祁県映海戴氏心意拳倶楽部 公式ブログ

戴隆邦から脈々と受け継がれる戴氏心意拳。王映海伝戴氏心意拳の日本での伝承を行う祁県映海戴氏心意拳倶楽部の公式ブログです。

陰陽五行説と戴氏心意拳

2014-10-12 05:49:41 | 理論―陰陽五行、名言集

陰陽五行説と戴氏心意拳 投稿者:うさぎ 投稿日:2013年 4月14日(日)22時11分19秒 返信・引用


kさん
》この縦方向、つまり五行説の認識と、横方向、つまり陰陽論の認識は、戴氏心意拳の感覚や動作を言語として認識
する時も有効なのでしょう。
私は、陰陽五行説の理解なしには戴氏心意拳を学んでいることにはならないと思っています。一見、科学的といわれる他の理論を持ってきても、それは戴氏心意拳を外側から見た評論家的な解釈であったり、伝統的なものの新解釈であったりするからです。
私が戴氏心意拳を学んだ時には、王映海師父は陰陽五行説や拳譜の内容について諳んじて、いつも語られました。それは練法の指導であっても、用法の指導であっても、それらの言語で持って説明をされたわけです。
私は、戴氏心意拳がどのようなところで、陰陽五行で説明されているのかということを研究していくべきで、陰陽五行説が科学的か非科学的かといったことに時間をかけるのは、練拳者には必要ないだろうと思っています。

》「元々非科学的なものが道教版陰陽五行説になり、更にいかがわしくなった」(霍永利 談)
確かにその通りですよね。様々な宗教、学問、武道には、いかがわしいものがあり、いかがわしいものなのか、そうでないかは、私たち地震が峻別していかなければなりません。陰陽は元々は、月と太陽、五行とは、木火土金水ですから、自然の法則性、関係性ををあらわした、古代の自然科学であるはずです。人間もその自然の中にあり、武術もまたそうであると考えているのだと思っています。





人心見人心 投稿者:土佐の川えび 投稿日:2013年 4月15日(月)00時14分43秒 返信・引用


(これは、私の想像ですよー)

「戴家に拳があるとは知っているが、誰も戴氏が拳を練るのを見たことがない」
「戴氏は門の中で練り、門を出たら撃つ」
商いにて、山西省太谷県まで足を運んだか、ほかに目的はあった。
すでに37歳の壮年。姓は李、諱(本名)は飛羽、字(あざな)は能然、後に「神拳李能然公」と呼ばれる人である。
商用も済まし、さっそく戴龍邦公を訪ねることにした。会ってみると穏やかな話しぶりで覇気も見られず、動作もぎこちなかった。府に落ちず家路についたが、よく考えると立ち振舞いに優雅さがあった。後日、人を立て改めて入門したのである。
かねてより、清朝禁武令下「心意拳を外に伝えるべからず、只一族にのみに伝えよ」と口を酸っぱくいっていた。戴公はこの新しい異姓の者の入門を婉曲に断るつもりだった。
2年が経過した、教えたれたのは五行拳の1行、すなわち劈拳と連環拳の型半路だけだった。しかし、不満に思うことはなかった。
戴公は、考え込むことが多くなった。異姓の入門者に至誠を感じ、その非凡なる才能も既に見抜いていた。武術を伝授しようとは思うが、踏み切れずにいた。
戴公の母上が80歳の誕生日を迎えた。彼女は拳理に深く、祝いの席で一同は拳法を演ずるのが恒例であった。
李能然師はただ連環拳の型のを半路を演じたのみだった。
母上は尋ねた
「なぜ、半路しか練らない?」
「これだけしか学んでいません」
母上は戴公にさとした。
「此人学有2年久、所教者甚少、看来到是忠誠(?僕貫)、可以将此道理、用心教授之(拳意述真、台北・中華武術出版社1970年版引用)
この人はすでに2年も練習してるのに、これだけではあまりにも少ない。見れば誠実でぼくとつな人柄ではないか。もっと心をくだいて道理を教授するがよい」
自分の目に間違いがなかったことに確信し、抱拳にて膝まずいた。そして、立ち上がり伝授を宣言した。前代未聞の出来事に一同はどよめいた。
日を改めて、拝師式を行い戴公は郭維漢太師に李師を教授するよう命じた。また、戴公、戴文雄太師は郭維漢太師、戴文量太師以外の者がいる時は決して教授しなかった。それ以外は教授した。
苦労人の戴公は、李師が他人を凌駕してしまうのは分かっていた。異姓の者には風当たりが強いであろう。ただ、余計な苦労をさせたくない、それだけであった。
ある日、李師の練拳を眺めていると戴公はふと、師の曹継武公が頭に浮かんだ。そばには、同志馬学礼公もいた。師は腰掛け茶を喫し目を細めいった。
「伝人を選ぶとゆうのは、良師を探すのと同じくらい困難じゃ」
2人を見つめ満足そうだった。
「無不随心所欲、手到功成
(心の欲するままに動きつつ、手はおのずから到る。)李師よ、拳は大成した。後は自分で練るがよい」
李老師は47歳になっていた。異姓の者への教授に、師の風当たりの強いことは知っていた。
「本来、私が学べるものではないのに、どうお礼を申せばよいか」
「有功労者可教、有義気者可教、有道徳者可教(功労ある者には教え、義ある者には教え、道徳ある者には教える)」
と、戴公はにこやかに答えるのみだった。

李老師は戴家の武術を伝える気はなかった。戴家の武術が外に漏れなければ、師の顔は立つ。何より「義理」が大切だったのだ。
しかし、武林ではささやかれた。あの「拳があるとは聞くが誰も見たことがない」と言われる戴家から異姓の門人が出た。しかも神業の域に達しているとか?知らぬのは、本人だけ。
最近、しばしば李老師に教えをこう者がおり閉口していた。婉曲に断っているつもりであるが、人を立ててまで入門してくるのだ。そのうち飽きるであろうとも思うが、去る様子もない。
それなり見識のある者に見えるハズだか?
ある日、戴家の門を叩いた自分に重なることに気づいた。考えた末、「丹田功を伝えない」ことにした。世の中や後世の人が、李師は戴家武術を学べなかったのであろう、と言いうのは李師の本意とする所であった。ただ、「義理」を守りたかった。
丹田功を伝えない以外は、かつての師と同じく真心をもって臨んだ。また、師の気持ちを察し、弟子も「形意門」と表記するようになった。

参考文献、きみはもう「拳意述真」を読んだか、笠尾恭二著、BABジャパン
武術2002春号、戴氏祖傳六合心意拳の起源及び形成、霍永利老師著、福昌堂(一部参考)
エピローグ
甲氏はつねに李能然老師の腕を試そうとねらっていた。
先生が身を起こすと、甲氏はつと先生の背後にまわり、不意をついて、がっと抱きかかえ、力任せにもちあげようとした。
しかし、甲氏が両手を伸ばした瞬間、すでに甲氏の体は空中に浮き上がり、天井に頭がぶつかるほどだった。甲氏の体は再び落下し、両足が地上に着いてそのまま倒れることなく直立していた。
「まるで呪術にかかったかのようだ」
甲氏が不思議がると、李先生は言った。
「呪術ではない。これが拳術における上乗神化の功だ。その働きの神妙なること、見ようとしても見えず聞こうとしても聞こえない。とうてい貴方の知るところではないのだ」
当時の人々はついに「神拳李能然」とよんだ。年80余年で、椅子に端座したまま一笑して逝った。
(孫録堂師著・拳意述真)
エピローグ~君はもう拳意述真を読んだか、BABジャパン引用





Re: 陰陽五行説と戴氏心意拳 投稿者:k 投稿日:2013年 4月15日(月)18時54分55秒 返信・引用


うさぎさんへ

> 私は、陰陽五行説の理解なしには戴氏心意拳を学んでいることにはならないと思っています。一見、科学的といわれる他の理論を持ってきても、それは戴氏心意拳を外側から見た評論家的な解釈であったり、伝統的なものの新解釈であったりするからです。

まぁ、色々なアプローチがあると言うことで大らかに受け止めてもらえればと思います。

> 》「元々非科学的なものが道教版陰陽五行説になり、更にいかがわしくなった」(霍永利 談)
> 確かにその通りですよね。様々な宗教、学問、武道には、いかがわしいものがあり、いかがわしいものなのか、そうでないかは、私たち地震が峻別していかなければなりません。陰陽は元々は、月と太陽、五行とは、木火土金水ですから、自然の法則性、関係性ををあらわした、古代の自然科学であるはずです。人間もその自然の中にあり、武術もまたそうであると考えているのだと思っています。

霍先生とお話ししたのは大分前のことなのですが、「非科学的」と言う意味は、現代科学に比べて説得力に欠ける と言う様なニュアンスだったのではないかと思います。また、「いかがわしい」というのは「戴家の道教の一部として取り入得られたとき戴家の道教独自の理論だと言うことを強調する為に本来の五行説とは違った表現になった」と言った様な意味だったと思います。私が「戴家の道教版陰陽五行説とはどんな思想なのですか」とお聞きしたところ、「それは解らない」と言うことでした(^_^;)。ただ、当時の中国人の性格からして「他の思想の影響を受けている(取り入れている)ことを隠し(もし文献が残っているとすれば)あくまでも道教独自の思想として記述したはずた。」と言った様なことだったと思います。

この掲示板が王英海先生の流れを汲むものであることは承知しております。
「違う系統、違った解釈からの投稿も何か参考になることがあるかもしれない」と思っての投稿なのですが、「不要な混乱を招く」と言う考え方もあると思います。

個人的には私(と場合によっては霍先生)の意見も聞いて頂きたいのですが、管理人の方が「あらし」だと感じられるのでしたならば、その旨投稿して頂ければ、以後私の投稿は自重したいと思います。





言葉 投稿者:うさぎ 投稿日:2013年 4月15日(月)20時52分19秒 返信・引用


kさんへ 私なりの信念を表現したかったために、きつい言葉になってしまいました。すみません。気にされないしょうにしてください。kさんは、同じ戴氏心意拳を学ぶ拳友(年上ですので失礼かもしれませんが)と思っておりますのでこれからもよろしくお願いします。この掲示板でもkさんの意見を楽しみにしている人が多いと思います。掲示板にもどしどしご投稿をお願いします。





戴氏の歴史 投稿者:うさぎ 投稿日:2013年 4月15日(月)22時38分29秒 返信・引用


戴氏の歴史については、形意拳側からの歴史については以前からよく発表されていて、日本にも翻訳されています。
戴氏側からの歴史については、中国国内ではここ数年多くなってってきています。いろいろ論争が出てきたりもしています。私も興味がありますが、私の場合は、技術的なことに時間を費やして、歴史研究は薄いと感じていますし、私より有能な研究者はこれからいくらも出てきてくることと思います。


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