和すると肩甲骨と肩を動かしやすい。安静にして神経の過敏を鎮めて、そして患部を温め、動かして治す。そうこうしているうちにふと痛みが半減して、妻にストレッチをして肩を動かしてもらったら神経が元の位置に戻って、完全治癒した。
治らない病気や解決できない問題はこうやれば良いのかと思った。それともはじめからたいした病気ではなかったのだろうか。妻は昨年右肩を痛めた。十年前に左肩を痛めた。病院で調べてもらったら六十肩だった。一年経ったが後遺症と痛みが残っているらしい。いまでも車の運転は片腕でハンドルを握っている。隣村に住む妹もこの頃肩が痛むらしい。
おれは、けがの功名ということもあるさ。とか、万事塞翁が馬。とか、禍福はあざなえる縄のごとし。とか思って自分を慰めていた。長男は「楽しく暮らせば痛みも軽い」と慰めにもならないことを語った。人間はいろいろな痛い目に会うのだ。
この一ヶ月本を集めて読んでいた。藤原審爾の「死にたがる子」という小説を2時間ほどで読み上げた。おれが学生になったばかりの頃発表された小説だ。今から四十年以上前のことか。おれ自身もかつての「死にたがる子」だった。中学生の頃、若年者の自殺という現象が流行ったのだ。藤原審爾は「死にたがる子」の背景を生物学的に説明しようとしている。
志賀直哉に興味深い一文がある。「志賀直哉随筆集」岩波文庫。1950年雑誌「世界」に載った一文。当時「世界」の編集長は吉野源三郎だったろうか。全面講和の論陣を張った。
志賀直哉は「閑人妄語…『世界』の『私の信条』のために…」という一文で「私は『なるほど』と大いに感心したことがある。」と書いている。なにが「なるほど」かと言うと庭のガマガエルの姿と客人の恰好がそっくり同じだ。と言うのだ。志賀直哉はそのとき、人間が動物由来だという確信を得たのだ。
似たようなことはヨーロッパ思想にも見られる。エラスムスの「痴愚神礼讃」。パスカルの「パンセ」で人間は神と動物の中間者とされたのは有名。十九世紀に入ってニーチェは進化論を背景に「ツアラストラはかく語りき」で、人間はウジ虫より来たった、「なんじらはいまだ猿中の猿である」と書き。ロートレアモンは「人間という毒虫」と書いた。近代ヨーロッパの思想やホッブズ、ロック、ルソーの社会契約論は人間とは何かを問い続けた歴史でもある。途上で現れたマルクス主義は理想主義だったので、社会契約論の唯物論から後退していたのではないだろうか。K.マルクスの「唯物論」は人間を「生き物」として見る視点が弱い。近代ヨーロッパの自然法思想は生き物として人間の「自然状態」を想定し、そこから国家を契約によるとして、人間の「権勢」と「利得」「財産」を権利として認め、近代市民革命を導いて、革命権と人権の思想を生んだ。
そういうわけで、生物、植物学、昆虫学、動物学、動物行動学の本を集めた。日高敏隆などを読んだ。
二十年ほど前、九十年代に人類は世界観を揺さぶられるいくつかの学問的な仮説に到達した。物理学では超ひも理論。膜宇宙論。医学生物学では「ミトコンドリアの細胞内共生説」、動物行動学では「利己的遺伝子論」。ゲーム理論では「囚人のジレンマ」説。最近は脳科学という知見の蓄積がある。
これらの説は人間の世界観を大きく揺さぶるが、まだ社会的に十分には検討されていないのだ。
というわけでいま机の上には、「囚人のジレンマ…フォン・ノイマンとゲームの理論」ウイリアム・パウンドストーン著。青土社。1995年。という本を置いている。「核戦争の危機とゲーム理論」ともいうべき恐ろしい内容の本だ。フォン・ノイマンという悪魔的知性は五十年代からすでに「気象兵器」を考案していたらしい。
なかなか明けない長い梅雨が終わったら、孫の一希といっしょに海に行きたいと思う。
(了)