現実と幻想は、いつもどこか寄り添っているのが自然なのではないか、現実と幻想が互いを揺らし働きあって、この世界を生き生きとさせるのでは、と、このごろ思います。そして、この関係が危うくなるとき、人生は厳しく冷え乾き始めるのではないか、世界は灰色になるのでは、とも思います。
「我々は保護を必要としないが、幻想は保護を必要とする。」という言葉に興味を持っています。
それは、英国の文豪で、日本の「能」に惹かれて自作の舞台(『鷹の井戸 At the Hawk's Well』1916:ダンスは伊藤道郎)にも取り入れたW.B.イェーツの言葉ですが、これは、今現在の僕らにはずいぶん説得力があるとも思います。
この言葉は「何故ならば、もし我々が自分自身に、あるいは自分自身の生活に関心を持つようになると、我々は幻想を離れてしまうからだ。」と続きます。
そして彼はゲーテを引用してこのようにも言います「すぐ批評的になる人間には、イメージは全然生まれてこない」と。これも、なかなか上手いこと言うなあと思います。
コロナ禍のなかで季節は巡っていますが、僕らは、ゆったりとした気分で幻想に浸る場所と時間を次第に失ってきました。合理主義と資本主義の極まる時代にこのパンデミックを迎えたのは運が悪かったのかもしれませんが、幻想の力と感動力を希薄にしてゆくと、どうにも恐ろしい不寛容の時代に突入してしまう気がしてなりません。
幻想は、そして、幻想を産む力は、古代から非常に大切にされ、それを理解する人々によって意識的に保ってきました。子どもたちに触れる職業の人や、また世界に影響をもたらすような人は、感受性を鍛え教えを受けて幻想力を高め、幻想が無限の知恵や想像力を育むものであることを学び伝えようとしてきました。
幻想の価値を疎かにする世の中では、次第に私たちの興味は自分自身に向かい、身の回りのことや生活で心が一杯になり、だんだんと他者の気持ちを疎んじるようになり、気がつけば、心が頑なになって感動する力が弱ってしまう。そうすると、心から楽しいことが無いから何を見てもつい自分にとっての良し悪しばかり気になって、何でもそれ自体を見ようとしないで他のものと比べてしまう。あれは、これは、かくかくしかじか、こんなものだ、とやっているうちに、しまいには見るもの聞くもの優劣をつけて威を張る人もいます。そうすると、もっともっと幻想というのは破壊されて、もう、人は評価と飲み食いのことに囚われて、どんどん熾烈な生存競争のような世界になってしまう。そんな気がしてなりません。
自分のことが気になって仕方がない人、他人にどう思われているかばかりを気にする人、今日明日のことばかり考えている人。いづれも難しい顔をしていて、存分に笑ったり泣いたりもしない。何をしてもどこか窮屈な空気をまとっている気がします。自分に目を向けすぎると了見は狭くなって色気も冴えないのでしょうか。人が自分のことや身体のことを考えるのは日常においては当たり前なのだけれど、どこかでそういうところから抜けないと、本来の人智を失ってしまう気がしてなりません。
舞踊は人の気持ちを現実と幻想の双方向に行き来させますが、これは、もしかすると私たち人間の人間らしさを形成してゆく力にも関係しているかもしれないと、ふと思うことがあります。あるいは、誰かに詩を読み聞かせてもらったり、誰かが楽器を演奏しているのをじっと聴いていると、自分のことを忘れて急にものの見え方が変わってきたり、時間が生きてくるというか、心が広がってゆくような体験が出てくるのも実際です。音楽や詩を浴び受ける経験は、他者の心を浴び受ける経験でもありますが、踊りはそのようなところから息吹くのではないかと思います。美術を生み出す力も、やはりどこか繋がっているような気がします。
幻想と感動は、人を揺さぶり、己から外に向け、別の存在と結びつこうとする力を呼び戻すのかもしれません。
イェイツはこうも言います。「幻想は、我々が目覚めているときであれ、眠っているときであれ、リズムとパターンによりその力を持続させる。」
これまた深くうなづき膝を打ちます。リズムについて、パターンについて。その辺りのことも、いつになるかは分かりませんが、いづれ何か書きたく思います。
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