1月27日のことを、もう一言だけ、、、。
アウシュビッツ収容所が解放されたこの日は「国家社会主義の犠牲者たちを偲ぶ日:Tag des Gedenkens an die Opfer des Nationalsozialisumus」と言う名でドイツでは1996年に法的に追悼日と定められましたが、その宣言の中に
「記憶に終わりがあってはならない」
という言葉があります。
これほど重い言葉があるでしょうか。この言葉はまだ生きているでしょうか。
対して、「大衆の理解力は小さく、忘却力は非常に大きい」という言葉があります。ヒトラーです。
人間が人間を、計画的かつ規則的に制度的にそして日常的に、さらに戦闘でなく一方的に、かつてないほど大量に抹殺したという事実。
その根底になにが、、、。
今年2017年ドイツ議会での追悼時間「Gedenkstunde」では、初めてナチスのオイタナジープログラム:Euthanasieprogramm(安楽死計画)というものの犠牲者約30万人に対して焦点を当てて追悼の意が捧げられたそうです。
オイタナジープログラムとは障害のある人や遺伝的な病気をもつ人に対する迫害、強制断種、人体実験、虐殺であり、やがて人種政策に拡大して底なしのホロコーストに結びついたもの。
これを意識してか、先日NHKが『フランケンシュタインの誘惑:“いのち”の優劣・ナチス・知られざる科学者』と題する番組を放送して、これは背筋が凍るような恐ろしい内容でした。
ホロコーストの犠牲者はヨーロッパ全体で600万人、戦後ドイツはユダヤ人に対して個人補償だけでも6兆円あまりを支払っていますが、ホロコーストの対象はより広く、
社会的に非生産的な人間、異なるイデオロギーを持つ人間、病める人間、肉体的あるいは知的に障害を持つ人間、、、。など、ナチスは、あらゆる論理であらゆる市民に対して優劣を決めつけ「優れていない」と決めつけた人々を卑しめ苦しめ殺したのでした。
国家が人間に対して「命の選別」を行ったのです。
ホロコーストの背景には「生きる意味」がある命とそうでない命があるという思想があったのです。
この「命の選別」に影響を与えた一つに当時ヨーロッパを席捲していた優生学があったという点に注目したこの番組は、優生学の権威オトマール・ フォン・フェアシュアー博士とナチスの関係から生じた「断種法」の存在と障害者迫害の実行、またそれがホロコーストにまで結びついてゆく経過を巡るドキュメントでした。フェアシュアーはアウシュビッツ収容所で人体実験を行っていた医師メンゲルの師匠にあたります。
断種というのは、身体障害や知的障害や遺伝病などをもつ人々に不妊手術を行い、社会に「健康な」子どもしか生まれないようにする、という恐るべき考え方で、これを法的に強制するということをナチスがした。それが「断種法」です。
また、その根拠に利用されたのが当時もてはやされた「優生学」という学問。これは、いかにして「健康」で「優れた」遺伝子を後世に伝えてゆくか、という科学研究だというのですが、同時にそれは、存在に価値を決めつける根拠にも転用され、いかにして「優れていない」遺伝子を持つ肉体を社会から排除するか、というエリート思想と政治に結びついたのでした。
ナチスは国民の遺伝子情報を国家が収集し、それに基づいて結婚を管理し、不妊手術を強制し、さらには収容所に送り人体実験や研究対象とし、挙句、結局は殺されてしまう人も大量に出たのでした。
当時は経済破綻と格差社会が人々の生活不安を強めていた。現在にも似るその背景のなかで選挙票を集め政治を握ったナチスは、経済政策と国家再生を建前にしながら徹底的な弱者排除からホロコーストへと行進を開始したのです。
また当時は優生学そのものが世界的な広がりを見せて、断種という行為もアメリカが先行して開始していて、ロックフェラー財団はフェアシュアーに資金援助を行っていたという説もあります。
優生学(eugenics)の創始者はダーウィンのいとこであったイギリスの科学者フランシス・ゴルトンですが、思想的にはギリシャのプラトンにまで遡ることが出来るという説もあるほど古いそうです。well born すなわち「良い生まれ、あるいは良い遺伝」というものが人間にはあるという考え、またそれをいかに引き継ぎ拡張するかという考えは、つまりは「命の優劣」というものがあるというヒエラルキー思想に結びつきやすかったのではないでしょうか。
フェアシュアーは優生学を利用して遺伝的に優れた能力をもつとみなされる人々が存在するとし、それらの人々が結ばれ出産することによって人間の能力がより拡大するという考えを示し、これをナチスは政策的に奨励し、やがて、その裏返しの論理として「優生学的に問題のある」人々という存在をでっち上げ次々に迫害し始めた。当時ドイツ国民の200人に1人が強制断種の犠牲者になった、と番組は伝えました。
そして、この優生学がいかにしてユダヤ人大量虐殺に結びついたかという経過が明らかにされるのでしたが、これは恐ろしすぎて僕はここに書きたくないから、直接その番組を見るか色々な資料に当たっていただきたいです。
さまざまな状況を知るにつれ、あの悪夢は本当にヒトラーとナチスの狂気という異常で例外的な出来事だったのだろうか。あるいは戦争という事態を背景にした特殊な出来事だったと言えるのだろうか。という疑問も浮かんできます。
もしかしたらナチスとあの時代に限定することが出来ない、より深くより広い根が人間のどこかに存在していて、それは状況や意識変化の次第で、これからも牙を向く可能性が皆無ではないのではないかという不安と恐怖心が、僕には消えないのです。妄想であって欲しいけれど。
原爆にも、より広くは原発にも重なることかもしれないが、あのホロコーストの背景には、殺意や破壊や不条理を正当化する一面的な論理に科学が関与していたという事実を知って、ある犠牲が多数の救済を生む代償を担うという論理、一方的な正義感と道徳を孕んだ一種のエリート的思考、無意識のうちに多数意見に同調してゆく大衆社会独特の心理形成などが相互作用的に働いていたように思えてならないです。
経済不安と生活不安が蔓延するなか、未来やユートピアへの歪んだ善意が次第に捏造され、恐るべき思想と政策を実行する根拠として準備されていた可能性がある、ということではないでしょうか。
そして今、我々の世界はどうか。どこに向かっているか。
見つめなければ、敏感にならなければ、と、とても思います。
命と存在は、よほど意識的に大切にしないと、知らないうちに暴力の嵐に巻き込まれてしまうように思うのです。
また、暴力はいつも何らかの「正しさ」を伴って忍び寄ってくるように思えるのです。
アウシュビッツ収容所が解放されたこの日は「国家社会主義の犠牲者たちを偲ぶ日:Tag des Gedenkens an die Opfer des Nationalsozialisumus」と言う名でドイツでは1996年に法的に追悼日と定められましたが、その宣言の中に
「記憶に終わりがあってはならない」
という言葉があります。
これほど重い言葉があるでしょうか。この言葉はまだ生きているでしょうか。
対して、「大衆の理解力は小さく、忘却力は非常に大きい」という言葉があります。ヒトラーです。
人間が人間を、計画的かつ規則的に制度的にそして日常的に、さらに戦闘でなく一方的に、かつてないほど大量に抹殺したという事実。
その根底になにが、、、。
今年2017年ドイツ議会での追悼時間「Gedenkstunde」では、初めてナチスのオイタナジープログラム:Euthanasieprogramm(安楽死計画)というものの犠牲者約30万人に対して焦点を当てて追悼の意が捧げられたそうです。
オイタナジープログラムとは障害のある人や遺伝的な病気をもつ人に対する迫害、強制断種、人体実験、虐殺であり、やがて人種政策に拡大して底なしのホロコーストに結びついたもの。
これを意識してか、先日NHKが『フランケンシュタインの誘惑:“いのち”の優劣・ナチス・知られざる科学者』と題する番組を放送して、これは背筋が凍るような恐ろしい内容でした。
ホロコーストの犠牲者はヨーロッパ全体で600万人、戦後ドイツはユダヤ人に対して個人補償だけでも6兆円あまりを支払っていますが、ホロコーストの対象はより広く、
社会的に非生産的な人間、異なるイデオロギーを持つ人間、病める人間、肉体的あるいは知的に障害を持つ人間、、、。など、ナチスは、あらゆる論理であらゆる市民に対して優劣を決めつけ「優れていない」と決めつけた人々を卑しめ苦しめ殺したのでした。
国家が人間に対して「命の選別」を行ったのです。
ホロコーストの背景には「生きる意味」がある命とそうでない命があるという思想があったのです。
この「命の選別」に影響を与えた一つに当時ヨーロッパを席捲していた優生学があったという点に注目したこの番組は、優生学の権威オトマール・ フォン・フェアシュアー博士とナチスの関係から生じた「断種法」の存在と障害者迫害の実行、またそれがホロコーストにまで結びついてゆく経過を巡るドキュメントでした。フェアシュアーはアウシュビッツ収容所で人体実験を行っていた医師メンゲルの師匠にあたります。
断種というのは、身体障害や知的障害や遺伝病などをもつ人々に不妊手術を行い、社会に「健康な」子どもしか生まれないようにする、という恐るべき考え方で、これを法的に強制するということをナチスがした。それが「断種法」です。
また、その根拠に利用されたのが当時もてはやされた「優生学」という学問。これは、いかにして「健康」で「優れた」遺伝子を後世に伝えてゆくか、という科学研究だというのですが、同時にそれは、存在に価値を決めつける根拠にも転用され、いかにして「優れていない」遺伝子を持つ肉体を社会から排除するか、というエリート思想と政治に結びついたのでした。
ナチスは国民の遺伝子情報を国家が収集し、それに基づいて結婚を管理し、不妊手術を強制し、さらには収容所に送り人体実験や研究対象とし、挙句、結局は殺されてしまう人も大量に出たのでした。
当時は経済破綻と格差社会が人々の生活不安を強めていた。現在にも似るその背景のなかで選挙票を集め政治を握ったナチスは、経済政策と国家再生を建前にしながら徹底的な弱者排除からホロコーストへと行進を開始したのです。
また当時は優生学そのものが世界的な広がりを見せて、断種という行為もアメリカが先行して開始していて、ロックフェラー財団はフェアシュアーに資金援助を行っていたという説もあります。
優生学(eugenics)の創始者はダーウィンのいとこであったイギリスの科学者フランシス・ゴルトンですが、思想的にはギリシャのプラトンにまで遡ることが出来るという説もあるほど古いそうです。well born すなわち「良い生まれ、あるいは良い遺伝」というものが人間にはあるという考え、またそれをいかに引き継ぎ拡張するかという考えは、つまりは「命の優劣」というものがあるというヒエラルキー思想に結びつきやすかったのではないでしょうか。
フェアシュアーは優生学を利用して遺伝的に優れた能力をもつとみなされる人々が存在するとし、それらの人々が結ばれ出産することによって人間の能力がより拡大するという考えを示し、これをナチスは政策的に奨励し、やがて、その裏返しの論理として「優生学的に問題のある」人々という存在をでっち上げ次々に迫害し始めた。当時ドイツ国民の200人に1人が強制断種の犠牲者になった、と番組は伝えました。
そして、この優生学がいかにしてユダヤ人大量虐殺に結びついたかという経過が明らかにされるのでしたが、これは恐ろしすぎて僕はここに書きたくないから、直接その番組を見るか色々な資料に当たっていただきたいです。
さまざまな状況を知るにつれ、あの悪夢は本当にヒトラーとナチスの狂気という異常で例外的な出来事だったのだろうか。あるいは戦争という事態を背景にした特殊な出来事だったと言えるのだろうか。という疑問も浮かんできます。
もしかしたらナチスとあの時代に限定することが出来ない、より深くより広い根が人間のどこかに存在していて、それは状況や意識変化の次第で、これからも牙を向く可能性が皆無ではないのではないかという不安と恐怖心が、僕には消えないのです。妄想であって欲しいけれど。
原爆にも、より広くは原発にも重なることかもしれないが、あのホロコーストの背景には、殺意や破壊や不条理を正当化する一面的な論理に科学が関与していたという事実を知って、ある犠牲が多数の救済を生む代償を担うという論理、一方的な正義感と道徳を孕んだ一種のエリート的思考、無意識のうちに多数意見に同調してゆく大衆社会独特の心理形成などが相互作用的に働いていたように思えてならないです。
経済不安と生活不安が蔓延するなか、未来やユートピアへの歪んだ善意が次第に捏造され、恐るべき思想と政策を実行する根拠として準備されていた可能性がある、ということではないでしょうか。
そして今、我々の世界はどうか。どこに向かっているか。
見つめなければ、敏感にならなければ、と、とても思います。
命と存在は、よほど意識的に大切にしないと、知らないうちに暴力の嵐に巻き込まれてしまうように思うのです。
また、暴力はいつも何らかの「正しさ」を伴って忍び寄ってくるように思えるのです。