稽古しているときの面白さのひとつに、身体と自我との関係にハサミを入れるという感覚がある。
踊りによってものごとの認識が少し変わってゆくという現象もある気がする。舞台稽古など極端な集中力が必要なものでは、稽古によって細胞が入れ替わっているのだろうかと勘違いをすることもある。
肉や血は祖先から繋がっているのは勿論だが、人体の大部分は自分以外のもので出来ているのだと思う。それが、踊っていると非常にハッキリしてくるのだ。
体が思うように動かせるように稽古するというのもあるのだが、こうしたいああしたいということが出来ても特に面白くなくて、むしろ、思うようには動かないということを感じとることから、色々な疑問や感触や面白さというものを味わうことが圧倒的に多い。
病気の声や怪我の声や年齢の声もあるし、食った物の声や読んだり聞いたりした言葉の声や、耳から忍び込んできた音楽の声や街の人々や物質の声が、ギシギシと肉体の奥から、何か自我に何か喧嘩を売ってくるみたいでもある。そのような内的闘争感というか調和が壊れる、そういうところから作品が生まれてくる感じが、やはり強い。
僕にとって身体というのは、矛盾みたいなもので、ちょっと怖い気もする。矛盾は現実の証なのではないか、というようなことをシモーヌ・ヴェーユは書いていたように覚えているが、僕はその言葉に若干頷く。
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