ハートロッカー

2015年03月17日 | ■MOVIE


ハートロッカー

*存分にネタバレしてますご注意*

《イラクには兵隊用語で、爆発を例えて、「"ハートロッカー(行きたくない場所/棺桶)"にお前を送り込む」という言い方がある。》パンフレットより。

何度見ても緊張する。
いつの間にか主人公に惹かれるから一層、ドキドキして見る羽目になる。
なんかドキュメントっぽい。
しかも前に観た他のイラク戦争の映画よりか、土地の様子がリアルに感じられる。

それで、何処で撮られたものかを確認すると、ヨルダンだった。
パンフレットによるとヨルダンには、イラク人も多くおり(実際その他シリアやパレスチナの難民もいる)、中には俳優もいて、映画に参加したそうだ。

映像ではカメラがよくブレる。わざとだろう。
有難い事に酔わない。

主人公は何度もイラクにやってくる。

イラク戦争、爆発処理が任務の米軍兵士が主役。
800個以上の爆発処理を行ってきた。
873個!
それだけ死と直面してきたわけだ。

主人公に惹かれるのは、謙虚だからだと思う。地元の人の心を理解しようと努めているように、それとも、平和を心の底から願っているのかも、と、所々で感じられる。

これでまた不満分子が増えた、と呟く時、子供とサッカーをして遊ぶとき、知り合いの子の行方を探すとき。

この、爆発処理の仕事を、淡々とこなしていく姿が続く。
時には、砂漠で撃ち合いになることも。

2004年のイラク。
主人公は、車に隠された爆弾の処理に当たることもあったのだが、その爆弾が積まれた車が燃えているのを消火器で消し止め、車中に入って仕事を行う。

こちらは、もう見ているものが信じられなくなる。燃えている車ーそれも爆弾が積まれた!ー に近づくのも恐ろしいだろうに。

路肩に埋められた爆弾があちこちで炸裂したりするようになってしまったイラクでは、爆弾が埋められた場所に白い旗が立てられていたと言うのを前に本で見たことがある。

主人公は、帰国し、自分の幼い子供と妻と再会する。

そしてまたイラクへ帰る。

彼は奥さんに言う。
イラクでは、子供たちに飴を配り、子供が集まってきたら爆破するような事がある、だから行かないと。っていうような事を。

なので彼は、イラクへ何度でも戻ってくるのだ。
どうせ死ぬなら気持ちよく死にたい、なんて言って、処理に当たる。
幾つも繋がった爆弾が、土から現れる。
携帯で遠隔操作を行っている者が近くに居るかもわからない。

爆弾は厄介過ぎる。

子供たちが走り回るかもしれないのに。
あたしはとても不安になる。

その中を、主人公が次々、爆弾処理をしていく。

彼と、爆弾との闘いがずっと続く。

最初に爆弾処理に当たった人は爆風で殺された。防護服は完璧に守るものではないしとても重たそうだ。

ちょっとの爆風で、少し離れた所にいても、背中を向けて逃げる間、背中は熱風で火傷するのだと、何かでみた。
とにかく、爆風で飛んだ何かの破片とかで、殺されたり、失明したりするというのは、よく知られている。
だからピンポイントで空爆しようと、巻き添えになる人達が多く居るだろうなと思う。余計に人の恨みを買うだけなのではと思うことがある。

映画では、25mだったかな?以内は、死の領域だと言ってた。

これについて、パンフレットでは、
《爆弾の破片は、毎秒およそ820メートルの早さで飛ぶ。爆発の中心地から膨張して出てくる加圧ガスの衝撃波には殺戮能力があり、時速21,000キロの速さ、1平方センチ辺り、110トンもの力で飛び出す》パンフレットより。
となる。
数字に弱い私には何が何やら?だが。

彼が爆弾の処理にあたることで、死なずに死んだのは米軍兵士だけではないはずだ。
最後に出てきた人は助けられなかった。それをわかって主人公は相手の目を見つめて謝罪した。

米軍が嫌われる理由があった面も存在し、米軍を攻撃する人達がいたのは事実で、反米でなかった人までそうなっていってしまった面もある。テロはずっと起き続け、たくさんの兵士やイラク人、そこにいた人や、ジャーナリストが殺されたりした。

けれど、この主人公が救ったのは米軍だけじゃないだろう。

こんな現場は決して増えないほうが良いのだけど。

爆弾の処理にあたって、もしくは爆発によって殺された人は恐ろしいほど居ると思う。そうした事が伝えているのは、なんだろうか。

戦えば戦うだけ無意味な負の連鎖を起こしている可能性がある。

このイラク戦争に日本人のあたしも、無関心で居てはならない。

主人公はまた戦場へ。今度も帰って来れるのかは誰にもわからない。

アメリカンスナイパー 映画とPTSD

2015年03月02日 | ■MOVIE


↑パンフレットから適当に選んで

『アメリカンスナイパー』
*ご注意!!*この記事は時々ネタバレしてます*あらすじにはほとんど触れておらず感想メインですがネタバレも含みます*

観て良かった。映画館で泣いたのは初めてだった。
戦争美化している映画って言う批判もあったらしいが、むしろその逆。
確かにアメリカが、イラクの人達から嫌われるだろうなあ~と思うような部分には、あまり触れられてはいないが、この主人公の生きた人生をひたすら追っていくことで、何が問題なのかが、はっきり見えてくる。
そこで、観ている方は、いやというほど争いの愚かさをまざまざと知る。
だから、この映画を見たら、戦争美化とは間逆の思いを抱く。

撮影はモロッコ!やっぱり!!

映画は、アザーンと思われる音から始まる。戦地で響くスピーカーからの祈りの音。
戦地にいる人ほど祈りたくなるのではないのだろうか?と思うが、実際はどうかわからない。あまりに悲惨な世界を見ると、神など居ないと思うかも知れない。
想像しても、わからない。

前に、「告発のとき」と言う映画があった。戦場を舞台にしていないけれど、戦争とずっと向き合っている映画だ。戦地へ向かった兵士の心の問題に触れられていて、子供が言う台詞がぐさりとくる。昔話を聞いた子供が、王様はどうして子供に戦争へ向かわせたの?というようなことを言うのだ。

この映画も、どうして、兵士は心を病むのか?と言う点に触れている。

戦争から帰還した兵士の五人に一人が心の問題を抱えているというのを見た。
あたし自身PTSDでも、相当辛く、これ以上のひどいものなど想像を絶するのだが、兵士の方はPTSDと言う言葉では表現できないほどの重度のPTSDだと言うのを見たことがある。

主人公は、ちょっとした音に非常に鋭い反応を示していたが、まさにPTSDの症状の一つだ。
あたしのは彼よりずっと軽いPTSDだろうが、それでも、同じように、ちょっとした音にパニックする。
人より強烈に反応するのは、音が、平穏な神経のときよりずっとずっと、大きく響くからだ。それは音量のことではなく、頭に高性能センサーが取り付けられていて、頭の奥から響いているように聞こえたりするのだ。

なってみないとわからない感覚だが、決してPTSDをオススメできない(笑)

主人公の心は蝕まれていくと言うより、傷口がどんどん悪化していく。
同じ意味のようで、心を蝕まれると言う表現は、あたしは使いたくない。

主人公が、弾丸を打ち込むように、米軍がミサイルを撃ち込むように、武装組織が攻撃してきて銃弾を浴びせるように、
主人公の心は、それと同じだけか、それ以上かの傷を、心に受けていく。

見た目には全くわからない。
傷は心に受けており、体に見えないから。けれど心の状態が体を借りて見えたとしたなら、自力では立っていられないほどだろう。

右に曲がるか左に曲がるかで、生死を分けるような場所で、生きることへの緊張感と、目にしたくも無い仲間の死と、その他多くの死、あらゆる惨劇の真ん中にいる事は、あたしから見たら、心が拷問され続けているのと同じに感じる。

一面に広がる景色は死と、廃墟で覆われている。人々が暮らす通りでも、次の瞬間に死は訪れる。

ズタズタになっている廃墟を見ると、ここに住んでいた人達のどれほどの人が死なずにすんだろうかと思う。どれほどの人が怪我を負っただろう。どれほどの人が難民になっただろう。外国へ引っ越したのだろう。

主人公らは、アメリカが何故か、フセインとつるんでいるように言っていたザルカーウィーらを標的にする。つるんでいたという話はデマなのだが、そもそも、フセインを倒しにイラク戦争に突っ切ったこと自体が、疑問ありありの展開だったのだ。日本はそれに賛同した。そのことは忘れられて良いはずがない。

主人公が敵対する武装組織は、アルカイダだけではないが、ともかく敵方にはとんでもない狙撃手がおり、何度も危険な目にあったり仲間を撃たれたりする。

実際、前に読んだ、ある本でも、武装組織の狙撃手の恐ろしさが書かれていた。本では、米軍の兵士が次々と撃たれていくのだ。相手は、頭ではなく、首を狙ってくると書いてあった。その本もすごくリアルだったが、映画に話を戻そう。

主人公は、敵の狙撃手を遂に撃ち倒す。
主人公は、仲間を助けるために戦地で敵を撃つのであって、除隊してからも、もっと仲間を助けるために敵を倒したかったと言う。

前にテレビで見たが、アフガニスタンの戦争に参加した当時ソ連の友好国の兵士が、帰還した後、あの戦争は間違いだったと言われる事に苦しんでいた。

自分たちは国のために戦ったのだから、間違ったことはしていないと思うのは当然だ。

実際、戦争で仲間を失い、後遺症に悩み、怪我を負ったりした人を孤独にさせてはならないのだ。

彼らは、敵に恨みを持っていてもおかしくもないし、安全な場所にいる人が見なくて良いような見たくもないものを見て帰ってくる。

彼らのような国のために戦った人達、戦う人達がいるから、私達は、守られている。

ところが、確かに現実は、イラク戦争は疑問視されることなのだ。

ここで折り合いが付かない。
国民全てが、ありがとうとは言わない。

兵士だけじゃなく、情報や諜報に関わる人達も、その他多くの人達が、国が安全であるよう国のために尽くしている。中には信じられないことをする人たちも居ようが、命懸けで国の安全を守ろうとする多くの人がいる。

安全な場所で守られている国の偉い連中らが、頭の中で戦争をするから、こんなことが起きるのではないのか。
自分勝手な思惑のために他国に干渉する国があるからではないのか。
争いが起きる素地が条件を満たしてしまうまで止められないからではないのか。

アメリカは、イラク戦争のあと、復興に向けてイラクで米軍を活動させていた。
主人公は、何度もイラクへ向かい、治安の悪い地域へ乗り込んでいく。

復興活動しているつもりでいても、米軍のことを占領軍だと思っている人もいただろう。
アグレイブ刑務所で行われた囚人の虐待が表に出たが、イラクの人達を、そう言う風に……虐待しても構わないような感覚で見ていた米軍の兵士なども、実は全体的に居たのではないのか。
そう言う人がイラクの人達を見る目が、その事件で一部形になって表に出ただけではないのか。
もちろんそんなことをしなかった人達だってたくさんいただろう。

でも、どうして米軍はそんなことをしたんだろうか?

もしかしたら、仲間が殺されたり、自爆攻撃などの被害に毎日のように遭遇して、終わらない争いの中で、恨みや怒りや疲れがあったのかもしれない。

いくら、腹が立っても人を虐待してはいけない。けれど、そんな当たり前の事が、そこでは機能しなくなるのかもしれない。

戦地で人を邪悪にしたりするものは、戦争の害で、そもそも人が正常に生活できるわけもない場所にいれば、心を冷静に保つことなど、ほとんど不可能ではないだろうか。

主人公が、敵を蛮人呼ばわりするが、彼にそう言わせるものはなんだろうか。

イラクからシリアなどに逃げて行った人達もいる。

前に見たある本では、ザルカーウィーは、イラクのシーア派とスンニ派を対立させる目的を持っており、宗派対立が起きず、イラクの人達が、一つになっては、自分たちの出番が無いのだと言っていた、と言うような事が書かれてた。

イラクでは、スンニ派の人達が、シーア派の首相に虐殺された事もあった。
米軍はイラクでシーア派の武装組織やスンニ派の武装組織とも戦う。

この映画の主人公達は、あるイラク人の一家に乗り込んでいき、ザルカーウィーの情報を提供しろと迫る。イラク人は当然なのだが、アメリカ人に協力していると思われたら危険な目にあうと言っている。

米軍が撤退した後も、そこでの生活があるイラクの一般人には当然の思いだろう。

この一家の結末は悲惨だった。

主人公の結末も衝撃的だ。

帰還した後も、後遺症に苦しみ、奥さんもまた、彼の心を心配し続ける。

実際に、離婚をされてしまう兵士もいるそうだし、そうでなくとも、家族が抱える問題は深刻だ。

大使館爆破事件に憤り、海軍に入る主人公。イラクでもアルカイダを追って武装組織と戦う。確かに彼の敵はアルカイダだった。

一度の戦いで倒せたらいい。
だが、敵は、イデオロギーであり亡霊なのだ。

だからこそ、完璧に壊滅は出来ないだろう。

フセインが独裁者でいた頃のイラクでは、確かにテロが毎日のように起きたりしなかったかも知れないが、フセインは信じられないほど、冷酷で残酷な人間だった。独裁者が抱える問題は、多くのところで、疑心暗鬼や権力への執着心ではないだろうか。

ちなみにトラウマも、PTSDの一つの症状だ。

主人公らの心の問題は丁寧に理解され支援されなければ、本人だけで立ち上がって行くことは無理だろう。


そして残念なことに、イラクにいる米軍や外国人が、どんどん危険になるような状況にしかならない。

圧倒的な善は、悪を壊滅しようと徹底的に行動に出る。だけど、その善は、善である行為に、結果的にはならなかったりする。

暴力で倒そうとする場合、心を入れ替えて、平和を目指すようになる人は、どれくらいいるだろう。
もっと頑なに、そして過激な思考になってしまう人は、たぶん多いのではないか。

アルカイダの現在リーダーであるザワヒリと言う容疑者も過去にエジプトの刑務所で拷問にあって、過激な思想になっていったと言う話もある。事実かは分かりかねる。
たとえこういう人物でなくとも、暴力で倒そうとされたら、どんな人物でも、もっと強固になってしまう人は多いかも知れない。

事実かは分かりかねるといったのは、たいていの本でビンラディンは、米軍が、サウジアラビアに駐留した頃から過激な人物になっていくと書かれるのだが、この間アメリカで、テロの資金源などを暴く仕事をしている人の本では、そうじゃないことが書かれてたからだ。その人が匿名の人物なので、その話自体が事実かもわからないのだが。

恐怖で制圧する以外の方法をとりたいなら、とことん戦争行為ではない方法も、考える必要がある。

戦争行為では、敵と味方を作り、恨みや怒りを産み、廃墟と難民と死亡者を作り、それがどれだけテロとの戦いで優位になっただろう。

長い争いの中で、アメリカ自体が、疲れきっている。

何が勝ちで、負けなのか、はっきりできるだろうか。
何と戦っているのか、戦地へ行かない政府は本当に理解しようとしているんだろうか。

テロリストと手を組んだり、問題のある国への対応を友好国だからと曖昧にしていたり、しないだろうか。

その間にも、後遺症に苦しんでいる人達の戦争は終わらない。

国のために命をかけた人達を、その国の国民も政府もケアしていくのは当然のの事ではないだろうか。無関心でいると、彼らの傷はいつまでも癒されることはないのではないか。

PTSDは、あたしのような、戦争の後遺症ではない状態であっても、普通の生活を送ることに苦労する。
太陽を浴びろとか、外に出かけたらとか、一見素敵なアイデアであっても、(外は大きな音がするし人に酔うしパニックしやすい)逆効果をもたらすことも多い。
もちろんそう言うアイデアをくれた人にはたとえ逆効果であっても感謝している。わからない中で、励まそうとしてくれているからだ。
大丈夫だよと言われた時は、とても孤独になる。でも、相手には感謝しかない。
PTSDには自責の念という、自分が病気である事の無力感から、自分を責めて、最悪の場合、死んでしまうこともあるそうだが、近い経験をしているので他人事ではない。死の壁に挟まれて出られなかった時があったのだ。でも出た。
どうやって? 二、三カ月もした頃急に、目的を持ったからだ。

戦争の後遺症はおそらくもっともっと酷いだろう。


エンドロールの無音が、あたし達に突き付ける。

戦争が起きるのは何故?

平和になるためにはどうしたら?

それをみんなが考える映画だ。
観て良かった。