陰陽説と五行説 投稿者:土佐の川えび 投稿日:2013年 4月18日(木)00時11分38秒 返信・引用
> No.385[元記事へ]
うさぎさんへのお返事です。
しかし、それら非科学的なものは、やはり異端です。
武術の場合、熟練すると非科学的に見えてしまうので難しいと感じてしまいます。
昔日の果たし合いの達人の突きは、「強く打っているように見えない」とよく言われます。
また、公式ブログの「ゆっくりの中にある早さ」にて、ウサギさんや周りの方は「ゆっくりの中にある早さを実感できるような今回の講習会になればなと思ってます」
「太極拳って早いんですね」
と、フツーに語ってますがついて行けない感もあります。「静中有動、動中有静」ですね。
よく分からぬ所ですが、周りの方もレベルが高い様ですので、参考に乗せておきます。
※~故書之以告同志。
拳術至練虚合道、是将真意
化到至虚至無之境。
不動之時、内中寂然、空虚無一動其心。至忽然有不測之、(?イエ-ドモ)不見不聞、而能覚而避之。
「中庸」云、「至誠之道」。~
~ゆえにこれを記して同志の人々にお伝えする次第である。
拳術は虚を練って道と合するに至る。これはまさに、真意が化して至虚、至無の境に達したのである。
不動となったとき、内中は寂然として空虚となり、ひとつもその心を動かすものはない。もしも忽然として不測の事態が起きても、見ざる聞かざるのうちにこれを察知して避けることができる。
「中庸」にいう「至誠の道は事前に知ることができる」とはこの意味である。~
※からは、「君はもう『拳意述真』をよんだか」笠尾恭二著、BABジャパンの引用です(これは、かなりオススメの本です。表紙には「原典復刻、全文和訳、完全解説!これが近代内家拳に伝わる・拳意述真(究極の極意書)だ!」とあります)
孫禄堂老師は秦末民国年代の方にかかわらず、極意を公開している所が興味深い。
「中庸」にいう「至誠の道は事前に知ることができる」は、中庸第24章の「至誠之道、可以前知」の様です。
陰陽五行説について? 投稿者:土佐の光龍 投稿日:2013年 4月18日(木)00時30分11秒 返信・引用
うさぎさんへ
コメント、ありがとうございます。
投稿が前後してしまいました。すみません。
私も、うさぎさんと同意見です。只、不老不死等、今で言う非科学的な事も、その時代には科学的な事として、真剣に取り組んでいたかもしれません?
今では遺伝子工学も進んで、老化が進む遺伝子が見付かるかも!? 見付かっていても、おかしくないかも?なんて思います。
陰陽説と五行説 投稿者:土佐の光龍 投稿日:2013年 4月18日(木)01時03分10秒 返信・引用
土佐の川えびさんへ
太極拳等の速さについて、一言だけコメントします。
実際のスピードは遅くても、速いと錯覚してしまう速さも有ると思います。それと、ファンソンから生み出される、実践の時に生み出されるスピードの速さ、その二種類があるかと思います。
陰陽説と五行説 投稿者:土佐の川えび 投稿日:2013年 4月18日(木)12時12分1秒 返信・引用
> No.389[元記事へ]
土佐の光龍さんへのお返事です。
こ、これは、ありがとうございます。師匠…。
> 実際のスピードは遅くても、速いと錯覚してしまう速さも有ると思います。それと、ファンソンから生み出される、実践の時に生み出されるスピードの速さ、その二種類があるかと思います。
太極拳を習う機会を得ましたが、そこまで到りませんでした。ファンソンの「ソン」の説明もありましたが、よく分からずしかも忘れてしまいました。その団体の高知県でトップの方ですが、いきなり何気なく核心を話しスッと元の練習に戻ると言った感じでした。
初学者には、丹田やら気という言葉をつかうのを嫌ってました。2度目にお会いした時、例のごとくの様子でポン(パン)勁の実演がありました。私を突き飛ばすのではなく、その方の腕を私が触れ聴勁のように(磨手のような)エネルギーの伝播を感じるという物です。外見上は、動きは見えないハズです。今、思えば「静中有動」かも知れません。
ふつう、老師と呼ぶのが自然かもしれませんが、先生、○○さんや理事と呼ばれてました。
女性が多く、主観的に浮いているかな?と思ってました。太極拳をお休みし、こっそりコチラに浮気し今に到ってます。
Re: 陰陽説と五行説 投稿者:土佐の光龍 投稿日:2013年 4月18日(木)15時00分31秒 返信・引用
土佐の川えびさんへのお返事です。
>
> こ、これは、ありがとうございます。師匠…。
いえいえ、師匠と呼ばれるほどの、知識も技術も功力も無いですよ。只、少しだけ戴氏心意拳を学んだ時間が永いだけです。私は一緒に成長していければいいな、と思っています。
>
> 太極拳を習う機会を得ましたが、そこまで到りませんでした。ファンソンの「ソン」の説明もありましたが、よく分からずしかも忘れてしまいました。その団体の高知県でトップの方ですが、いきなり何気なく核心を話しスッと元の練習に戻ると言った感じでした。
> 初学者には、丹田やら気という言葉をつかうのを嫌ってました。2度目にお会いした時、例のごとくの様子でポン(パン)勁の実演がありました。私を突き飛ばすのではなく、その方の腕を私が触れ聴勁のように(磨手のような)エネルギーの伝播を感じるという物です。外見上は、動きは見えないハズです。今、思えば「静中有動」かも知れません。
私も武道、武術歴は有り、3年間剣道を、1年弱太極拳を学びました。その時は簡化24式太極拳と推手を少し学びました。
> ふつう、老師と呼ぶのが自然かもしれませんが、先生、○○さんや理事と呼ばれてました。
日本語で先生は中国語で老師に当たり、中国語で先生は日本語で〇〇さんに当たると訊きましたからおかしくはないと思います。
女性が多く、主観的に浮いているかな?と思ってました。太極拳をお休みし、こっそりコチラに浮気し今に到ってます。
もしかして、私が通っていた団体かもしれません。
あなたが学びに来る以前に、私が通っていた団体に所属する女性の方が、学びに来られてました。家庭の事情で来られなくなりましたが。戴氏心意拳は太極拳を学んでいる方の興味を引くみたいですね。それから、韓氏意拳を学んでいる方も見学に来ていました。
戴氏心意拳の速さについての錯覚は、太極拳で使っている物、以外も使っているかもしれません。
これ以上は私では荷が重いので、うさぎさんにバトンを渡したいと思います。
科学的なもの 投稿者:うさぎ 投稿日:2013年 4月18日(木)22時20分33秒 返信・引用
ほとんどの医者は、漢方ってきらいます。医学部の単位にも、漢方や中医学は必修としてはほとんどなく、選択科目として受講する人たちがわずかにいるだけと聞きます。
科学的でないからという理由でほとんどの医者は毛嫌い、むしろ蔑んでと言った方が正しいのかもしれませんが、使いたがらない。実際に漢方は科学的ではないが、実際にはよく効く。私たちは、科学的と呼ばれている方法だけが正しいという幻想からは解き放たなければならないのだと思っています。
日本人は悲しいことを、「悲しい」という言葉によって伝えることができるように、韓国人、アメリカ人、中国人…と言った人たちは、別の言葉によって、悲しいということを伝えることができる。それぞれの言葉が違うだけです。
頭痛には、風邪で良く効くと言われる、葛根湯を使う時があります。実際によく効きます。西洋医学の薬のような捉え方で、頭痛の時に、すべて葛根湯を使って何パーセント効くのかデーターを取れば、かなり悪い成績になってしまいます。科学的に実証してしまえば、やっぱり漢方って効かない。非科学的なもので、民間の人たちが、聞くんだろうと妄想しているにしかすぎない。フラボノ効果ぐらいのものでしかないんだということになってしまうわけです。
漢方は、症状ではなく証というもので、病気を判断します。方法が違うのです。筋肉がこっていて、寒気がする、そして頭の表面がズキズキするような頭痛に対しては、気の変調からくる病として見、葛根湯がよく効きます。同じ症状の頭痛でも、たいりょくはあまりない、肩こりなどしたことがないとかいう人には桂枝湯がよく効きます。頭に帽子をかぶったような痛み、締め付けられるような痛みに対しては、水の代謝の悪さ、さばききれない水が循環を悪くしていると捉え、五令散などの水をさばいて行く薬を飲むとききます。普段から顔色が悪い人の頭痛の場合は、血の病からくる頭痛ということで、月経関連の薬である、当帰芍薬散や桂枝茯苓丸、加味逍遥散を使います。もちろんこの三種類も、証の違いによって、使い分けをするわけです。
頭痛の場合は、このように、気血水の考え方で、捉える方法を用いますので、わかりやすいかと思い例にあげました。漢方薬の話になりましたが、薬でなくても、自分の今現在での証がわかってくると、どのような食事や生活、練功が必要なのかがわかってきます。
雨が降るなど天気が悪いと、頭痛がするとか、体調がすぐれない、元気が出ないという人は、温かいお茶とか、生姜などは少し多めにとっていいですし、練功では発汗作用のある発勁動作などを多く含んだ練習は効果的です。
話を戻しましょう。科学的なものと呼ばれる実証の仕方を、私たちは、再検証しなければならないというのは、「頭痛には葛根湯」は非科学的なものです。しかし、しっかり証を見ていける人が、正しい薬を処方して行けば、漢方薬は非常に効果のある薬として実証されるわけです。証を見ていくためには、その基礎となっている陰陽五行という方法を学ばなければならないわけです。
科学的といわれるものは、実証されたものしか認めないような硬直したものではなく、多くの言語で真実を伝えられるように、分析的な現代科学だけでなく、陰陽五行のような方法によっても科学が存在しているということを見直さなければならないのだと思っています。
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