風のいろは 何いろ?

手を休めずに種をまきなさい。
どの種が芽を出すか、わからないからです。
(リビングバイブル:伝道者の書 11-6)

幸せであっても虚しいのは、なぜ?

2002-12-22 | 日記(旧サイト~移行分:未分類)
先日「生きてて良かった記念日」と書きましたが、むしろ、「生まれてきてよかった記念日」とすべきだったナー、と、昨日 帰る道々考えていました。
そして更に、幸福感と生まれてきてよかった感との違いを考えました。

自分は幸せかそうでないか。全世界の人類と並べてみたら、
どちらかというと「幸せ」の部類に入ると思います。
食べるに困った事がありません。
寒さに震えたこともありません。
雨露、風をしのぐ屋根の下に住んできました。
(裕福とはいえないけれど。貧しいけれど。)
大きな病気や怪我も知りません。
特に不健康なところもこれまでありませんでした。
心の健康も何とか保たれています。
たくさんの人から愛され、大切にされてきました。

しかし、それでも人生の虚しさは感じます。
もし…すべての事に恵まれ、何でも思い通りになったら、どうでしょう? 満足するでしょうか?そうかもしれないと思いましたが、しかし、そのような立場を体験した〝ソロモン王〟は、聖書「伝道者の書」で告白しています。
ソロモン王は知恵に長けた人であり、また財産も相当なものでした。これほど この世的な物に恵まれた人はいなかったのではないか、という位、恵まれた人生でした。
しかし彼は、結局は、いっさいは空kuuであり、風を捕らえるようなものであった、と感じました。

さて……幸せであっても、虚しさがつきまとう人生。虚しいということは、生きる意味がわからないということででしょうか?
やがて死で終わるから、虚しいと感じるのかもしれません。
【死】 = 【×0 で 結局 0】 になってしまう人生。私にとって、人生とはこのようなものでした。
イエス様に出会っても、人生の虚しさの答えは、実は戴いていませんでした。(まだ天国の確信が私にないから)
神様と出会って平安や慰めをたくさん戴きましたが。(もし私がいまだに信仰を持つことができないでいたら、もっと辛い毎日を送っていたことでしょう。それこそ「囲い」から出た迷える羊のように。)
少し中途半端な信仰のように、自分の信仰を感じていました。人生について、大きく欠落していた所があったので。

しかし、先日戴いたK姉妹のメールで、、、、、ほんとに生まれて初めて、「生まれてきてよかった~」と感じたのです。なんというか、、、姉妹と共感できたこと、によって、というか。それだけではないけれど。どうして、あのメール一つで、自分がそんなふうに感じたのか、わからないのですが。

少しずつ少しずつ、答えを主から戴いているのだと思います。

なんだか良くわからない書き込みで、ここまで読んでくださった方、ごめんなさい。


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