むすめが生まれたとき、親しくしていた方が作ってくださったお雛さまです。
私個人がというのではなく、夫の父の代からの仕事も含めてのお付き合いでした。
大安の日。
高齢のため、布の処理が思うようにできなかったこと、
生地だけは手に入る限りいい物を使ったこと、そして
「玲ちゃんがお嫁に行くときは、必ず一緒に連れて」
の言葉とともに 託してくださいました。
落ち着いた男雛の衣装の取り合わせに、選ばれた方の心情を重ねつつ。
言葉が話せるようになってからは
むすめは毎年 お雛さまを飾った報告のお電話をかけ続けました。
事情が変わって往き来がなくなり、夫の前ではかけられなくなってからも。
むすめからの電話には応えてくださっていました。
屏風と雪洞は実家の母がそろえてくれたので、
小さなお道具が好きなむすめと、人形の家や鎌倉館を巡る傍ら
こまごまといろいろなものを買い集めました。
三人官女が衣装着なのは、たまたま珍しい色の打掛のばら売りに出くわしたため。
ことしも娘が自分で飾り付けましたが、
そのまえに 本棚の上の大量の本をそっくりぶんなげるという、
思い切った地上げを敢行して、居場所を確保しております。
数年前、わが家を襲った地崩れにより、ご挨拶も途切れていました。
ことしは、忘れずにむすめに伝えさせましょう。
おひなさまたちは、ことしもお変わりありません、と。
私個人がというのではなく、夫の父の代からの仕事も含めてのお付き合いでした。
大安の日。
高齢のため、布の処理が思うようにできなかったこと、
生地だけは手に入る限りいい物を使ったこと、そして
「玲ちゃんがお嫁に行くときは、必ず一緒に連れて」
の言葉とともに 託してくださいました。
落ち着いた男雛の衣装の取り合わせに、選ばれた方の心情を重ねつつ。
言葉が話せるようになってからは
むすめは毎年 お雛さまを飾った報告のお電話をかけ続けました。
事情が変わって往き来がなくなり、夫の前ではかけられなくなってからも。
むすめからの電話には応えてくださっていました。
屏風と雪洞は実家の母がそろえてくれたので、
小さなお道具が好きなむすめと、人形の家や鎌倉館を巡る傍ら
こまごまといろいろなものを買い集めました。
三人官女が衣装着なのは、たまたま珍しい色の打掛のばら売りに出くわしたため。
ことしも娘が自分で飾り付けましたが、
そのまえに 本棚の上の大量の本をそっくりぶんなげるという、
思い切った地上げを敢行して、居場所を確保しております。
数年前、わが家を襲った地崩れにより、ご挨拶も途切れていました。
ことしは、忘れずにむすめに伝えさせましょう。
おひなさまたちは、ことしもお変わりありません、と。
宝物館での古い時代のお雛様を見たことがあります。
そこに纏わるちょっとおそろしげなものも感じつつ
何やらものに寄せるひとの想いの深さを、思わずにはいられません。
私が子どものころは、長くお雛さまにいてほしくて
よく母が、旧暦のお雛さまにしましょうと4月3日ころまで出していてくれましたが、
よく考えると可笑しいような、片づけが間に合わなかっただけなのか・・・
お嫁入り前のお嬢さんがいらっしゃると
それはまたそれで、お忙しいことでしょうね・・・
ことしもあっというまにお節句が過ぎてしまい。
越生の笛畝記念人形美術館にも、
横浜の人形の家にもまた行く機会を逃してしまいました。
いつか、酒田にも足を伸ばしてみたいものですが・・・