Sakurai Ikuya Dance solo " LAND'S END"
櫻井郁也ダンス・ソロ『LAND'S END』11/14~15ご鑑賞受付中(ただいま両日お席あり)
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上記写真は一昨年の白州野外公演。思えば、今回の作品は、この頃からの体験の重なりに始まっている。現場で作品が生まれるという感触。振付けは長く積み重ねるが、それは種。本番の向かい合いで大きく変容し、生まれるか、それとも・・・。
やはり生きているもの同士の場/時。瞬間を活かすためにこそ準備する。すべて解体して良い、生まれるものをこそ、大事としたい。思いを踊るのではない、踊りが思いを生む。
ソロダンス(ひとり踊り)というけれど、実は、舞台を見つめるひとも、脳の内部では踊っているのだそうだ。秘密のデュエットが連連とたゆたう、ということか。踊り手と観客の、観客と観客の、果ては無人格なる場所と場所、時と時の、交信。踊り手も観客も、同じ暗闇と明るみのなかで、ただの「独り」などではなくて、そこには、とても多くの、とても複雑な、つながり、というもの、ひびき、というもの、が、ひそやかにあって、それゆえ、場所も時も、ざわめき、ゆらぎ・・・、ということなのだと、想う。分たれた、いくつもの肉体は、しずかな暗闇の中で、光の線を結び合い、また、断ち切られ、また結び合い。作品とは、そのような環境を用意する「仕組み」でありたく、踊りとは、リアルな幻像でありたい、喚起のメカニズムで、ありたい。一人の心の内から発されるものではなくて、ひとりとひとりひとりの、あいだから、振動のようにたちあらわれる、波でありたい。この数年繰り返し試みてきた方向で、明日金曜と明後日土曜のステージも、お互い「顔が見える」人数の向かい合いとした。瞬間瞬間、気持ちの交感をしたいから。呼吸を交わしながら踊りたいから。舞台の上で完結する触れあいをミセタイのではなくて、舞台を越えて、意識と意識が触れあう、という時を欲して、僕はあえてひとりになるのかもしれない。さて、いよいよ現場/対話がはじまる・・・。
ともかく徹底的にやります。ぜひお立ち会い下さい。
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【作品内容および会場案内】
公演サイトNEXT BUTOH PERFORMANCE BY SAKURAI IKUYA at planB Tokyo nakano
櫻井郁也ダンス・ソロ『LAND'S END』11/14~15ご鑑賞受付中(ただいま両日お席あり)
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上記写真は一昨年の白州野外公演。思えば、今回の作品は、この頃からの体験の重なりに始まっている。現場で作品が生まれるという感触。振付けは長く積み重ねるが、それは種。本番の向かい合いで大きく変容し、生まれるか、それとも・・・。
やはり生きているもの同士の場/時。瞬間を活かすためにこそ準備する。すべて解体して良い、生まれるものをこそ、大事としたい。思いを踊るのではない、踊りが思いを生む。
ソロダンス(ひとり踊り)というけれど、実は、舞台を見つめるひとも、脳の内部では踊っているのだそうだ。秘密のデュエットが連連とたゆたう、ということか。踊り手と観客の、観客と観客の、果ては無人格なる場所と場所、時と時の、交信。踊り手も観客も、同じ暗闇と明るみのなかで、ただの「独り」などではなくて、そこには、とても多くの、とても複雑な、つながり、というもの、ひびき、というもの、が、ひそやかにあって、それゆえ、場所も時も、ざわめき、ゆらぎ・・・、ということなのだと、想う。分たれた、いくつもの肉体は、しずかな暗闇の中で、光の線を結び合い、また、断ち切られ、また結び合い。作品とは、そのような環境を用意する「仕組み」でありたく、踊りとは、リアルな幻像でありたい、喚起のメカニズムで、ありたい。一人の心の内から発されるものではなくて、ひとりとひとりひとりの、あいだから、振動のようにたちあらわれる、波でありたい。この数年繰り返し試みてきた方向で、明日金曜と明後日土曜のステージも、お互い「顔が見える」人数の向かい合いとした。瞬間瞬間、気持ちの交感をしたいから。呼吸を交わしながら踊りたいから。舞台の上で完結する触れあいをミセタイのではなくて、舞台を越えて、意識と意識が触れあう、という時を欲して、僕はあえてひとりになるのかもしれない。さて、いよいよ現場/対話がはじまる・・・。
ともかく徹底的にやります。ぜひお立ち会い下さい。
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【作品内容および会場案内】
公演サイトNEXT BUTOH PERFORMANCE BY SAKURAI IKUYA at planB Tokyo nakano