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鼓曲萬来

THIS IS MY BAG 8(1967~8)

1967年高校に入ってすぐの頃 聞こえて来るサウンドの変化は
もうとてつもないスピードで変わって行きましたけれど
自分たちのバンドはそれとは違って別次元
ドラマーとしては当然押さえて置かねばならない事を覚えるだけで精一杯
基本的な事さえままならないそんな状況でしたが
聞くレパートリーや覚えた曲も増えてまいりまして
ROCKだけにとどまらずJazz,C&W,R&B
周りからの影響もあって
色々なジャンルに渡っていきました

時代はモンタレーやウッドストックに向かうといった状況でしたが
出来立てのバンドはとてもそういったサウンドに手が届く筈も無く
楽器の基本的なテクニックを覚えるだけで精一杯

つまり部活動の延長のようなそんな水準でしたけど
しかし練習を重ねる内にバンドはアンサンブルとかタイム感とか
少しずつではありますが技術も向上してまいりまして
色々な音楽的テクニックも習得していく訳です

#衣装の気持ち(改)



そしてこの頃からクラスメートの奴らと
初めてバンドらしいバンドを組みまして
いや、勿論まだアマチュアの駆け出し、当然難しい曲は出来ませんでしたけど
それでも3コードのR&Rとか必死に覚えて
徐々にレパートリーは増えて行った訳ですわ
まあ、1曲上げるのに1ヶ月を有するなんて事が多かった気もしますが
ドラム叩きながら歌うのは
他の校内のバンドにいなかったから結構自分でも盛り上がっておりました

その時に一番揉めたのが
これが....ね
笑ってしまうんだけど
どんなサウンドとか、どんな曲やるかって話じゃなくて
つまり...どんな衣装でやるかって事で揉めたんですわw

まあ...当然、最初の話、これになる訳ですよね
ビートルズのピエールカルダン「襟なしスーツ」です
襟なしスーツ、シャツにネクタイ、キューバンブーツ!
いや、しかし、こんなの当時の日本には影も形も無かった訳で

それじゃ仕方ないって事で
ブレザーにスタンドカラーシャツがいいんじゃない?
次にそういう話になったんですが
そうなればデーブクラークファイブですな

 しかし、これも、スタンドカラーなんての
どこ探してもなかったんですね
キンクスの狩布シャツも当然の如く、ありませんでした

まじ、そんな事より練習して曲上げろよって話ですが
なんというか正直申しまして
こういうの着て文化祭とかで格好良く演奏したかったんですよ~w

捜しゃ、どこかにあったのかも知れないですけどね
あったとしても買える財力も当然ございませんでしたけど
まあ、気持ちだけって事でw



「もう探すの面倒だから、縦縞ビーチボーイズ!」
そういう声も出たんですが
それには強行に反対しましたわ
あの忌まわしいフォーク
キングストントリオじゃねーつうの!

で、その高校生バンド結局どういうスタイルにしたかっていうと
その頃でも案外簡単に手に入った
黒のタートルネックに白のコッパン、普通の革靴ww
そんで、各人、親父に借りた、ジャケット(色違い)
いや、随分理想とかけ離れてしまいましたけどね
いやなんの...
気持ちマンフレッドマンでした
完全にマンフレッドマン!
誰が何と言おうとマンフレッドマン!


教室の机、沢山寄せ集めて其の上にドラムセットして
ブームスタンドなんてその頃無かったから両足とスネアの間にスタンドたてて
いや~、思い出します、あの頃のバンドをやろうって気持ち

基本、中高と男ばかりで育ったもので
女子高校生の生態とか皆目見当もつかなかった訳で
乙女チックな幻想も持っておりました
実際、女子高校生といっても、中身は実のところ
結構おやじだと知るのもうちょっと後の事で

しかし、その頃、そんな事解りませんから、
カッコいい服着て演奏する、そいつがただ一つの
セクシャルな自己アッピールだったんでしょうな



只、残念な事にその後、親父に借りたジャケット、
もう度々貸して貰えなくなって
最終的に、全員、黄色いカーディガンになってしまいましたが

この後、時代もどんどん変わっていって
もう揃いのコスチュームなんて世界じゃ無くなっていく訳ですけど
タートルネックとか着ると
今でも、不思議と何か、気持ちがあがるんですね
気持ちだけはロンドンやリヴァプールに飛んでおりました


そんなジャズ喫茶でドラムを勉強しつつ

練習しレパートリーを増やした其の高校生達は

二年生の終わり頃から
学校の文化祭や部室、教室での演奏だけでは飽き足らず
世間の演奏場に進出して行く訳で有ります

The Who - I Can't Explain  

その頃の事は以前記事を書きましたので
初めての学校の外での演奏
不安と期待の入り混じった気持ちで
全て吸収するつもりで夜の街に出て行った訳ですね


文化祭での演奏は勿論ですけど
当時赤坂の乃木坂にあったギロチン
そして川崎の21(ツエンティワン)等で演奏しながら
日本青年館でのバンタン主催の演奏会等で経験を積みながら
高校3年生の時に渋谷にあった天井桟敷での演奏から

富士夫との縁が出来て
京都にというのが今回のTHIS IS MY BAGのながれ
アマチュア時代の事を色々と書いてまいりましたが
とりあえず此の後 Rock'n Roll My Way Part1 に続くという事で
ひとまず中学、高校時代の事は此れにて一件落着
又想いだした事があったら書いて参りたいと思います

Out Of Time (Strings Version) 

という事で一旦これにて 


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