体温というものを、きょうのクラスで、とても感じた。
西荻ほびっと村学校、10/27。
人には一人一人に体重があり、それを受け止めて人は一人一人、立っている。
その内部には、一人一つの火があって、ときに淡くときに強くヒカリを発しているのではないか。
というようなことを、人の体温が伝わるとき、感じる。
いろいろな体温がある。体温は、その人の中の中で冷たくなったり暖かくなったりしながら、とてもデリケートに、その人の魂の声を、こちらに届けてくる。
同時に、内部の火やその発するヒカリの変化変容が、体温とともに、身体全体の佇まいや微細な運動に、なって、ゆく。
踊りが発露してゆくとき、おそらく、人は正直になっているのでは、と思う。
たとえ、ごく細やかな動きでも、ウソがなければ、そして、その人自身が深く受け止めていれば、体温や体重の確かさとともに、その人自身の現在が、周りにいる人間には、しっかりと、届いて、心と心が動き合い始める。
体温が届くことの貴重さを、ダンスのたび、思う。
踊りは人と人のあいだに起こるものだと思う。
そこに人がいて、ここにも人がいて、、、。
そんな事実が胸に肚にグッと響く瞬間、それは踊りならではのかけがえない体験だ。
人と人のあいだ、肉体と肉体のあいだにこそ湧く魂や感覚の受け渡し。これは、ある種の風か。
何かの始まりを感じながら稽古を終える、、、。
西荻ほびっと村学校、10/27。
人には一人一人に体重があり、それを受け止めて人は一人一人、立っている。
その内部には、一人一つの火があって、ときに淡くときに強くヒカリを発しているのではないか。
というようなことを、人の体温が伝わるとき、感じる。
いろいろな体温がある。体温は、その人の中の中で冷たくなったり暖かくなったりしながら、とてもデリケートに、その人の魂の声を、こちらに届けてくる。
同時に、内部の火やその発するヒカリの変化変容が、体温とともに、身体全体の佇まいや微細な運動に、なって、ゆく。
踊りが発露してゆくとき、おそらく、人は正直になっているのでは、と思う。
たとえ、ごく細やかな動きでも、ウソがなければ、そして、その人自身が深く受け止めていれば、体温や体重の確かさとともに、その人自身の現在が、周りにいる人間には、しっかりと、届いて、心と心が動き合い始める。
体温が届くことの貴重さを、ダンスのたび、思う。
踊りは人と人のあいだに起こるものだと思う。
そこに人がいて、ここにも人がいて、、、。
そんな事実が胸に肚にグッと響く瞬間、それは踊りならではのかけがえない体験だ。
人と人のあいだ、肉体と肉体のあいだにこそ湧く魂や感覚の受け渡し。これは、ある種の風か。
何かの始まりを感じながら稽古を終える、、、。