櫻井郁也ダンスブログ Dance and Art by Sakurai Ikuya/CROSS SECTION

◉新作ダンス公演2024年7/13〜14 ◉コンテンポラリーダンス、舞踏、オイリュトミー

ポルトガル公演報告 3

2006-11-19 | 海外公演の記録 past dance works in EU
ポルトガル公演報告
第3章「ロウレー公演~楽天と熱狂と」(2)


【劇場】
 「CINE TEATRO LOULENTANO」これが、ポルトガル最初のステージを行う場所。アルガルヴェ地方ロウレー市の目抜き通りに面した、300人規模の中劇場です。
石と木で造られた、この劇場は3層の客席と10メートル四方のステージ、ライトブラウンの内装には、所々に赤と緑のアクセント。現在は、床の老朽化のため、3層目は閉ざされています。主な出し物は、コンサートに演劇・そして商業的ではない映画。毎週コンスタントに上演が繰り返されるせいか、道行く人が劇場の前で立ち止まり、「今日は何をやるのかな~」という感じで、貼り出されたプログラムをメモしていく姿が印象的。管理人さんも路上に出てタバコを一服したり、立ち話をしたり。市立劇場と言っても、あくまで敷居は低く、街の生活と一体化した”集い場所”という風情。

聞く所、100年近く経っているそうです。

【作品】
 このツアーの上演作品「タブラ・ラサ」は、初演までに一年、今回の再演までに一年。計2年を費やした作品です。僕のソロ・ダンスに恵美子の禅的ともいえるインスタレーションと田の岡氏の極めて実験的な奏法を含みながらもロマンティックな旋律豊かな音楽(アコーディオン独奏)がからみ、生と死と再生のドラマを踊りのイメージに定着した作品です。50分にわたるソロダンスは、一時の休みも無く、激しいムーブメンツに満たされ、踊り抜くこと自体が、ひとつの身体的・精神的な飽和状態を生み、それがタブラ・ラサすなわち白紙還元、捨て身の行為として提示されます。
 それを終始じっと見つめている沈黙世界がインスタレーションであり、塩によって舞台上に描かれた一本のドローイングと、高く掲げられたタブロー(それもまた、漆黒に白いペインティングの)、そして2つのもの言わぬ白いイス。音楽上の約束は、呼吸を持続する事、楽器単体の持つ最高域から最低域までのダイナミズムの発揮。そして「歌える」楽曲である事。踊りを見ながら、観客が歌えるように・・・。

【作業】
もちろん?作業は難航しました。だって、別々の常識がぶつかり合うんですから当然ですよね。手順の違い、劇場設備や情報の行き違い、作業上のルールの違い・・・。気が遠くなるような、多くの相違点をかかえながら、何時間も何時間も、僕らは待ちました。

大変だったのは、劇場設備などの基本条件に、打ち合わせ内容との大きな違いがあったため、作業が大幅に増えたこと。照明・美術のためのバトンが全く足りない。ステージいっぱいの大スクリーンは、昇降できない。必要な機材が足りない。などなど。事前のテクニカルチェックではOKって言われていたのに。(一体どこがOKだったんだろ~?)
インスタレーションや照明効果以前の問題。アーティスティックな作業を行うための「器」をつくるところから難航です。

こんなんじゃあ、上演できない!

結局、劇場の固定幕を全部取り外して仮バトンとし、大きなスクリーンはまるごと暗幕をかぶせて黒背景として活用。今は老朽化のため使われていない3階席に仮設電源を設置して補助ライティングを加える。という作業を急遽追加。小劇場なら、どうってことはない作業ですが、ここは3層構造の中規模劇場。建物自体とても古く、舞台裏も諸設備もかなりガタがきていて危険な状態。バトンひとつ上げ下ろしするにもスルスルとはいきません。


でも、だれも焦る様子は無く、の~ンびりとした打ち合わせ(おしゃべり?)をしながら、作業開始に。

東京での舞台は、あらゆるアクシデントを想定し、念には念を入れてシミュレーションやリハーサルを重ねます。正確に縮尺された図面をもとに、立ち位置や動きの経過を定め、音や照明について厳密な打ち合わせが事前に行われ、時間も分きざみで仕事内容や担当者を決め、ステージマネージャーがシビアに管理・進行します。それが、日本の舞台では常識的な仕事の仕方。善し悪し別として、外国に来てわかるのは、日本の劇場の贅沢さと合理的な仕事の進め方。

でも、ここでは違う・・・。

僕のアタマは、作品の仕込みでいっぱいなんだけれど、スタッフさんは、みな楽天的でラフ、かつ、スロー。
打ち合わせは、そこそこに。図面は手書き、寸法もおおざっぱ。タイムテーブルは当日、というより、その場で決めちゃう。ランチ&ディナー各2時間は必須。

「トラブルはつきもの、なんとかなるさ!」
「予定なんて、どうせ変わるんだから!」
「ランチは何にしようかね~?」
とにかく余裕があります。
(僕らって、もしかして神経質?)
彼らの事、無意識に「いいな」って思っていたんでしょうか、次第に僕ものんびりしたノリに。手が必要そうな時は手伝い、主張する時は安易に譲らず・・・。

とりあえず時計をポケットにしまい、劇場の中をぶらぶら。階段で筋トレ、廊下では振りの練習、客席で瞑想・・・。

そのおかげで、この劇場の良さと一つになるチャンスを、僕の肉体は得ることができたのでした。

【深い音の響き、木の暖かさ】
落ち着いてみると、まず、この劇場の音環境が、とてもおもしろいんです。

建物の構造上、反響がかなり長い。
石造りの壁面に対して劇場内の扉はすべて木造で、ホールが密閉されない状態。
そして舞台面はもちろん、バックヤードもすべて木で出来ており、使い古されており、歩くたび、それらが微妙に響いて肉体の所在を音響化します。
乱暴に歩くとギシギシと泣きますが、そ~っと歩けば、柔らかい足音となって客席に伝わる感じ。
 廊下の足音も、さらに外側の道路ノイズも、風に乗ってホール内に運ばれ、高い天井に反響して交差する。つまり、外界から遮断されたコンサートホールのような響きの良さとはちがって、ここは、色んな雑音がこだましているんです。
 これは、人によっては嫌がるんでしょうが、僕は大好き。流れゆく不定形なものや、瞬間瞬間の変化といったものが、とても愛おしいので・・・。

 劇場が、別世界でありながら、どこかで現実としっかりジョイントしている感覚。生活の場を切り離すではなく、ほんの少しずらしてみせるだけ。人々の集う場所としての気配であり、通り過ぎる場所としての気配。広場。交差点。


 話はとびますが、こんな場所、どこかで見たな。って思うと、僕の通っていた高校の講堂でした。アメリカ軍が放置した劇場を講堂として使っていたんです。

 僕が通っていた高校(正確には中高一貫校)は、戦後、進駐軍のキャンプだった跡地を活用していました。
 広大な敷地のなかで、古びたコンサートホールのような建物があり、やはり、木と石で出来ていました。
 恐ろしく高い天井による深い反響と、舞台の複雑な構造は、学校のセレモニーよりも、もっと色気のある華やかな世界がそこに繰り広げられていたであろう痕跡をとどめていました。
 プロフィールにこそ書きませんが、僕の初めての舞台作品は、ここで生まれました。いずれ取り壊されると噂されたその講堂が好きで、たどたどしい戯曲を書き下ろし、友達を集めて演じてもらったお芝居です。
 がらんとした場所に人が集まり、ひとときのざわめきと熱によって見違えるように生まれ変わり、また、しんとした暗渠にもどっていく有様の、物悲しいような魅力。場所と人の出会いと別れを体験したかった・・・。
 そんな感触を、遥か遠い、このロウレーの劇場(この劇場も、来年は建て替えちゃうんですって・・・)で思い出しながら、演出上の、あるアソビを僕は行いました。
 通り過ぎていく音、ダンサーと音楽家が、遠く離れていきながら、場所の持つ風合いを感じ取るようなシーンをアレンジしようと思ったのです。

 今回、ロウレーのステージは、作曲の田ノ岡氏による生演奏版、数週間後のファロ公演は僕自身のレコーディングとリミックスによるサウンドコラージュ版という2バージョンでのツアーです。

 ここでは、作曲家で演奏家でもある田ノ岡氏が同行。大胆な音楽アレンジが可能です。幸か不幸か、先に述べたように仕込みは難航中、待ち時間は持て余す程あります。さっそく氏に相談。
 本来、演奏を止めた音楽家がじっと見つめる中で、無音のダンスが行われるシーンをアレンジ。舞台上で演奏していたアコーディオニストが、そっと消えて、劇場の廊下やロビーで演奏したり歩いたり。その楽音・足音・ドアの開け閉めの音などが、漏れてくる中で、ダンサーが音に追いすがるように踊る。というシーンに変更したい。
「おもしろい。やりましょう!」
快諾して下さいました。そして、さっそく練習に・・・。
ラテン的熱狂、それは、別離の胸騒ぎと背中合わせです。
僕は、このシーン・アレンジによって、この地の風情と作品の出会いを用意したかったのかもしれません。
禅的な対峙関係から、ラテン的郷愁へ、ひとつのシーンがゆらぎはじめました。


【夜の路上で】
劇場からの帰路、僕らは旧市街を散策しました。半ば崩れつつある城壁に囲まれたロウレーの旧市街。まがりくねった、迷路のような道はすべて石畳。当然のように全てが純白に統一された家々の壁は、街灯によって、ごく淡いアンバーに染め上げられています。城壁の防音効果があるのでしょうか、ほとんど車の音は聞こえず、しんとしています。聞こえてくるのは、白い家の中の生活音と、反響する僕ら自身の足音だけ。ブーゲンビリアのような花が、あちこちに見えます。風化する建物と生成する花を人の暮らしがつないでいく。時の流れの迷路に、しばし酩酊です。


【上演】
すごい拍手です。次々に、立ちあがって。いわゆるスタンディングオベーションなんですが、別れを惜しむような拍手。あたたかいです。安心しました。

たくさん待ちました。葛藤しました。
数日間の滞在・作業ののち、いよいよの本番。21時30分開演という、これまた遅めのショーです。
ゆったりとしたディナーを終えた家族連れや友達同士。日課のように気楽に集まって来た地元の人々。楽しいリラックスのひととき。一日の終わりを劇場で、という、いかにもポルトガルらしいムード。
僕の作品は「舞踏」。この土地ではまだまだ前衛のたぐいです。
でも、大丈夫だった・・・。
最初の一振りで、水を打ったような静寂がおとずれました。
お客さんたちの、すさまじい視線。心の問題に、とことんどん欲な、ラテンの気質を恐ろしい程感じます。
ソロって言いますけど、実際はお客様とのデュエット。
踊っていると、観客がパートナーのように感じてしまうんです。
この日、明らかにみんな踊っています。
イケル。という直感。
でも、僕が心配していたのは、実は子供の事。小さな子供が観に来ていたんです。何人か。
お母様と一緒に、いい子で見ていたのですが、途中、泣いてしまいました。

作品には、死の香りがただようシーンがあるんです。そこで泣いちゃった・・・。

そのシーン、これでもかと言わんばかりに低い音の連続。
アコーディオンで出せる、最も低く、内省的な音を工夫していただいた、僕としては大切なシーン。大人たちにとっては最大の見所です。身体に食い込むような視線。でも、子供にはきつい。
僕が熱演すればする程、死の香りは濃厚になります。
もう少しで再生のダンスが始まるからね、
ラストシーン。
もう大丈夫だよ。この世はすばらしい。約束しよう。もっと楽しく生きていこう。
そう思いながら踊りました。

金髪碧眼の天使。あなたの心に、何かが届いたとしたら、とてもラッキーです。

終演後の路上、何人かの人が僕の手を握ってくれました。
その中にはアンゴラからの紳士も。
「戦争が終わったら、私の国で会いましょう。ぜひ・・・」

その、ずっしりと重い握手のなかで、僕は大きな課題をもらいました。

躍動する、命そのものになること、なり続ける事。
ダンサー=「踊る人」としての責任・・・。

「君はハッピーだ。オーディエンスはとても喜んでいる。」とディレクター。

もちろん成功です。
でも、劇場を去りつつ、深夜の異国で、なぜか祈るような気分が僕をおそいました。
ささやかな打ち上げの後、瞑想に・・・。
一体何を、祈っているんでしょうか、僕は・・・。


コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ポルトガル公演報告 2 | トップ | 2006年オープンWS感想です! »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (yukko)
2006-11-19 17:50:57
まるで舞台が目の前に広がっていくようです。
胸が熱くなりました。
熱くなった思いをどこかに放ちたいと思いました。
踊りは何かと何かを繋げていくんですね。
本質を捉えたものであれば、前衛は時代・場所・人問わず、形を変えてもずっと受け継がれていくものだと思います。
もっと踊りへの意識を高めていきたいと思いました。
素敵なメッセージ、ありがとうございます。
今月末のWS、楽しみにしています!


返信する
Unknown (sakurai)
2006-11-19 23:37:41
yukkoさん、ありがとうございます!次は、向こうでのワークショップについて書くつもりで目下体験を推敲中。26日の東京WS内容にも反映するかも、と思っております。ぜひ、またお立ち寄り下さいね。
返信する

海外公演の記録 past dance works in EU」カテゴリの最新記事