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政界keymanの交代---小泉から小沢へ

2008年04月07日 10時15分22秒 | 政治論
 昨年夏の参議院選挙で与党が大敗し民主党が大勝して野党が参議院の過半数を握った。

 現在「道路特定財源の暫定税率」問題を中心に政界は決戦の局面に近づきつつある。

 小泉首相後の安倍政権は「美しい国日本」を唱え「戦後レジームからの脱却」を訴えて、直線的に憲法改悪を標榜していた。教育基本法が改悪され「愛国心」や「公の精神」が強調された。防衛庁が防衛省に昇格し、税制改革と称して消費税の増税が画策された。

 経済的後退の中で人々は深い不満を覚えた。小泉政権への支持率は社会の閉塞を「改革」というデマゴギーで打開するかのようなパフォーマンスへの期待だった。
 小泉の「勝負勘」は鋭かった。2005年秋の衆議院選挙で自民党は大勝する。

 だがそのあとの安倍首相は「政治」を知らないただのお人よしのお坊ちゃんにすぎない。ワシントンの中枢部に見放された。相手にするほどの男ではないのだ。

 福田首相は老獪にも自民党内の趨勢を睨んで安倍後の政権を担うがどうも昨年夏の民主党の大勝の意味をつかみきれていなかったようだ。金持ちで生活に不安の無い者たちはわたしたちのような底辺の者がどういう感情気分でいるか、彼らにはわからないのだ。

 政治のキーマンは小泉から小沢に交代した。

 わたしは「政治」というものは個々のミクロの人間同士の諸関係が基礎となって社会構造の上に浮かんでいる泡のようなものだと思っている。小泉ははしなくも「政治家は使い捨て」と言い放った。政治の舞台でのキーマンも大きな流れの中で交代し、出現し、消えて行く。わたしは町会議員などという公職のはしくれにいたのでわかるが、政治家がまず第一に考慮していることは、自分の身を守ることだ。一寸先は闇の不安定で大きな流れの中でどう無事に泳ぎきるかということだ。

 小沢の目論んでいることは、第一に自民党を小泉以上に「壊す」ことだろう。日本の政治支配層内部で暗闘が起こっているのだ。だが、同時にわたしがもっとも注視するのは、小沢は自民党を壊す以上に戦後革新かってその中核であった日本共産党をも壊してしまうだろう。

 小沢は90年代から自民党を脱党して「政権交代」を訴えてきたが、彼はその運動的基礎を従来の自民党幹事長にまで上り詰めた政治手法とともに、当時一定の影響を保っていた共産党の運動方法にまで学んだ。小沢は議員の「日常活動」などということも言う。

 小沢の対外政策は世界的な情勢を睨んで臨機応変。アメリカ、ワシントンの支持がなければ日本政府は三日と持たないことも知っている。

 内政はほんとんど70年代から80年代に共産党が政策主張していたことを取り込んでいる。共産党の幹部は自分達の主張の実現過程と観るかもしれないが、実態は民主党小沢に政策的な実質を盗まれた。

 小沢は政権交代こそ日本の「民主主義」だと主張するが、はたしてどうだろうか。それは経済的政治的外交的「危機」に対する、日本支配層の単なる移動。内紛。に過ぎなかろう。時々、庶民に甘い汁を分けて支持を取り付けつつ、さてどこに日本を導くか。政治家も大きな社会構造の流れの中で泳ぐ一人の芝居役者に過ぎない。

 田中宇氏は、日本は対外的に「鎖国」的状況を選ぼうとしているかのように「国際ニュース解説」に書いているが、わたしはむしろ深い日本の庶民の不満の捌け口が一種の新しいファシズム的状況を産むだろうと考えている。

 コアな極右翼運動家というものは自己の消滅をむしろ必然としている。大正時代の強硬な極右翼運動家は一旦国家によって弾圧され消滅したのちに、彼らの望んだ体制がその後になって全面的に全体的に国家を包み込んでいった。

 だとしたら小沢の歴史的役割は、自民党に打撃を与えることによって日本支配層の構造を変え、いったん人々の熱狂的支持を取り付けながら、じつは敗戦後「与えられた民主主義」として持っていた価値の内実に攻撃を掛け、社民党、共産党の退潮をもたらすだろう。そして、社会の深い無気力感のなかで出番をうかがっている極右勢力がいる。社会全体が「明るく」「お笑いバラエティー番組」のようにファシズム化している。

 その後に来るものは、非常に悲観的な状況が訪れるように思う。


コメント (3)
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