昨日はとても土曜日的な土曜日を過ごした。寛容な人に言わせればとてもリラックスした、批判的な人に言わせればとても自堕落な、土曜日。金曜の晩は先輩Yさんたちと突発的に飲みに行き(
その様子はYさんのブログに)、若干の二日酔いを抱えながら遅めの起床。読書欲が溜まっていたため、起床後、ひたすら読みかけになっていた積ん読を消化した。途中、ジムやら、買い物やら料理やら、こむぎのケージの掃除やら洗濯やら(リストアップすると結構こなしている)実際的な仕事を挟んだが、それ以外はずっと、ソファーで、ベットで、あるいは焼酎を飲みながら、ひたすら本を読んでいた。
今日読んだ本は村上春樹『
ダンス・ダンス・ダンス』、橘玲『
幸福の資本論』、村上春樹『
職業としての小説家』。
□ダンス・ダンス・ダンス
とても印象的な一文があった。「我々の立っている場所は、我々の立っていた場所ではないのだ。」時間があったら再読したい小説。
□幸福の資本論
職業選択の前に幸福の源泉みたいなものを知識として知っておいた方がよいのではとふと思い立ち買ってみた。この本は幸福の源泉には金融資産(お金)、人的資本(働く能力・体力)、社会資本(愛情・友情)があるという立場で展開されている。幸せの定義や感じ方は千差万別だと思うが、心理学、社会学、生物学的なエビデンスに基づいて、幸福感の共通集合的な部分を説明していくれているので不信感もなく、納得することが多かった。特に以下が面白かった。
・金融資産、人的資本、社会資本は多いほど良いのか、共存可能なのか、最適なバランスと人生におけるそれぞれの資本への最適な投資時期(ここでは“最適な幸福設計”と呼ぶ)
・サラリーマンという業種は日本にしかいない。
・企業が求める“有能な”人材は“有脳な”人材ではない。
・「働き方改革」は日本の労働市場の本質的な問題点に迫り切っていない(多くの人が実感していそうだが)。
・日本社会の抱える閉塞感の歴史的背景
・日本人の遺伝的性質 ―日本人(東アジア人)は特にうつ病になりやすい遺伝子を多く持つ人種であることが生物学的に判明している。それに対し、アフリカ人はうつ病になりやすい遺伝子が少ないという。人類はアフリカで誕生し、その後各地へ広がっていったのだから、後発組である東アジア人がうつ病になりやすい遺伝子を持っていることは、不利な進化であり、進化論的に妥当ではない。そのように考えた心理学者は東アジア人が持つうつ病になりやすい遺伝子が、同時に彼らに相応の利益ももたらしていることを突き止めた。では、日本人の幸福感受性と日本社会の中で実現可能な幸福設計とはどんなものか。
これから進路選択をする後輩たちで、適職に悩んでいる人も多いかもしれない。就活サイトだと適職診断的なものがあるが、就活サイトと企業には金銭的つながりがあるため、公正な観点で診断が行われていなくてもおかしくない。少なくとも僕はこの本を読んで得た公正(と言っても差し支えのなさそう)な視点から、いくつかの進路を明確に消去できたし、自分にどんな進路が好ましいか多少絞ることができた。たぶんよく言われていることだが、多少なりとも仕事にやりがいを求める人にとって、現代では大企業が最良の選択肢ではなさそうな気がする。この本を読めみたいなことは言わないが(個人的にはとても面白かったが、相性があるので)、ぜひ主体的に幸福の定義、イメージを固める時間をを持ってほしい。
□職業としての小説家
村上春樹さんの自伝的エッセイになっているが、彼の小説を読んでいるようで一気に読んでしまった。(これも再読したいのだが先輩Yさんに借りたので返さなくてはならないのが残念だ。中身だけ線形代数Ⅱの教科書にすり替えて返そうか。)一読して印象に残っているのは、村上春樹さんが過去の自分の小説を読んで、後悔や反省をしないという話だ。今ならもっとうまく書けるという感覚はあるらしいが、その時点の僕はこんなものだろうなという感覚らしい。毎回、これ以上修正できないというところまで、編集者が嫌になるくらい、修正するらしい。すると、ある時点において、これ以上手を加えると、逆に小説がダメになるなという均衡点のようなものが現れるそうだ。僕も論文執筆で経験しているが、修正作業はきりがなく(彼の経験に基づくときりがあるようだが)、本当にすり減る。それを延々と続けるために必要なエネルギーというのはどんなものなのだろうか。さらに、僕が経験している修正作業は高々10ページの論文だが、数100ページに及ぶ小説でそれを行うというのは僕の想像力の範疇を超えている。このような執筆過程を想像しながら読むと、小説にまた違った深みが感じられるかもしれない。