1966年 中学3年生の中期
それまで聞くこと専門だったところから
ドラムが手に入り 少しずつ練習しながら
自分もバンドを組んで演奏したい
そんな気持ちも起きてきた頃
叔父がお下がりのドラムを持ってきてくれまして
最初は親もこれには顔をしかめてましたけど
成績が下がったらやめるという条件で認めて貰った訳です
で、ドラムは完全に自己流なんです
いや勿論誰かに習おうかなとも思ったんですよ
きちんと基礎から習おうと思ってはいたんですけどね
家は室内装飾業つまりカーテン屋という事で
地下に資材を保管する地下室があって
これ幸いとそこにセットを持ち込んで
タオルでミュートして家に帰ると即練習の日々でした
メーカーは何だったですかね
勿論無名のドラムキットでしたが
そんな頃のドラムのお手本といえば
やはり当時のヒット曲
ヤングラスカルズやラヴィンスプーンフルが人気ありましたし
ビートルズ、ストーンズあるいはちょっとブルースっぽいバンド
それにフーやスモールフェイセスのようなモッズ系も
まさに次に訪れる時代の先駆けともいえるような
そんな音がラジオからは聞こえてまいりまして
真剣に真似して フレーズコピーして練習しておりました
で、本日のTHIS IS MY BAGですが
まず最初に練習したのは
いかにドラムを叩きながら歌うかという事
まず最初に練習したのは
いかにドラムを叩きながら歌うかという事
勿論ベンチャーズのメルテイラーもお手本の一つでしたけれど
自分の場合
ドラムを演奏するのも歌を歌うのも好きでしたし
気に入ってるドラマーは叩きながら歌うのがカッコよかったんですよね
リンゴスターとかゲイリールイスとか
ドラムを演奏するのも歌を歌うのも好きでしたし
気に入ってるドラマーは叩きながら歌うのがカッコよかったんですよね
リンゴスターとかゲイリールイスとか
当時「よくドラム叩きながら歌えるな~!」と言われましたが
この意識しない感覚は身体で覚えるしかなくて
身体に8ビートを覚えさせて 意識しなくても勝手に手足が動くように
もう時間さえあれば手足を動かしておりました
意識せずにが大切で
そうなるまでに時間がかなり掛かったと思います
更にリズムを一定に保ちながら知ってる歌を歌う
これは最初は本当に大変な作業でしたが
次第に慣れてくるとテンポを変えたり
サビでフレーズ変えたり フィルといっておかずも盛り込みながら
色々な曲が演奏出来るようになってまいりました
正に身体で覚えるって感じ
其の頃 最初に実際のドラムで練習していた曲をば
ランディのドラムにリックのヴォーカルですね
ベタですが最初に徹底的に練習した曲であります
ザ・マッコイズ ハングオンスルーピー!
其の頃 最初に実際のドラムで練習していた曲をば
ランディのドラムにリックのヴォーカルですね
ベタですが最初に徹底的に練習した曲であります
ザ・マッコイズ ハングオンスルーピー!
Hang on Sloopy
66年から高校に進学する67年に入りますと
自分にとってこの時代は何か社会、時代が変わっていく
そんなエネルギーを一番感じた時代
1964年に始まったベトナム戦争は泥沼化し
我が国では黒い霧事件が取り沙汰されていた頃
まあ、音楽的にどんな時代だったかは どれほど衝撃的であったかは
実際にどんな音が出現したかで一目瞭然だと思います
それまで3分のPOP MUSICに慣れていた耳に入ってくる驚きの音
そしてなにより今までのモチーフとは違った切り口の
詞やメッセージが曲には取り入れられて行きました
1966年といえば
まずビートルズのリヴォルバー、ストーンズはアフターマス
そしてフーはクイックワンの頃
それにR&B スタックス、モータウンのサウンドも
そしてこの年には 新しい動きも始まった訳で
それまでには耳にした事の無いような感じの音や
ジェファーソンエアプレイン
クリーム そしてポールバターフィールドブルースバンド
サイケデリックなんて言葉も登場しまして
歌というより演奏と即興演奏に重点を於いた
シングルというかアルバムの時代がやって来た訳ですね
そしてその流れは更に加速して
高校に進学した67年には
サージェントペッパーロンリーハーツクラブバンド
ジミヘンドリックス ドアーズ
そしてその年にはモンタレーPOP Fesが開催されて行く訳です
同時に我が国ではようやくGSのブームがやって来る訳です
REMEMBER 1967
イやあ、66年の後半から67年に掛けての
音の変化で受けたショックは想像出来ますでしょうか
それまで聞いていた音楽とはまるで構造も違っていたし
一方でそれまで知っていた曲のドラムを手本にして練習し
片方では次々と現れて来る 新しい音に手探りでフレーズを耳で覚えていくという
ハッキリ言ってそこには相当の隔たりと時代のズレがあって
現実の時代感というか自分の技術との差はどうしても埋まりませんでした
それでもなんとかその時代感を埋めようと努力もしましたし
まあ、それはそれとして今の自分に出来るところから始めるのが
一番確かな動きじゃないかなと言い訳がましく
自分にはそう納得させていた訳です とりあえずもっと上手くならなくちゃなと
1967 SUMMER OF LOVE
まあはっきり申しまして
この頃から学業成績も徐々に落ちてまいりまして
翌年高校に進学する訳ですが
中高一貫の学校なんでなんとか、なんとか進学出来たのですが
当然他校受験なんて事だったら大変な事になってたでしょうな
1967 - The Summer of Love | Free Documentary History