【ルクセンブルク・ワークショップ風景】
とにかく対話が多い。
ルクセンブルクで開いたワークショップで、それは如実に感じたことだった。
6年前のポルトガルで指導した時にも思ったことだし、さかのぼると、活動を始めて間もない頃にドイツで踊った時にも、やはり終演後に観客はさかんに語りかけてきてくれた。
言葉とは別の次元が現れる「踊り」なるもの。
それを味わったあと、逆に体内に眠っていた考えや感情が溢れて、沢山の言葉が出てくるのだろうか。
ヨーロッパに行くたびに、僕は浴びるように言葉をきく。
はじめに言葉があった。
という有名なフレーズが、彼の地にあって、急速に説得力をもつ。
しかし、言葉から表情へ、表情から姿へ。
踊りは、対話を奥へ奥へと、導いてくれる。
ルクセンブルクに過ごして1週あまり、以前ここで報告したソロ公演『HAKOBUNE』の幕が降りて翌日、急にワークショップが満員〆切になった。
会場は、主催者である「ルクセンブルク振付創作センター」である。
国と民間が共同運営するそのセンターは、名前の通り、踊りの創作と研究のためにプロに解放された場であり、中央駅からスグの好立地。用途や広さが異なる複数のスタジオとキッチンやミーティングスペース、また、試験的な公演ができる小劇場があり、専門知識をもつマネージメントスタッフや技術者が常駐する。この国でダンスが大切にされていることが、すぐにわかる。
集まった人たちには、ダンサーに加えてカメラマンやアーチスト、そして、結構な高齢の方も何名か(かなり見惚れる踊りをされた)いらした。
現地に着いた時は、まだ人数に余裕があるときいたが公演すぐに定数を越えたということは、これは、やはり観たものとの関わりをもっと強くしたいという人が入るのだろうと思ったら、その通りだった。
スケジュール上、週末の2日間にしたいと希望したら、センターが用意した時間は一回丸半日を2セット。結構長いし、東京に比べて受講料も高いから、よほど好きな人か専門家が来るのかと予想していたから、嬉しかった。
僕のレッスンスタンスは誰もが踊る喜びを味わい高め合う場づくりだから、国内でも外国でも、文字通りの経験年齢男女問わずにやりたい。
だから、観客がポンと来てくれるフットワークは、それだけでうれしかった。
舞台から降りたアーチストと一緒に汗をかく、そして話しをする。これはホットだ。
さて。
ヨーロッパのなかでもルクセンブルクは特に多言語多人種の地域だ。そのせいもあるのか、身体表現が実に豊かだと感じた。表情が強い、手の動きが大きい、足取りが強く、動きのスピードが個々特有。
まるく纏める踊りは大変かもしれないが、個を問う踊りである舞踏には文句なし。逆に、もはやカテゴリーは不要という前提が一人一人の肉体に染みていて、本当に私たちが待ち望んでいる踊りの地平とは何か、を問う場づくりを考えるキッカケにさえなった。
集まった冒頭から、次々に手を挙げる。踊る前に、まず今の思いを話してもいいかと、次々に口を開く。
舞台の印象、踊りについての自分の考え、日々生活しているなかでの自己探求、僕へのメッセージ、(作品から感じた)日本のこと、3.11のことから放射能とヨーロッパの現場のこと、芸術の果たす役割のこと、エトセトラ。言いたいことを言ってそして議論するから、実に興味深い。しかし、言葉で納得してから踊るのは、どうなのか。
言葉を鎮めよう、あえて沈黙して、流れ出る言葉を体内に圧縮してみたい。そしてカラダを動かし、出せるエネルギーを出し合い、それからじっくり話してもいいか。そんな始まり方をした。
みんなで鏡の前に出た。そして、じっと自己の姿を見つめたまま凛と立つ、自身から目を逸らさずに立ち尽くし続ける。
次に目を閉じた動きの稽古、そして触覚だけで場所を調べ直す稽古。
ともかく、沈黙の時間を過ごした。日本のレッスン場では、やった事のない稽古手順だが、僕自身個人的にはやる、この準備的な作業が、以外に好評だった。
衆目のなかで、ひとり、になる。
コミュニケーションなるものから、一時のあいだ距離を置いてみる。
そんな、カラダの時間というものが、とても新鮮だったみたい。
これはしかし、僕からすると、踊りの始まりなのだ。
踊りはお喋りではない、踊りは表現である前に、滲み出る何か。コンタクトである前に、姿。見せる動作である前に、見られている状態。風景。現象。
言葉はディレクションをもち、明晰な思い考えがあり、内から他者に放射されるエネルギーの形だと、僕は思う。だけど、踊りは、ちがう。
社会の大半を成す言葉の世界が、取り残して平然としている、迷宮や、揺れや、未明のうずき、そんな非合理な心の響きを、そっとすくいあげてゆく作業が踊りにはある。そんなことを感じてもらいたかったのだった。
対話が変化していった。
問答するような内容から、余韻を分かち合うような内容に、さりげない瞬間の快や不快、さっき聴いた音の印象、いま踏んでいる床の温度や部屋の空気、話しながら今味わっているコーヒーの暖かさについて、僕の声のトーン、日本語の耳ざわり、エトセトラ。
そして自由な踊りへ。またトレーニングへ。そして再び自由な踊りへ。
限られた時間に、習えるだけ習おうという感触は、次第に去り、限られた時間だからこそ、ゆったりと過ごし合おう、という感触に変わっていった。
ダンスは特別なことじゃないのね、と、微笑んだ女性がいた。僕も微笑んだ。
最後に、僕は自分で作った音楽を流した。そのなかで踊るみんなの動きや表情は、とてもデリケートになっていた。感情をぶつけるのではなく、そっと音楽に寄り添うような、声になる前のひそやかな心の揺れを、カラダが確かに受け止めているような、そんな踊りが空間と共存している。
シンプルだった。優しかった。
こんな風に僕も踊りたい。そう思える風景に出会って、はじめて稽古は成立する。
そのことを確かめられたのが、ルクセンブルクでのワークショップだった。
気がつくと、ヨーロッパと日本の違いは気にならなくなっていた。
東京で、いつもの人と、いつも通りにやっている、いつものクラス風景が、出てきていた。
参加していた方々全員の顔が、胸に焼き付いている。
___________________________
【Coming Stage】
櫻井郁也ダンスソロ・次回公演
In the attachement please find the detailed program.
Sakurai Ikuya Official HP (JP/ENG)
とにかく対話が多い。
ルクセンブルクで開いたワークショップで、それは如実に感じたことだった。
6年前のポルトガルで指導した時にも思ったことだし、さかのぼると、活動を始めて間もない頃にドイツで踊った時にも、やはり終演後に観客はさかんに語りかけてきてくれた。
言葉とは別の次元が現れる「踊り」なるもの。
それを味わったあと、逆に体内に眠っていた考えや感情が溢れて、沢山の言葉が出てくるのだろうか。
ヨーロッパに行くたびに、僕は浴びるように言葉をきく。
はじめに言葉があった。
という有名なフレーズが、彼の地にあって、急速に説得力をもつ。
しかし、言葉から表情へ、表情から姿へ。
踊りは、対話を奥へ奥へと、導いてくれる。
ルクセンブルクに過ごして1週あまり、以前ここで報告したソロ公演『HAKOBUNE』の幕が降りて翌日、急にワークショップが満員〆切になった。
会場は、主催者である「ルクセンブルク振付創作センター」である。
国と民間が共同運営するそのセンターは、名前の通り、踊りの創作と研究のためにプロに解放された場であり、中央駅からスグの好立地。用途や広さが異なる複数のスタジオとキッチンやミーティングスペース、また、試験的な公演ができる小劇場があり、専門知識をもつマネージメントスタッフや技術者が常駐する。この国でダンスが大切にされていることが、すぐにわかる。
集まった人たちには、ダンサーに加えてカメラマンやアーチスト、そして、結構な高齢の方も何名か(かなり見惚れる踊りをされた)いらした。
現地に着いた時は、まだ人数に余裕があるときいたが公演すぐに定数を越えたということは、これは、やはり観たものとの関わりをもっと強くしたいという人が入るのだろうと思ったら、その通りだった。
スケジュール上、週末の2日間にしたいと希望したら、センターが用意した時間は一回丸半日を2セット。結構長いし、東京に比べて受講料も高いから、よほど好きな人か専門家が来るのかと予想していたから、嬉しかった。
僕のレッスンスタンスは誰もが踊る喜びを味わい高め合う場づくりだから、国内でも外国でも、文字通りの経験年齢男女問わずにやりたい。
だから、観客がポンと来てくれるフットワークは、それだけでうれしかった。
舞台から降りたアーチストと一緒に汗をかく、そして話しをする。これはホットだ。
さて。
ヨーロッパのなかでもルクセンブルクは特に多言語多人種の地域だ。そのせいもあるのか、身体表現が実に豊かだと感じた。表情が強い、手の動きが大きい、足取りが強く、動きのスピードが個々特有。
まるく纏める踊りは大変かもしれないが、個を問う踊りである舞踏には文句なし。逆に、もはやカテゴリーは不要という前提が一人一人の肉体に染みていて、本当に私たちが待ち望んでいる踊りの地平とは何か、を問う場づくりを考えるキッカケにさえなった。
集まった冒頭から、次々に手を挙げる。踊る前に、まず今の思いを話してもいいかと、次々に口を開く。
舞台の印象、踊りについての自分の考え、日々生活しているなかでの自己探求、僕へのメッセージ、(作品から感じた)日本のこと、3.11のことから放射能とヨーロッパの現場のこと、芸術の果たす役割のこと、エトセトラ。言いたいことを言ってそして議論するから、実に興味深い。しかし、言葉で納得してから踊るのは、どうなのか。
言葉を鎮めよう、あえて沈黙して、流れ出る言葉を体内に圧縮してみたい。そしてカラダを動かし、出せるエネルギーを出し合い、それからじっくり話してもいいか。そんな始まり方をした。
みんなで鏡の前に出た。そして、じっと自己の姿を見つめたまま凛と立つ、自身から目を逸らさずに立ち尽くし続ける。
次に目を閉じた動きの稽古、そして触覚だけで場所を調べ直す稽古。
ともかく、沈黙の時間を過ごした。日本のレッスン場では、やった事のない稽古手順だが、僕自身個人的にはやる、この準備的な作業が、以外に好評だった。
衆目のなかで、ひとり、になる。
コミュニケーションなるものから、一時のあいだ距離を置いてみる。
そんな、カラダの時間というものが、とても新鮮だったみたい。
これはしかし、僕からすると、踊りの始まりなのだ。
踊りはお喋りではない、踊りは表現である前に、滲み出る何か。コンタクトである前に、姿。見せる動作である前に、見られている状態。風景。現象。
言葉はディレクションをもち、明晰な思い考えがあり、内から他者に放射されるエネルギーの形だと、僕は思う。だけど、踊りは、ちがう。
社会の大半を成す言葉の世界が、取り残して平然としている、迷宮や、揺れや、未明のうずき、そんな非合理な心の響きを、そっとすくいあげてゆく作業が踊りにはある。そんなことを感じてもらいたかったのだった。
対話が変化していった。
問答するような内容から、余韻を分かち合うような内容に、さりげない瞬間の快や不快、さっき聴いた音の印象、いま踏んでいる床の温度や部屋の空気、話しながら今味わっているコーヒーの暖かさについて、僕の声のトーン、日本語の耳ざわり、エトセトラ。
そして自由な踊りへ。またトレーニングへ。そして再び自由な踊りへ。
限られた時間に、習えるだけ習おうという感触は、次第に去り、限られた時間だからこそ、ゆったりと過ごし合おう、という感触に変わっていった。
ダンスは特別なことじゃないのね、と、微笑んだ女性がいた。僕も微笑んだ。
最後に、僕は自分で作った音楽を流した。そのなかで踊るみんなの動きや表情は、とてもデリケートになっていた。感情をぶつけるのではなく、そっと音楽に寄り添うような、声になる前のひそやかな心の揺れを、カラダが確かに受け止めているような、そんな踊りが空間と共存している。
シンプルだった。優しかった。
こんな風に僕も踊りたい。そう思える風景に出会って、はじめて稽古は成立する。
そのことを確かめられたのが、ルクセンブルクでのワークショップだった。
気がつくと、ヨーロッパと日本の違いは気にならなくなっていた。
東京で、いつもの人と、いつも通りにやっている、いつものクラス風景が、出てきていた。
参加していた方々全員の顔が、胸に焼き付いている。
___________________________
【Coming Stage】
櫻井郁也ダンスソロ・次回公演
In the attachement please find the detailed program.
Sakurai Ikuya Official HP (JP/ENG)