一昨日の朝刊でリスクについて、語られていたので
抜粋です
「リスクを計る」というテーマは、
どういうリスクなら受け入れるのか、という事に繋がります
あるリスクを減らせば、別のリスクが増える
誰しも日常生活では、二つとか三つのリスクを比べながら
一定のリスクを受け入れつつ生活しています
しかし、放射線の話になると、リスクはゼロであるべきという
議論を耳にします
《低線量のリスクをめぐる議論では、放射線の被爆量が一定値(閾値)
以下ならこれまで発症者がいないから安全という主張と、どんなに
被爆量が少なくとも危険という考えが対立している》
でも、両方とも一定のリスクはあるんです
ある値以下でも実はリスクがあるし、放射線のリスクをゼロにしたら
別のリスクが生じる
そのリスクを明らかに、これ以上のリスクは絶対駄目だけど、これ以下なら
当面受け入れる、その理由はこうですという議論をすべきなのですね
総てのリスクをゼロにする事は無理だし、人には寿命がある事を忘れては
ならないのです
…最後の死に方も選びながら、一生のリスクの総決算としての死を受け入れた
1/10か1/100か分かりませんが、私もまたそれを経験しつつ、死は避けられない
という事実を踏まえたリスク論でなければならないとも強く思ったのです
どういう死を選ぶか、受け入れるか、それがリスク論の起点だと
5年前に母がこの世を去った直後に最初の孫が生まれ、そして、
濱田さんが重大な病気だと宣告された直後に、2番目に孫が生まれました
人間は生き物なのですね。死の後に生がある。
(中西準子氏談)
今年ならではの記事でとても、為になるものなので
紹介させて貰いました
抜粋です
「リスクを計る」というテーマは、
どういうリスクなら受け入れるのか、という事に繋がります
あるリスクを減らせば、別のリスクが増える
誰しも日常生活では、二つとか三つのリスクを比べながら
一定のリスクを受け入れつつ生活しています
しかし、放射線の話になると、リスクはゼロであるべきという
議論を耳にします
《低線量のリスクをめぐる議論では、放射線の被爆量が一定値(閾値)
以下ならこれまで発症者がいないから安全という主張と、どんなに
被爆量が少なくとも危険という考えが対立している》
でも、両方とも一定のリスクはあるんです
ある値以下でも実はリスクがあるし、放射線のリスクをゼロにしたら
別のリスクが生じる
そのリスクを明らかに、これ以上のリスクは絶対駄目だけど、これ以下なら
当面受け入れる、その理由はこうですという議論をすべきなのですね
総てのリスクをゼロにする事は無理だし、人には寿命がある事を忘れては
ならないのです
…最後の死に方も選びながら、一生のリスクの総決算としての死を受け入れた
1/10か1/100か分かりませんが、私もまたそれを経験しつつ、死は避けられない
という事実を踏まえたリスク論でなければならないとも強く思ったのです
どういう死を選ぶか、受け入れるか、それがリスク論の起点だと
5年前に母がこの世を去った直後に最初の孫が生まれ、そして、
濱田さんが重大な病気だと宣告された直後に、2番目に孫が生まれました
人間は生き物なのですね。死の後に生がある。
(中西準子氏談)
今年ならではの記事でとても、為になるものなので
紹介させて貰いました