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また、今年も
忘れてはいけない日がやってきました。
68年前の今日、広島に原子爆弾が投下され
私の母の、まだ赤ん坊だった弟や
すぐ下の弟、コーちゃんも
多くの被爆者と共に天に召されてしまったのです。
母は幸いにも学童疎開でそのときには疎開先にいたため
なんとか命は助かりました。
帰ってきたものの、焼け野原の町。
そして、多くの火傷を負った人、そして丸焼けになって亡くなっている人・・・。
母はこのときの話をあまりしたがりませんでした。
国民学校の先生と一緒に、亡くなった方たちの遺骸をさがして
幟町小学校の焼け跡に運ぶお手伝いをした、
ぽつり、とそう話してくれました。
当時、母は小学校3年。
原爆投下からひと月ほどしてから
枕崎台風の被害で、幟町国民学校の付近も
洪水に見舞われました。
そのとき、先生から
学校に「教育勅語」を取りに行くように、といわれて
胸まで水に浸かって校長室に行った、と言っていました。
「教育勅語」は大事なものだから
絶対に水に浸けてはいけない
頭のうえにかかげて持ってきなさい、と
いわれたそうです。
そのときに、洪水の溢れる水の中で
左足のすねに、流れてきたトタンが突き刺さり
いまでもその傷跡が残っています。
当時の幟町国民学校の貴重な写真です。
おそらくは、この中に、あるいはこのあたりに
母もいたのだなぁと
もう、そんな話も聞き出せなくなってきてしまっているけど
いままで聞いた、当時の話を
しっかり覚えておかなくては
そして、けして忘れてはいけない、と思っています。