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鼓曲萬来

忖度と斟酌

先陀婆(せんだば)なんていう言葉がある
これはどういう意味かと言いますと、昔国王が家来達に物を伝える時、
言葉に捉われすぎての行き違いが多い事を考慮して、
「よく状況を理解して推し量り、最良の行動を取れるようにと、
事あるごとに「先陀婆をこれへ」と家来達に一言で伝え、
家臣達は状況を理解し、己で王の気持ちを汲み取り
その時最良の行動を起こす、
という話に出てくる言葉

勿論「先陀婆」には意味等無く、
簡単に言えば「あれ」とか「それ」とかの抽象的な事柄を指すものなんですね。

従って家臣の能力はこの「読解力」や「状況判断能力」に於いて
その真価を問われたというもの。

これは物事を学ぶ者、或いは仕える者の有り方として
よく引き合いにに出される、いわば心得としてよく使われるものですが
最近巷ではあまり聞きなれない、
このような意味に重ねる言葉が頻繁に耳に入ってくる訳です。

それはまるで、「日本流行語大賞」でもとりそうな勢いで使われるのだが
そう「忖度」(そんたく)という言葉.......。

例の学園土地払い下げの一件で、一躍脚光を浴びる訳だが、
別にそれはそれで良いのだけれど、何か使い方を誤っている気がするのだ、
あるいは日本語を知らないというか、浅いというか。
つまり、「この件に関して
政治家と省庁の忖度はあったのか、なかったのか」というような質問。

忖度は前述の如く推し量るという事、
つまり、これは人である以上あって当然のものである、
それにあったか、なかったかはまるで意味を持たず、
当然責任問題を問われるような類の範疇ではない。
では、日本語に於いてどう質問すればいいのかと言うと

ちゃんとそれに付随する言葉がある
忖度した物を実際の行動に起こす事、
それを「斟酌」(しんしゃく)と言うのだ。

忖度して斟酌に移して、初めて実際の責任が生ずる、
つまり「この件に関して斟酌はあったのか」と問うて
初めて具体的な事例としての動議の発動になるのだと思う訳です。

まあ、質問の入り口からずれているのだから、
当然うやむやな動議になっていくのは明白
 
情報も一面から見れば、その内容や語気等で
さもまことしやかに伝えられて参りますが
そこには当然、報道の策意が込められている訳で
ただ五感にあたえられる刺激だけで判断すると
つまり最初の印象とかに左右されると
大事なものを見逃す事も大いに考えられますな
 
例えば一旦内容とかに捉われる事無く
全体的な報道姿勢とかも判断の一つに加えてみると
その報道の、いわゆるネームというか
いの一番に何を大切かと思っているのかとか
何を言わんとしているか等
報道内容の順番一つにしても、別の角度から
その思惑が見えて来る事もあります
 
「本質を見る」という事は
言うまでも無く本質は見るものではないけれど
物事を他方面から考えてみる
あるいは目に見えるものに左右されずに
目に見えないものを見ようと
深く本体迄掘り下げ考えてみる..そんな感じでしょうか
 
日本語の中でも好きな言葉の一つです
 
まあ、まとまりも無くそんな事を考えてる訳で
色々とやらなくてはいけない事も沢山あるのですが



 


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