武蔵村山大魔人の部屋

糖尿病と統合失調症という厄介な病気を抱え、今人生の岐路の選択に苦悩している人間のブログです。

昭和の名勝負(オグリキャップ)

2012年09月22日 15時10分25秒 | 日記
私が競馬を覚えたのが社会人になって一年目からでした。
中学生の頃、馬券こそ買わなかったが、友達同士で賭けをした。

春の天皇賞でミホシンザンを推した私の動機は、単に中山美穂のファンだったから。
競馬を覚えてから、その偉大さを知りましたが・・・。

さて私の競馬のもっとも熱かった時期は、昭和の名勝負と言われる有馬記念でのライバル争い。オグリキャップ・タマモクロス・サッカーボーイの決着の日であった。



http://www.jra.go.jp/50th/html/50horse/47.html


当時流行ったこの3頭のるいぐるみ(1個6000円)はうちにもあった。
成人していなかった私は、タマモクロスのファンで、今さら時効だが、馬券を購入した。

当時は枠連しかなく、単枠指定馬という制度があった。

今の競馬は馬単から3連単まで幅広い選択肢があり、配当金も昔の競馬よりは魅力になっている。

今ではインターネットで馬券が買えるので、競馬場や場外馬券売場に足を運ばなくてよい。

芝が主流だったJRAに加え、ダート主流の地方競馬との交流戦も増えた。

私はJRAとSPAT4(南関東4競馬場)のインターネット会員になっているので、最近は大井競馬場のトゥインクル競馬でしっかり儲けさせてもらっている。
最近はJRAより大井競馬の方が当たるので嬉しい。

勿論、たまには競馬場へも足を運ぶが、世の中便利なものでスカパー!のグリーンチャンネルと南関4競馬場中継で自宅でじっくり競馬を楽しめる。

何て良い時代になったのだろう。

ZELDA Dancing Days #09 小人の月光浴

2012年09月14日 21時27分47秒 | 日記
ZELDA Dancing Days #09 小人の月光浴


私の青春の大切な一頁を飾ったのが、伝説の黄金メタルバンド・ZELDAです!
なかでも、この『小人の月光浴』はリズム&テンポと、間奏時の掛け声が最高です♪
もうノリノリでしたね。
当時のビデオを今でも大切に持っているのですが、ビデオカセットなので、最近DVDにダビングしました。
こんな音源を持っている人は少ないと思うので・・・。
しかし残念なのは、このビデオは全編モノクロトーンで仕上がっていて、カラー映像は持ってないんですよねぇ。

私の家にはZELDAのほぼ全部のCDと、招き猫カゲキ団などのレアものも持っています。

愛車・セレナではパソコンからSDカードにおとして聴いています。

うたうは楽し、リズムに合わせ、さまよう小人、ここへ集えよ!

あぁ~、あれから何十年の時が過ぎていきました・・・。

ZELDA are
SAYOKO TAKAHASHI:Vocals
SACHIHO KOJIMA:Bass & Chorus
FUKIE ISHIHARA:Guitars & Chorus
AKO OZAWA:Drums & Chorus





夫婦愛

2012年09月10日 15時23分20秒 | 日記
テレサ・テンの名曲「時の流れに身をまかせ」、今の私たち夫婦に考えさせる名曲です


あなた色に染められてという歌詞がありますが、私たち夫婦はまさにそれに該当します。

思えば単なるアイドルオタクで西武ライオンズの熱狂的なファンだった私です。
妻が15歳で私が18歳の頃に知り合い、その後交際に発展して、妻が21歳で私が24歳の誕生日に入籍しました。(挙式・披露宴は1995年4月2日・大安吉日)

結婚前から、私の大好きな西武ライオンズの現地生観戦に行ったり、当時私が乗っていたポルシェ928SⅢでは、私好みのマイナー過ぎる曲を流して聴かせていました。

洋楽では当時、デビー・ギプソンを、邦楽ではZERUDAという超マイナーなバンドの曲を・・・。

映画も「男はつらいよ」(俗にいう寅さん)を愛し、お正月は「釣りバカ日誌」との二本立てで映画館に連れていきました。

長年一緒に暮らすと食は勿論のことですが、趣味・嗜好も似てきますね。

普段一緒に行動しますが、相思相愛という価値観が築かれていきます。

最近芸能界でも歳の差結婚が流行っていますが、私たち夫婦のどちらかが先に旅立ったら、その後の再婚にも趣味・嗜好を合わせるのに相当な苦労を必要とするでしょうね?

交際から数えると22年間、結婚してからは18年、この長きにわたる夫婦円満の秘訣はお互いを理解しあうこと。
結婚当初は「関白宣言」(さだまさし)状態だった私を妻が改新させました。

子宝にも恵まれず、約2年間の不妊治療(体外受精)を試みましたが、診察費用は勿論のことですが、精神的にも非常に苦しい状態で断念しました。

昨年の東日本大震災(3.11)の後に『絆』という言葉が暗い日本に、もう一度頑張って行こうという勇気を与えてくれました。

愛する家族や友人たちとのコミュニケーションは、今病気と闘っている私としては、非常に心強く感じています。

みんな、みんな有り難う!

渡辺美里-パイナップルロマンス

2012年09月09日 09時06分44秒 | 日記
渡辺美里-パイナップルロマンス

1986年~2005年までの20年間、毎年西武ライオンズ球場での真夏のコンサートをファンに魅せていた渡辺美里ですが、1989年7月26日のまだ西武ドームではなく屋外ステージだったライヴで突然の豪雨で途中閉会された伝説のライヴ。
「パイナップルロマンス」を唄いきった後にスタッフがライヴの途中中断を発表して、多くの美里コールが会場から送られ「すき」を唄った後『青春のバカ野郎!雨のバカ!』という絶叫名言を残して「My Revolution」をアカペラでファンと共に唄い幕をおろしました。
当時私は会場には参戦していませんでしたが、今DVDで改めて観返しても渡辺美里の心から唄いたいという気持ちとスタジアムに来ていたファンとの一体感は感動ものです。

私たち夫婦は最後の西武ドームライヴから毎年各地で行われる渡辺美里のライヴに参戦しています。
横浜や東京ビッグサイト、河口ステラシアター、渋谷公会堂 etc そして今年は8月17日に渡辺美里自体2度目となる日本武道館ライヴ「MISATO夏祭り ワンダー7」が開催され、私たち夫婦はスタンドの一番前の席からライヴを堪能しました。
今年の第1曲目は「パイナップルロマンス」でした。
もうのっけからハイテンションで超楽しい夜となりました。

妻はライヴ前からぎっくり腰になってしまい、立っているのも座っているのも辛い状態でしたが、いざライヴが始まると必死になって腕を突き上げ口ずさみながら熱く鑑賞していました。

毎年恒例の「MISATO夏祭り」は勿論のこと、元日に開催された渋谷公会堂や私たち夫婦の住む武蔵村山市民会館やお隣の福生市民会館などにも足を運びます。
約3時間程度の公演でチケットがだいたい7000円ですが、その分ストレス発散と癒される感動をいただけるので決して高くはありません。

これからも夫婦共に渡辺美里に熱い思いをぶつけていきたいと思います。

セーラー服と機関銃/薬師丸ひろ子

2012年09月08日 19時37分56秒 | 日記
セーラー服と機関銃/薬師丸ひろ子

私が中学生だった頃に角川三姉妹として売り出していたのが、薬師丸ひろ子・原田知世・渡辺典子の三人でした。
中でも薬師丸ひろ子は「野生の証明」で高倉健との共演で電撃的デビューを飾り、その後「セーラー服と機関銃」で大ブレイクした銀幕のスターです。

映画のストーリーとしては、赤川次郎原作ということで非日常的な内容でしたが、星泉役として女子高生とオンナとしての色気を発揮する素晴らしい作品になりました。

当時のテレビCMでは機関銃を打ちながら一呼吸をおいての『カ・イ・カ・ン』というフレーズが印象的でした。
又、渡瀬恒彦との最後のシーンで薬師丸ひろ子の唇は奪われました。

私は角川映画シリーズをこよなく愛し、「セーラー服と機関銃」の後も薬師丸ひろ子の映画を追いかけました。「翔んだカップル」「メインテーマ」「探偵物語」「Wの悲劇」「野蛮人のように」「紳士同盟」(東宝映画も含む) etc 薬師丸ひろ子は私にとって映画の素晴らしさを教えてくれる銀幕ヒロインとなりました。

今では「ALWAYS 三丁目の夕日」シリーズで、スズキオートの母親役として、女優としては良い歳のとりかたをしています。

これからも幅広い分野で活躍していってほしいです。

因みに「セーラー服と機関銃」の中で唄っていたエド邦枝の『カスバの女』は私たち夫婦にとって、とても心に響く名曲となっています。

少女人形 伊藤つかさ

2012年09月08日 10時05分36秒 | 日記
少女人形 伊藤つかさ


『3年B組金八先生』でデビューした伊藤つかさ。
私が初めて好きになったアイドルです。
当時はプロマイド売上ナンバーワンで歌手デビューもしました。

小学生だった私は『明星』や『平凡』というアイドル雑誌を買って、伊藤つかさのポスターなどが付録で付いていると嬉しくて部屋に貼っていました。

1967年2月21日生まれなので今は45歳ですね。私が41歳なのでそんなに年齢差を感じませんが、小学生だった当時は妙に年上の素敵なお姉さんという感覚でみていました。

その後、1982年に中森明菜が『ちょっとエッチなミルキー娘』というキャッチフレーズを付けて売り出しはじめ、松本伊代・小泉今日子・早見優・堀ちえみ・石川秀美・新井素子 etc が『華の昭和57年組』といわれる元祖アイドルブームが起こりました。

私はアイドルオタクとなり、部屋中の壁はアイドルのポスターでいっぱいになりました。

中山美穂は12歳で『デラックスマガジン』のグラビアを飾り、のちに『毎度お騒がせします』で大ブレークして、私は中山美穂の親衛隊にも入隊しました。

当時は『歌のトップテン』を毎週渋谷公会堂の二階席から大声援を送り、その他の会場で催されるサイン会(握手会)や新曲発表会にも足を運んでいました。

そんなアイドルオタクの私の出発点は、明らかに伊藤つかさの存在が影響しています。
伝説的な永遠のアイドルですね。
八重歯が可愛らしかったです。

【沢田聖子】卒業 動画なし Full

2012年09月05日 08時27分17秒 | 日記
【沢田聖子】卒業 動画なし Full


最近は金欠でカラオケボックスにも行っていませんが、私は沢田聖子さんの「卒業」が大好きな曲の一つでカラオケで妻に唄ってもらっています。

CDアルバム「卒業」の歌詞カード裏面には『空を飛びたいな おもいのままに 空を飛びたいな 大地をけって』とあります。
翼をもたない人間が、おもいのままに生きていきたい。
そんなメッセージと共に、一つの区切れをつけ、大切な人との別れを思い出にかえていくセンチメンタルな曲です。
作詞・三浦徳子、作曲・加藤和彦、編曲・国吉良一さんの名曲です。

数ある卒業ソングの中でも、とてもシンプルで唄いやすい曲に仕上がっています。

私もそろそろ堕落した生活から抜け出して、空を飛びたいな おもいのままに 空を飛びたいな 大地をけって・・・。

恥じるべき石田町長

2012年09月02日 14時07分49秒 | 日記
TBSテレビ「噂の東京マガジン」で、山梨県西桂町の石田市長が有権者31人に対して6000円相当のうなぎを贈答したということで、リコールへの署名が住民によって集められていると放送されました。
公職選挙法では、公職なる立場の政治家による、現金(入院見舞い金等)や、お中元・お歳暮の贈答も禁じられているのは中学生でも知っている内容であるにも関わらず、うなぎの贈答が公職選挙法に違反する行為だということは知らなかったと石田町長は言い切っています。
そんな知識もない方が、地方自治体のトップに就いているということは恥じるべきことであると思います。
石田市長は自ら町長を辞職するべきであると共に、刑事裁判としてでも立件されるべきではないかと私は 思います。