1966,7年の頃ですかね
ビートルズ、ストーンズというマージ―ビートからの
ブリテイッシュ全盛の時代がスインギンロンドンなんて時代を通って
サンフランシスコからモンタレー、ウッドストックに至るちょっと前の時代
自分たちのバンドもアマチュアの段階でしたので
テクニック的にも難易度が高かった訳ですが
レパートリーに取り上げるか否かは別にして
常に周りから聞こえて来るサウンドはそんな頃の楽曲でした
ブリテイッシュサウンドからアメリカンサウンドの巻き返し
そんな印象がありましたが
まだまだアルバムというよりシングルヒットが中心
代表的なバンドとしてラスカルズやラヴィンスプーンフル
そしてビーチボーイズ、モンキーズ、ママス&パパスあたりが
ヒットチャートを賑わしておりました
勿論ビートルズ、ストーンズ、或いは
ブリテイッシュなバンドの人気は引き続いておりましたが
そんな頃にいわばアメリカンらしい、
つまりブリテイッシュなサウンドとは毛色の違った
何曲かの曲をば今日は思い出しながら
まずはこの曲
シカゴの前身ともいえるブラスを中心とした
バッキンガムス
カインドオブアドラッグの次の曲
もうすでにシカゴやBST等の次の時代の
ブラスロックの片鱗が見えております
Don't You Care
その頃はテレビでもようやく海外ポップスの紹介番組や
GSの出現もあったりして
ちょっとずつではありましたけれど
演歌や歌謡曲以外の音がテレビでも聞けるようになって来た頃
ビートポップスなんて番組があって
よくヒットチャートに昇った曲が紹介されていました
そんな中で曰く「牛も知ってるカウシルズ」なんて司会のフレーズで
この曲もよく聞こえてまいりました
雨に消えた初恋の次の曲で「空飛ぶ心」
We Can Fly
その頃のシーンはサンフランシスコに移るちょっと前の時代
もうサンフランシスコのポップカルチャーは台頭し始めの頃
モンタレーやウッドストックに主流が移っていく直前
Tommy James & The Shondells - Crystal Blue Persuasion
それまでのロックシーンとは大分別の意味で感じが変わってまいりまして
何かアメリカの大手プロダクションや果ては映画会社までが
ロックの経営に携わってまいりまして
モンキーズの出現でロックの感じも大分変って参りましたね
なんというかエンターテイメントな部分が
前面に出て来たバンドも増えたというか
簡単に言えばモンキーズみたいに
実際に演奏なんて出来るのかと思うバンドも
Jelly Jungle (Of Orange Marmalade)
わが国でもGSが台頭したのもこの頃じゃなかったかと
タイガースがTVに登場して
演奏したのがこのバンドのKICKS
ポールリヴィア&レイダース
エンターテイメントなんていうブリテイッシュ全盛の頃には
あまり見られなかった、そんな感じのいかにも
まさにアメリカって感じのバンドが多く出現したのもこの頃です
Paul Revere & The Raiders - Good Thing (Audio)
という事でBRITISH INVESIONの影響を受けつつ
自分にとってはマージ―ビートやブリテイッシュブルース
そしてスインギングロンドンから
モンタレー、ウッドストックに移る直前の短い時間
しかし、なんというか高校一年、二年っていう
そんな時期でしたから
まあ、色々な思い出と共に甦って来ると申しますか
解りますでしょ
色々な事w
Sunlight
ジャズ喫茶にも通い詰めておりましたし
将来の仕事について考えてみたり
親に黙って夜出歩いてみたり
まあ、なんというかそういう物と
音とかが混然となりまして
この頃の曲に触れると
楽曲よりも先にそういった色々な出来事がオーバーラップして
この時期の曲にはグッと来てしまうって訳なんですわ 乙
Part2
二弾と続けるほど大好きなサウンド
ひとまずイギリスのバンドが大旋風を巻き起こした後の
アメリカからの巻き返し
と言う程の注目度はさほどありませんでしたけど
その後のモンタレーやウッドストックに繋がる
大事な時期に登場したバンド
ちょっと渋めが多いですけれど
個人的に入れ込みもある大好きなバンドでもあります
まずはクリッターズ
当時のラヴィンスプーンフルの影響も多大に受けておりまして
彼らのヤンガーガールをカヴァーして
これもヒットしましたね
The Critters - Mr. Dieingly Sad
アソシエーションはイギリス真っ只中のそれまでのバンドにはなかった
コーラスを中心とした正にアメリカのバンドって感じ
ソフトなイメージも強かったですけど
こういったサウンドの言わば先駆者的な
いかにもアメリカっていう感じのハーモニーを中心にしたグループでした
モンタレーにも出演しておりました
The Association | Windy (HQ)
アメリカでのビートルズフォローの一番手は
デヴィットクロスビー、ロジャーマッグインのバーズあたりだと思いますが
当時のボブデイランのミスタータンブリンマンをカヴァーして
フォークロックなんてジャンルを確立しておりました
同じくデイランのIT AINT ME BABEをカヴァーしてデヴューしたのが
ザ、タートルズ
メンバーのハワードケイラン、マークボルマンは
後にFLO&EDDEIとして活躍しましたし
一時フランクザッパのバンドにも参加しておりましたな
She'd Rather Be with Me (2016 Remaster)
レフトバンクのキャッチはバロックロック
いわゆるクラシックなサウンドを取り入れたサウンドでした
と言っても、その手は何と言ってもイギリスのプロコルハルム
蒼い影程の大ヒットとはいきませんでしたけど
「いとしのルネ」はそれなりに
多くのアーテイストにカヴァーされたりして
二枚目の「バレリーナ」もそこそこラジオから聞こえてきた記憶があります
Walk Away Renee
サークルは正にビートルズとの関係が濃密であったのも
マネージャーがブライアンエプスタインという事もあって
ビートルズのアメリカ公演の前座まで勤めていたそうです
レッツドラバーボールがヒットした後の曲がターンダウンデイ
そしてこの曲はポールサイモンの作詞作曲
The Cyrkle ~ I Wish You Could Be Here (Stereo)
ビートルズに始まったブリティッシュ・インヴェイジョン
それを受けての今回の投稿ですが
特にそれ以後、モンタレー、ウッドストックと
音の中心がアメリカのサイケデリックロックに移っていく過程の
エアポケットのような時期
他にも沢山のアメリカンな良いバンドが沢山ありましたけど
ジェファーソンエアプレイン、グレートフルデッド
サンタナ、ドアーズといった
アルバム中心に展開するサウンドのちょっと前の時代
まだシングルに重きが置かれていた時代
そしてジミヘンドリックス、ジャニスジョプリンといった
ベトナム戦争に揺れるアメリカの音の象徴といった
そんなミュージシャン達にシーンが移っていくちょっと前の音
それでも次の時代に繋がる大切な要素も沢山内包しておりました
ビートルズやストーンズはもうずっと先を走り始めておりました。