ヴィラ池上 wild fancy . . .

3日坊主がはじめたら、

ふかい ふかい三渓園

2020年10月31日 04時45分00秒 | 

おしさしぶりに なりましたっ 

いつもとなんら 変わりのないワタシです

と  云うことにいたしますので こんばんwa

実は  おはようございますだったり

お天気つづきのある日の横浜で  三渓園へゆきました




この横浜 三渓園は 、 国の重要文化財に指定されています

10代にならない頃から papa のお仕事の関係で近所に連れられて

ここの良さを知ってはいたものの

足を運ぶことは一度もありませんでした







日本には 良いところが沢山ありますね

毎日 なんの役にも立たないプライドや 小さな後悔を

“  そんなの必要ない必要ない  ”    あふらっく  

て 想えるほど 緑と音がステキな処でした





三渓園 という名の由来は この土地からきたもの

と思っていたら  そうではありませんでした

生糸貿易で財を成した 原  三渓(はら さんけい)の所有地ですが

元はこの 原 三渓が結婚した妻の 祖父( 原 善三郎 )が 広大なこの土地一帯を購入

ふむふむ 、三渓にとって 善三郎は養祖父ということなのですね  

その三渓とは改名で 本名は 富太郎  、富太郎自身 

生まれは岐阜県 、 代々 庄屋をつとめた青木家の長男で生を受け

幼少から漢学・詩文・絵 ← のちに重要文化財になる引金のもと

と  学び 、とても堪能な人物でした

妻と結婚を( 明治24年に ) して原家に入籍したあとは 家業を継ぎましたが 

個人商社だった原家を 合名会社に改組していったそうです

実業家で成功を成し得た三渓は 、 この横浜三之谷へ移居

さまざまな面を持ち合わせた三渓は 、古建築の移築を始めました

明治39年には この三渓園を無料開放して  

美術品や陶芸家の支援・育成をされたそうです

また 関東大震災後は 横浜の復興へと力を注いだとのこと











この三渓園に京都ゃ鎌倉から古建築を移築したり

自身で “ 書 ”  ・  “ 画 ” をも嗜むので これらはこの庭内

三渓記念館に収納されていました

ちなみにこの横浜 本牧にある三之谷に在する三渓園

明治20代に 原 善三郎が園内に “ 松風閣 ” (山荘)を建てる

そののち 原 三渓(富太郎)は  原家本宅 “ 鶴翔閣 ” を建てる

ここから 善三郎が三之谷の地名を  三渓 と号した

そんな とてーもゆかりがあるなんて

三渓園 てあたり前に呼んでいたけどさぁぁぁ

三渓が深くて  三渓に改名して  だから三渓園

なんだか more than いいイイって感動しました

11月になりますと  三渓園でも紅葉がみられます

おデートに  いかが ?  るんるん ♪







またねん ♪





















コメント
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