きょうはダンスクラスがあったのだけれど、とても良い稽古だった。
たまたま、多忙が重なったのか出席者が少なかったのだけれど、一人一人、繰り返して踊っては、その瞬間瞬間の体験を話し合うことができた。
さらにそこから広がってダンスなるものの宇宙観というか、どうして踊りが絶えることなく千年万年にわたって伝えられ、いま僕ら自身ダンスしながら何を祖先から受け継いでゆこうとしているのかな、ということにまで、触れることが出来たかもしれない。
知識を広げるのも良いことだろうし、資格を取ったりするのも良いことなのだろうけれど、それらよりもっともっと以前に肌身をもって識っておきたい「自分自身の重さ」を、踊りは教えてくれる。いや、踊る体験を続ける中で、気付きのチャンスが訪れる。言葉を沈黙して、ステップを踏み、自分自身の心臓の鼓動や呼吸の息音を繰り返し味わう時間。それがダンスの稽古なのかもしれない。
話して、そして、踊って、また話して踊って、と繰り返していたら時間はあっという間に流れてしまった。
今振り付けている作品(シェーンベルク/浄められた夜)を、出席メンバー代わる代わる踊ってもらうという単純な稽古次第だったのだけど、その繰り返し踊る一回一回の中で、如実に集中力やエネルギーや現れる姿のシャープさ力強さが、変わってゆく。
振り、というものが、その人その人の個性と出あって、命の通った運動になってゆく。
それは、一人一人が、踊るという行為を通じて、自分自身の生命力に向き合っているようで、すてきに頼もしいものだった。
仕事や日常の用事から、ひと時、切り離して「身ひとつ」になる。
という、そういう時間を積み重ねているからなのか、空間に一人立った姿が、清いし強い。
ちょっと名残惜しいように、稽古時間が過ぎたが、じわりと感じたのは、やはり稽古の場を保ってゆくことの素晴らしさと大切さだった。
そして何よりも、踊り続けてゆく人の貴重さ、その人一人一人と共有できることごとの貴重さ、だった。
明日も、来週も、とても楽しみにしています。
______________________________
info.
・クラスの参加案内(春季募集中):
櫻井郁也・定期クラス2014
・新作ダンス公演:
櫻井郁也・公演サイト
たまたま、多忙が重なったのか出席者が少なかったのだけれど、一人一人、繰り返して踊っては、その瞬間瞬間の体験を話し合うことができた。
さらにそこから広がってダンスなるものの宇宙観というか、どうして踊りが絶えることなく千年万年にわたって伝えられ、いま僕ら自身ダンスしながら何を祖先から受け継いでゆこうとしているのかな、ということにまで、触れることが出来たかもしれない。
知識を広げるのも良いことだろうし、資格を取ったりするのも良いことなのだろうけれど、それらよりもっともっと以前に肌身をもって識っておきたい「自分自身の重さ」を、踊りは教えてくれる。いや、踊る体験を続ける中で、気付きのチャンスが訪れる。言葉を沈黙して、ステップを踏み、自分自身の心臓の鼓動や呼吸の息音を繰り返し味わう時間。それがダンスの稽古なのかもしれない。
話して、そして、踊って、また話して踊って、と繰り返していたら時間はあっという間に流れてしまった。
今振り付けている作品(シェーンベルク/浄められた夜)を、出席メンバー代わる代わる踊ってもらうという単純な稽古次第だったのだけど、その繰り返し踊る一回一回の中で、如実に集中力やエネルギーや現れる姿のシャープさ力強さが、変わってゆく。
振り、というものが、その人その人の個性と出あって、命の通った運動になってゆく。
それは、一人一人が、踊るという行為を通じて、自分自身の生命力に向き合っているようで、すてきに頼もしいものだった。
仕事や日常の用事から、ひと時、切り離して「身ひとつ」になる。
という、そういう時間を積み重ねているからなのか、空間に一人立った姿が、清いし強い。
ちょっと名残惜しいように、稽古時間が過ぎたが、じわりと感じたのは、やはり稽古の場を保ってゆくことの素晴らしさと大切さだった。
そして何よりも、踊り続けてゆく人の貴重さ、その人一人一人と共有できることごとの貴重さ、だった。
明日も、来週も、とても楽しみにしています。
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・クラスの参加案内(春季募集中):
櫻井郁也・定期クラス2014
・新作ダンス公演:
櫻井郁也・公演サイト