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コツコツと60代を突き進んでおります

追悼 桂歌丸さん

2018-07-12 23:20:57 | 日々のあれこれ

先日、桂歌丸さんが亡くなりました。

ワタシにとっては、
「テレビ…いや、笑点で見る落語家さん」
でしかなかったのです。

でも、でもですよ。
それが約50年前から変わらないイメージ。
50年ですよ、50年!
私が小学校低学年の頃、
日曜日におばあちゃんの家に行って、
おばあちゃんの部屋のテレビでかかっていました。
自分チにいる時も、日曜夕方はたいていは笑点でしたしね。

で、7月8日放送の「笑点」は追悼番組でした。
まあ、追悼と言ってもそこは「笑点」。
大喜利の仲間、後輩が笑いをとりながら、
歌丸さんを偲んでいましたが。



懐かしい映像もたくさん流れました。
これは45年前。

そうそう、こんな歌丸さんでした。
粋できっぷのいい喋りでしたので、
てっきり江戸っ子かと思いましたが横浜出身の方。
江戸っ子の会話を中心とした噺は「無理だ」と
早くに悟られて、自分の落語の方向性を考えたとか。

そして若い頃には笑点で三遊亭小円遊さんと
丁々発止の罵り合いが大喜利の受けどころでもありました。


「ハゲ」と言われた歌丸さんがやいのやいの言って、
小円遊さんが少しクールに「おいおい」という感じで受けたり、
「そんなこと言うかい?」とキョトンとしてる。
そんなお二人でしたよね。

私生活では仲は悪くなかったということですが、
もちろんホントのところは解りません。
でも、芸を芸として、そして番組を成立させるために
大喜利のポイントを作り上げたお二人でした。
小円遊さんが早逝されてしまったあとも、
落語家さんらしい、歯切れ良くテンポのいい喋りで
大喜利を支えてらっしゃいました。


きちんと歳を召されながらも落語家として、
年取った自分を自虐的にネタにしながら、
日曜の夕方にはテレビで拝見することができました。
他人(特に落語家仲間)の悪口を言っても
心の底には優しさや仲間への敬いがあり、
最後には笑いに変え、イヤな感じを抱かせませんでしたね。

御年81歳。
生涯落語家で笑点の名誉司会。

ヘンな言い方ですが、
もっとガリガリに痩せて90歳100歳になっても
自虐ネタしながらまだまだ“落語家”してくれていそうでした…。

また“いつまでも生きていそうな人”が
亡くなってしまいましたね。

桂歌丸さん、安らかにお休みください。
落語、というよりも
落語家さんを親しみのあるものにされた
お一人であることは確かです。
ありがとうございました。


最後に、
円楽さん(楽太郎さんのほうが馴染むけど)のひと言を。
“じじぃッ!”
“早過ぎるんだよッ!”



おあとがよろしいようで。

合掌。


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