もうすぐ暑かった今年の夏も終わり
となりますと何故かこの時期は決まって
ちょっと淋しい気もどこからか湧き上がって来る訳でして
気分的に申しますとメランコリーとも言うんでしょうかね
ちょっと英語だけに悲しいとか虚しいとかとは
別のフィーリングも感じさせます
いや、兎に角この夏の終わりの時期はメランコリーなんですわ
マイロンリーファーストラブ~♪ですか
何故かグッと来ますね
いや、なんの私にも青い渚はあった訳で
今の方々からすると
「古臭え~!」と思われるかもしれませんが
当時メランコリーはこういった感じだったのです
青い渚
マイロンリーファーストラブって訳じゃなかったんですが
高校に入った頃、付き合っていた彼女が
今もあるんですかね.....
千葉に安房勝山(あわかつやま)という駅があって
そこの民宿に泊まってるから
遊びにおいでよと誘われた訳です
いや、これは当時の自分にしてみれば
下心フルスロットル全開案件な訳ですよ
で、そそくさとその駅までかなりの時間を要しましたが
赴きまして
さて列車を降りて駅構内に一人佇む彼女を探した訳です
なんか...映画のワンシーンのような
軽井沢とかと違って安房勝山ってのが語呂的になんなんですが
「避暑地の出来事」なんて言葉も浮かびました
しかしありゃ.....
手を振る彼女の周りに4,5人の御学友が...
まあそうですよね、当時女子高校生が
一人で民宿なんかに泊まれる時代じゃありませんもの
ちょっと考えりゃ解りそうなものなのに
当然部屋でも彼女たちの好奇心と良い飯の種になってしまいまして
当然一晩お泊りしましたが女子体育部の合宿の様な有様
まさにメランコリーでしたわ
望みは申し訳ありませんでしたけど
「避暑地の出来事」一択だったんですもの
スパイダース : 1968 : 真珠の涙
いや、しかしメランコリーってのは日本語に訳すとなんて言うんでしょうね
まあ、よく解りませんが兎に角夏の終わりはメランコリーになります
それもどうしてこの時期にそうなるかというと
おそらく小さい頃からこの時期が
ある種の終わりを感じさせるのかもしれませんな
つまり、「ああ、もう夏休みも終わりだ~!」というDNAレベルに刻まれた
「又学校に行かなきゃなんね~のかよ~」という
暑い夏の終わりと共に無意識から記憶が蘇って来るからなのかもしれません
更に申せばもっと幼少期
当時小学校の校庭で夏の終わりに移動映画上映なんてのがやってまいりまして
夜、校庭に集まって昔のアニメとかを見る日がありました
東映の白蛇伝とかそういう奴ですわ
当然じっと見ている筈もなく
悪ガキ共は校庭を走り回る訳です
そんな折、この映画のスクリーンの向こうはどうなってるのか?
それが取りも直さず一番の関心事だった自分は
こっそり幕の後ろに潜りこんだ訳で
てっきり前とは違って後方から見ている状況になると信じてた絵は
想像とはまるっきり違って単に左右が逆なんだと知って
がっかりした事を今でも何故か覚えております
物事を別の側面から見るように想像する
そんな見方を養ってくれた事には感謝致しますが
もう古希を過ぎてあれ今日は何曜日だったっけ?という
殆どロングバケーション状態の今でさえ
そんな気持ちになるというのは根本的に
メランコリーが正しく解釈出来ていないところに起因するのかとも思いますし
突き詰めれば宇宙的慟哭といったジャンルに拡がっていく事も懸念されます
しかし夏も終わる今メランコリーな気分に浸ってばかりはいられません
メランコリーの反対は何というんでしょうね
メランコリー解消の手立てがありましたら是非御指南の程をば
なーに9月になればなったでそんな事も忘れてしまうんでしょうけど
まあ、こんな感じですかね 終夏乙
Since I Lost My Baby