音楽オイリュトミーの振付と並行して、言語オイリュトミーも、そろそろ作品をということで、新しいテキストに挑戦。現代短歌によるリズミカルな感情表現や英語の詩をつかって空間の拡がりを体験しています。
いいテキストには、意味を越えた「文体の美」というものが表現されていると思います。そういったテキストは、やはり声に出したときに「よく響く」んですね。
何気ないひとつの言葉にも、その根底には、いくつかの衝動が母音や子音となって響き合いを成す、「運動」が隠されています。「文」とは、言葉の編み物でもあり、さまざまな衝動が相互に響き合うシンフォニーでもあります。それを全身で体験することが、言語オイリュトミーの基盤です。
耳を澄まし、体から余分な力をぬいていくと、ひとつひとつの言葉がもっているエネルギーが、体に染みわたり、動きがやわらかく拡がりはじめていくのが、はっきりとわかります。読書や会話とは全く違う、言葉の体験がそこにはあります。
シュタイナーの言うとおり、言葉には根元的な治癒力や生命力があるのでしょうか。約2時間のレッスンの終わるとき、なぜか毎回、何とも言えぬ明るさが、私たちのクラスに訪れるのを感じます。
いいテキストには、意味を越えた「文体の美」というものが表現されていると思います。そういったテキストは、やはり声に出したときに「よく響く」んですね。
何気ないひとつの言葉にも、その根底には、いくつかの衝動が母音や子音となって響き合いを成す、「運動」が隠されています。「文」とは、言葉の編み物でもあり、さまざまな衝動が相互に響き合うシンフォニーでもあります。それを全身で体験することが、言語オイリュトミーの基盤です。
耳を澄まし、体から余分な力をぬいていくと、ひとつひとつの言葉がもっているエネルギーが、体に染みわたり、動きがやわらかく拡がりはじめていくのが、はっきりとわかります。読書や会話とは全く違う、言葉の体験がそこにはあります。
シュタイナーの言うとおり、言葉には根元的な治癒力や生命力があるのでしょうか。約2時間のレッスンの終わるとき、なぜか毎回、何とも言えぬ明るさが、私たちのクラスに訪れるのを感じます。