昨日は朝の好転から一転、夕方には気温が摂氏3度まで下がる急変も、体調には悪いほうにしか作用しない。滝行とか水風呂とかあるけど、覚悟なしで急に寒いところに放り出されたら、風邪を引くに決まっている。
そんな夜をあけて、トウモロコシは元気に芽を増やしている。寒いのに頑張ってる。そういえば、根を広げる生育初期に、土中に養分が潤沢でない厳しめの環境に置いておくと、根の張り具合がよくなる説がある。甘やかすと養分の吸収能力が育たないんだって。
幼少期にぬるま湯に浸かっていると、大人になって苦労する説。
前に4つ一度に食べて胸焼けがしたことがある。その反省を踏まえ、もう無理して食べるのはよそう、という意識が働いたためでもあるのか、最近は2個も厳しい。おいしくいただけるのはせいぜい1個だけ、という体になってしまった。
アメリカNBCのテレビ番組「サタデーナイトライブ」で放送された、架空商品「リトルチョコドーナッツ」のCM(出演者は1982年に死去していておおかた40年前のもの)は、いくらなんでもそんな甘いドーナッツはないだろうと思っていたら、ヤマザキのがそうだった。砂糖を山ほど練り込んだ生地から作ったドーナツを砂糖水に浸して乾いたところへ砂糖を塗り固めたみたいな、ああ、実際にこんな甘いのがあるんだねえ、という甘いドーナツ。十種競技の世界チャンピオンのジョン・ベルーシが、小さい頃から食卓に欠かしたことがないという砂糖たっぷりドーナツ。ドーナツを食べて君もチャンピオンだ。
もう一つ、あくまでも自己診断によると、骨折しているところがある。3年くらい続いている痛みがあって、治りかけたり悪化したりを繰り返している(と想像している)。ネットで見た治しかたは、運動を控えてじっとしておく、というもの。短距離走のスタートみたいな急な力の入れかたが特によくないらしい。いや、そう言われましてもな。
あとは、のどが。違和感を一年放っておいたら咽頭癌がいよいよ末期だった人の話を聞いたり、死の迫った料治直矢を思い起こすようないがらっぽさがあったりすると、なんか嫌だなあ。
年を取ると、いろいろあるねえ。
態様は様々だが、総じて、「思考」「感情」「行動」の機能がうまく統合していない状態であるといわれる。
ただ、症状が軽く、一見して通常の社会生活が送れるようにも見える程度の人をよく見ると、単に「思考」がおかしいだけ、ということがある。そのおかしな思考を正しいものと確信し、また自分の行動が周りにどう思われるかに想像が及ばないが、思考の正誤は別にして、思考から感情に至る経路、感情から行動に至る経路はなんと正常だ。精神が分裂しているわけでも統合機能が失調しているわけでもないのだ。
だからって何もできないけど。この段階で「病気」を自覚しておらず、自分の正しさが絶対と信じている人の首に、誰が鈴をつけられるのか。ただ悪化を見守るだけである。
全身と書きはしたが、特徴的なのは主に足で、それで靴の話題に触れた。忘れないように書いておくと、一ヶ月くらい感じていた違和感が、あれからさらに一ヶ月経って、やっぱりうっすらとおかしい。
足先のしびれといえば糖尿病くらいにしか探し当たらないところだけど、総合的に見て自分は違うと思っている。塩分の過剰接種が何らかの影響を与えるとしても、コストコ祭りで買ったシーソルトポテトチップスの大袋を5日間かけて食べたことくらいしか思い浮かばない(ただしつい昨日までの5日間のことだから、前後関係が違う。いや、もちろん不摂生の反省はしている。ただ、生涯で一度はしてみたかったの)。
そういう、足痛メモです。かかとをはじめとして、ふくらはぎから指先まで通ったどれかの筋がおかしいふうなのです。人の夢の話を聞いても訳が分からないけど、人の不調話を聞かされるのも時間の無駄感が強いよね。あなたの時間を今頂戴した。うひひひひ。
心当たりはないがなるほど、そっち向きの薬を処方される。そして、家に帰り着いた瞬間に、昨夜の家での様子が思い浮かんだ。いや、確かに古くなっていたおはぎを一個食べたけれども。半日も経ってから出るようなものだろうか。安物のあんこには余計な水分が混じっている。少しの水分と適度な室温があればたちどころに繁殖する雑菌であるから、体が抗いきれない量にまで増えた状態で口にしていたとしたら、それはいけませんですな。
それから一日、食べ物を摂ることができずに体重が2kg落ち、翌日も中途で力尽きた。
そして今日も本調子でないまま芝作業そのほか。体重1kg戻る。
同年代で糖尿病こじらせ人工透析の人とか寝たきりで指でボードを指して会話するしか術のない人とかの様子を見聞きする機会も多いから、人並みには健康に気を使っていい境遇。そうありながら、思い返せばこの頃はろくな昼食を摂っていなかったなと腎臓に許しを乞うこの三日間。反省してまーす。
そうして一日に2kg以上落ちたと思われた体重だが、昼に三分、夜に七分と徐々に食事量が回復したのに加えて夜中にごはん一杯食べたら、1.5kg戻った。
食べ物よりも、飲み物でしょうな。水分の取りようが当日と翌日で大きく違う。とらなかった本来必要な水分がすぐにため込まれただけのことだから、一日の変動など気に留めるに値しないのでしょうな。
運動だろうなー。痩せようと思ったら。太りすぎて心臓に負担がかかるからって医者に運動を止められるようだと、もう救いようがないのかもしれませんのですが。
痛いの痛くないのって、「何かおかしいな」と気が付いたのが去年の5月連休の頃で、諸情報により「たぶんこれが『五十肩』なのだろう」と思って、ただ一年を過ごしてきた。これには特に治療というものがなく、自然治癒を待つだけのものらしい、と入ってきた情報が、もしかしたら誤っていたのではないか、と一年を過ぎて思う。痛くてもできる限り動かしたほうがよいとか、温湿布がよいとか、言われてみれば心当たる節がある。
それで、遅まきながら、特に意識して動かす機会を増やすことにし、併せて、五十肩の緩和を効能にうたう武田「アリナミンEX」60錠を律儀に3錠×20日間飲用した。少しよくなったような気もするけどあくまでも運動の効果のような気もするし、とりわけ冬の寒さが体に悪かっただけで機構的には何ら治っていないという疑念も残っている。治った気になっても、やっぱり不意の急な動作で悶絶する。
動かすのがよいのは、経験上からもどうやら確からしい。
午後に「出血を伴う手術」を行う予定がありながら、午前中に「血小板成分献血」をしたことがある。手術といっても健康上の理由があったわけではなく、歯科の「インプラント」、つまり歯茎に土台を仕込んで強力な差し歯をするような、そんな話。
いざ手術となったとき、「血が止まりにくいことがあるから、念のため、先に血液をいくらか確保しておき、そのときには自分の血液で止血を試みる」とのことで、まず採血をされた。まさに午前中に吸い取られた血小板だ。本番は、結局血が止まらないこともなく無事に済んだと聞いたから、まあ、献血というのはよっぽどの安全側に立った採血基準をもって、普通の生活を送る限りは特段の悪影響が出ない程度の量しか抜いていないのだとわかる。悪影響が出るのはせいぜい10万人に何人とか何十人とか、そんなところである。献血の帰りに出血を伴う交通事故に遭う可能性だってあるわけだし、献血をしたせいで簡単に死ぬ、などという話はついぞ聞いたことがないから、献血後の注意事項、「激しい運動はするな」「飲酒・喫煙は控えめに」「重い荷物を持たないこと」などは、本当に「念のため」なのだろう。400ml全血献血をした日にランニング練習をする人の話をネット上で見たことがありますしな。
トラック運転手が、休憩時に缶コーヒーを飲み、配送先で出されて缶コーヒーを飲み、始終缶コーヒーを飲んでいたがために糖尿病を患った、という話を聞いた。日頃から清涼飲料水、炭酸飲料をむやみやたらに飲んでいたことが原因でなった、と言う人もいる。また、言うことを聞かないおじいさん糖尿病患者について病院の人から聞いたのは、その人が病床を抜け出しては好きな大福を買いに行って、まったく病気の自覚がないし、多少よくなって退院しても家で好きなものばかり食べるからすぐに病院に戻ってくる、とこぼす様子。
最近、ヤマザキの「ういろう」をよく食べていた。職場そばのスーパーマーケットで昼に1個買い、ほぼ毎日のように通算50個くらい買ったろうか。その後、補充が大量入荷されたと同時に購入をやめたら、このところずっと売り場に山積みである。そんな遊びをしていたのもそもそも甘いものが好きだというバックボーンがあるからだ。特にこの頃は、体調不良の気配を感じたときに高カロリー摂取をもって予防線を張ることを作戦する次第で、世の中の平均的水準をはるかに超えて、甘いものを食べていると思う。いや、当初はその作戦だったが、今や体調に関係なく、甘いものを食べる。休日出勤時に少しずつ食べようと思って5個入り大福を持っていったのがうっかり油断して1時間そこそこで食べきってしまうし、最近は昼に「ういろう」に代えてヤマザキ「みたらし団子」(串3本に刺さったやつ)を残業に備えるつもりで買っているが、どうも昼に全部食べきってしまう勢い。食べながら、先述の糖尿病おじいさんの大福のことなどを思い出すのだけれども、自分もこういう食事様式を重ねていると糖尿病が間近なのか、ことによると自覚のないまま突入してしまっているのかもしらん。
学生の頃、「お前は一人暮らしをしたら死ぬ」と、友人に言われた。思えばその当時から甘いものはずいぶん食べていて、土産の12個入り赤福を、他の誰も食べないからその友人と二人して一度に空けたことがあるが、お前こそ人のことを言えた立場か。とりあえず、明日から気をつけよう。
同級生が大病に襲われ、年下が糖尿病を患い、そういえばいとこの死亡時年齢を超し、まあ、そういう年頃になってしまっているのだな、と思う。精神をこじらせた同級生もいるが(毎日のように職場に電話がかかってくるものの、今のところ、幸い、自分とは接点を持たずに済んでいる)、これに関しては幅広い年齢層に発症するので特に年齢を意識させられることはない。ただ、中でも我々の年代が最も、その身勝手さを最大限に発揮し、要求の理不尽さにおいて群を抜いているように思う。そんな年頃である。
一か月ほど前から肩が痛くて、ネットで見る限り、これが五十肩(四十肩とも)なのか腱鞘炎なのかを知るためには医師の判断を仰がなくてはならないことがわかる。そして、五十肩というのが、単に加齢にともない普通に起こる症状、くらいに思っていたら、どうやらその程度ののんきな病気ではなさそうなことも。とりあえず、痛みが落ち着いてきたところから希望的観測をするに、五十肩ではなかったのだろうとは思っているが、しかし寄る年波は感じるもの。
「歯医者は、虫歯にならない方法を知っているが、患者には秘密にしている」という噂話を耳にしたことがあります。歯医者のような特権的、専門的職業の人々の言葉は盲目的に信用してしまうのが凡人の常。全面的に信頼を置いているとはいいませんが、普通の人の言葉よりも説得力があります。積年の疑問を尋ねる機会がついに訪れまして、その答えは、「歯医者も虫歯になる。何ならずともブラッシングがすべての基本である」とのことでありました。
もしかすると、まだ何かを隠しているかもしれません。
そこそこに混雑をした店で品物を眺めていたら、一人の警官が店に来て店長を呼んで話を聞いたのち、店内を見て回っていました。何か通報があってやって来た印象。
決して自分が何かをしたわけではなく特段に何も感じることはなかったのですが、心情のシミュレーションとして、仮に自分が万引きであるとか盗撮(ペン型カメラが流行)であるとか器物損壊であるとかをまさにしている状況、監視の対象が自分であることを想定してその警官を意識してみると、なるほど、落ち着かないものです。
世の中では、街や鉄道車両内に監視カメラを設置する話が出るたび、「これで安全・安心に」「治安向上」「冤罪撲滅」など賛成が(おそらく)多数の中、「プライバシーの侵害」「監視社会が自由を封殺」など、ことに日本では特にある一部の種類の人々がまず一様に反対の姿勢を見せるのは、いわゆる「統合失調症」の一症状を除いては、それが、何か悪事を働いているか、働こうとしている気質や計画のある人なのだろうな、と実感を伴って確信するところであります。
精神障害に挙げられる要因のひとつに「双極性障害」といわれる状態があって、その状態を生じている人の中には、顔にそれとわかる共通点があることも多い気がしています。もちろん誰もが気づき得る点であって、特に医療関係者はそこに口を閉ざしている感じも受けるのですが、実際、その病名がついている人ばかりか、ついていなくても、将来その診断を受けるおそれが大きいだろうなと想像できてしまうほどに顕著な特徴が見て取れるのです(全員が揃ってそうかというとそこまでの自信はなくて、ただ割合として「多い」と感じる程度であります)。
表情を形成する筋肉の一部が凝って、その特有の表情を作りだす、というなら別に構いはしないのですが、一見するところ普通(社会生活を送るうえで大きな不都合がないといえる程度の状態)でありながら、実に厄介な性向を見せることのあるその状態は、知らずに接するとひどい目に遭います(いやまったくもって)。「そもそも関わったら負け」とまで思わせるそれも、そうと知って接していれば対処のしようもあるのかもしれませんが、状態を生じている人と生じていない人とで同じ顔をしていては打つ手がありません。
まあそれでですよ。将来的になりそうな人も同じ特徴を有しているということは、それは症状が原因なのではなくてもともと持っている素養なわけですから、遺伝という言葉を使ってよいものやらどうなのやらわかりませんが平たく言ってそういうことなのでしょう。そして、国民的にまるまるその傾向を持っている国もあって、その国に対してもやはり「関わったら負け」という傾向があって、ああ……と思うのです。
今日、職場に回覧がありました。指名手配とか行方不明者の捜索とかではないのですがそれに類するような情報提供で、顔写真を見たときにそんな気がしたと思ったら、なんということでしょう、「双極性感情障害」と書いてあって、我が意を得たりというか、その考えは確信的なものとなりました。偏見と言いたくば言いなはれ。特徴は、そうした表現の専門家ではないので誤解を生じぬようわたくしの口からは避けますが、書かぬけれどもあるんだよ。