うつ病セルフチェック。俺やがな。
先々週に続き、先週も洋食店「オリアン」に行ったらば、中国人風店員が戻っていました。ああ、よかったよかった。
それはさておき、今週の月火水木金、そして土と、めまいに悩まされています。たとえるなら「10年に一度のめまい」「1976年以来のめまい」「史上最悪のめまい」といったようなもので、少々の立ちくらみやふらつきなどはほんの許容誤差であることを知りました。死ぬかと思うくらいごわんごわん回る、そう、いわゆる「回転性」のめまいであります。土曜の今日になってなんとなくマシになってきた感じがするのですが、薬が効いているのだかどうなのだか、土日が休みの勤務でありますのでよほど出勤が苦痛なのか(精神や思考には実体がないものと信じられているが、それが肉体に影響を及ぼすことは皆が知っている)、まあひどいものなのです。また月曜にぶり返すようならば、それ用の対策も考えなくてはなりますまいな。
また変なじんましんが出た。どうやら伝染病ではないこと、もしかしたら何かのアレルギー症状だけどあからさまにメジャーなもの(世の中の皆が一様に発症するスギ花粉症とかブタクサ花粉症とか)ではないらしいことが、前回の様子からも想像される。ことによると、猫アレルギーの可能性すら否定されたものではない。どうしよう、どどどうしよう。
既視感というものは、必ず、何かを見た後に起きると決まっている。見た後で「あれ、この光景知ってる」と思うことはあっても、それが前もってわかることはない。単に脳が混乱している状態なのであって、予知していたつもりになったとしてもそれは違う。
という観測を聞いたことがある。なものだから、先ほど「あれ」と思ったときに、いや、待てよ、これは認識がおかしいのではないか、自分の頭が間違っているのではないか、と考えてみた。感覚が鮮明なのにそれを否定するのはなかなか辛いというか納得しにくいというか、どことなく受け入れがたいものがありますよな。
「ゴリまっちょ軍団」を名乗る少年グループが強盗傷害で捕まった。東京は恐ろしいところだし、糞みたいな事件だな、と思うほかに、肋骨骨折でも全治三週間の診断なのだなとびっくりした。
骨折の原因が咳やくしゃみだったら、これが止まらない限りは痛みが治まらないどころかなお悪くもなるところで、そのためどうも五週間はかかってしまったけれどもどうやら僕のはほとんど痛みがなくなりました。やった!
それで、2月19日(日)の深山ファミリー健康マラソン大会の申し込み締め切りが2月5日(日)か。制限時間60分で8kmを走ることはさほど難しいことではないと思うけれども、しかし練習をしないで参加するのも失礼な話であって、毎年あるのがわかっていて走っていなかったのは悪いすよな。でも、いまさらどうしよう。すっかり出ないつもりだったけど、これに出なかったら自分の灯が消えてしまうと心得ていた大会だったのに。
おととし(旧コース7.3km - 坂あり)34分53秒、去年(新コース8.0km - 平坦)38分00秒。
日ごとに悪化する胸部の痛みは、筋肉痛でも神経痛でもなく、たぶん肋骨の接合部分(軟骨組織)だろうと確信している。とりあえず横になることはできるけれども、起き上がるときにどうやっても痛いのが困る。ひざを裏から持って背中を丸め、勢いをつけて転がるようにすれば楽に起きられるのではないか、と思って今朝試したら、起きる瞬間に悶絶した。
まぶしいとくしゃみが出る人がいる。僕もそうで、小さい頃からそれが当たり前だと思っていたら、どうも2~3割の人しかそんなことにはならないらしい。目からの信号が強すぎ脳が混乱して変な反射作用が出る説があるけど、2~3割の人に共通してその反射作用が出るということは、人類の遺伝的多様性のなさの表れである。数万年前の厳しい氷期のときには世界の人口が数千人にまで減ったという、その中で、やたらくしゃみをする人を祖先に持つのが我々の一派である。ついでに、我々とは別に、ミント菓子を食べてくしゃみをする一派もある。
そんなわけですから、くしゃみが肋骨の痛みを増長させることはわかっているので、光の不意打ちも避けなくてはならない。強烈な咳き込みも、今でも一日1回程度ある。重いものも不用意に持てず、特に高いところにあるものを取ろうとすると危険が伴う。走ることもできないし、まさにこれを恐れて早めに病院にかかって咳の対応に尽くしたはずなのに、及ばなかった。口惜しいやら歯がゆいやら…。
年末年始の大いなる休みの助けによって、風邪の諸症状はようやく回復の兆しが見えたと思いきや、肋骨の痛みが日増しに大きくなっている。妙に咳き込むことは日に1~2回に減ったものの、大きく息を吸うと大変辛い。それで、まともに咳もくしゃみもできない。咳は、気道に詰まった異物を勢いで排出する働きと心得ている。だから、恐い。この三が日に餅はすでに、「むしゃくしゃして二人やった」と言ってる。老人の窒息死の仕組みを今ここで経験しているような気がする。咳が辛いからといって、窒息するのと肋骨が折れるのとでは選択の余地はないように思えるけれども、理屈ではない。
飲み物が口の中に広がった瞬間、脳天を突き上げるような痛みがあってその後しばらく消えないようなら、あまり我慢せずに早めに歯医者に行こう。神経が腐りかけている状態らしい。
その後、口の中の温度が上がると(口を開けずに長くいるとき。たとえば、寝ているとき)、それだけで痛む段階が訪れる。いよいよ腐っている最中なのだそうだ。
そして今度は水もしみず風もしみず、ただものが当たったとき、何かをかんだとき、押されたときに大変な痛みを感じるようになる。先のほうが腐りきり、奥の部分が先鋒となったのだそうだ。
ありがたいことに年末年始は休みでして。しかし休み直前にえらいことになって、慌てて歯医者で治療をしていただいた。本当に「助かった」と思いましたね。助からないと思っても助かっている。大山康晴。よいお年を。
読売新聞の人気コーナー、「人生案内」の心身担当であった辻悟先生のことを思い出して便利なネット検索をすると、亡くなられていた。思い出していたのは、回答のたびにほぼ必ず「自分の内のことと外のこと」という訳のわからない表現が登場するその内容が皆目理解できなかったことだったんだけど、最近、精神分裂病(統合失調症と呼ぶようになって久しいが、精神が分裂しているわけでもなく統合が失調しているのも適切といいがたい病気であり症状である)のことをずっと言っていたのだなあ、と少しわかったような気がしていた。でももうそれも読めないのだと知った。
訳のわからない回答では、今は朝日新聞土曜版「悩みのるつぼ」(会員専用ページでした。すみません)の上野千鶴子おばさんが際立っている。一応「社会学者」という肩書きを載せて回答はするんだけど、社会学者としての見地から回答を下すことは稀(それでも控えめに表現したほうで、実際は、ただの一度もないと言っていいと思っている)で、この人は男に生まれていたらきっと男尊女卑の権化となっていたであろうなという、何ら男女平等の信条によらず、ただ天邪鬼な性格によって女尊男卑についているにすぎない感じが下品でしようがなく感じる。ごり押しと説得は違うのだということを、誰か近くにいる人が教えて差し上げないといけないのではないだろうか。
来年の深山ファミリー健康マラソン大会の出場は絶望的です。
少し訳があって、昨日、JR新大阪駅周辺を歩いた。飛行機がすぐ頭の上を飛ぶんだ。すごいねえ!すごいねえ!まあそれはよしとして、そのときは気がつかなかったのだけど、ふと思い立って記憶をたどってみると、待てよ、これはいよいよもしかすると、今年初めての県外だったかもしらん。ところがせっかく街に出ても遊びかたを知らないので、まっすぐ行って用事が済んだらまっすぐ帰ってきた。今考えるともったいない気はするけれども、だからといって、ではどうすればよかったかと思い浮かぶこともない。
咳(19日目)は、のどのちょうどよくないところにたんが絡む感じがして明け方に死ぬほど咳き込んだのが、朝起きてみると、患部が少し下にずれた気がする。何かのきっかけで咳き込むことは解消されないながらも、幾分過ごしやすくなった感じはする…と思ったけど、薄々感じてはいるけれどもひょっとすると、風邪ではないのではないか。料治直矢の死が近い頃がそんな感じじゃなかったかと思い出してWikipediaを見たら「敗血症」って、ちょっと参考にならなかった。
統合失調症の人は、自分が考えていることが、自分の考えていることなのかどうなのか、本当に判断がつかなくなるらしいのよ。
自分の考えには違いないのだけど、それが、他人の声 - それか、自分の別人格(簡単に言えば、他人である) - で聞こえる。それで、自分が考えていることが他人に筒抜けになっている感じがして、何らかの形で「思考を盗聴されている」「監視されている」「自分の考えや行動に合わせて様々な嫌がらせをする」、あるいは「誰かが頭の中に命令をしてくる」と思い込んでしまう。そこでちょうどいいのが、「電波」や「電磁波」であります。何か得体の知れない、それでいて科学的な響きがあるものだから、頻繁に悪者にされてしまっている。最近では「放射線攻撃」という新手も登場しているらしいよ。
空耳の強力なやつだろうか。聞こえているんだからしょうがない。「幻聴」と言われたって納得できるわけがない。それをこじらせていくのが典型的な統合失調症であります。
人の耳もけっこう当てにならないものでしてね。普通、音がどの方向から聞こえてくるか、というのは、後天的に学ぶものらしいのです。耳は複雑な形をしていて、音がいろんな反射をする。そして左右の離れた位置にある。その左右の時間差や反射の微妙なずれと、実際に音のする方向との対照が赤ん坊の頃からしっかりと叩き込まれているから、その音を聴いたときに、それがどの方向から聞こえてくるかがわかる。粘土みたいなもので耳の溝を平らに埋めて聞かせると全然方向がわからなくなる実験をテレビでやってた。
そしてそれも普通の空気中を音が伝わる秒速三百何十メートルの速度の話に限ります。なぜならば、日常生活のおよそほとんどすべてがこの環境下であるからです。音(振動)は、密度の高いものの中を速く伝わってゆきます。水中では深度を増すほどに音のする方向がわからなくなるみたい。そんな速さの音に慣れてないものですから。
人の感覚なんて、簡単なことでだまされてしまうのかな、と思うのです。時々心配になって、自分が考えていることが本当に自分の考えとして認識できているだろうか、と気にしてみることがありますが、それが自分で判断できるようなら誰も苦労はしていないのでしょう。自分は違うと思っていますが(病気の人は皆そう言うらしい)、やっぱりなんかこわい。
その状態が長く続くと、自分の考えと外で起こっていることとの区別がつきにくくなって、思ったことを無意識に口に出すようになったりもするらしいのです。自分の声が耳から聞こえてきたとしても、意識はそれを中のものか外のものかいちいち区別するようになってない。考えていることが本当に外に漏れているとしたら、それは、あなたが口に出しているのです。
寝る前にこんなことを考えていたら、いったいどんな夢を見るのだろう。
1924年のイギリスのエベレスト遠征隊の記録の中で、ハワード・サマヴィルがえらいことになった話を読んだ。気管に入った肉片のようなものを吐き出してみると、のどの粘膜であったのだと。咳をしすぎると、肋骨にひびが入るだけではない。頭にずしずし響くようになるだけではない。意外な損傷にも気をつけなくてはなりません。
咳(13日目)。明日の朝はひどく冷えるらしいすな。
食料自給率は総出荷量から算出されるので、食べ残しは影響しない。といっても、残すくらいならはじめから消費に回さないことが望まれるし、せっかく作られて運ばれて加工されてきたものを食べずに捨てることほど無駄なことはないと思っていて、「宴会料理の半分は食べ残し」と言われる現状を打開できないかと、出た料理のうち、せめて自分のものはできるだけ食べるように努めてきた。だけど、この間、キムチうどんを残してしまった。うどんはおいしかったのに、どうしてわざわざキムチを入れるのだろう。
そして今日、昼の配達弁当の最後の一口をついに残した。食欲不振である。