ひな菊の丘から

ちいさな奇跡

ブルーグラス八日市で、ひとつ書いてなかったことを追記。
出番少し前に、テーブル席で友人と喋っていた時、親方しんちゃんから声がかかった。「よーこさん、ちょっと来て。」
カウンターの前に一人のお客さま、さっきステージ前に座って見ておられた方。「この人な、今日初めて来はってんけど、なんと!清水さんの小中高の同級生やねんて。」ちょうど、前の日に某SNSで、彼がワインを差し入れてくれたことが出てきて、会場の蔵実に着いた時、「湯水も来てたよなあ」って話をしていたところだったので、ものすごく驚いた。

4年前に亡くなった、長浜の弟(ニセ)は皆から「湯水」と呼ばれていた。理由を知らずに呼んでいる人もいたが、まあそれは会った時に聞いていただければ。彼との付き合いは、そのあだ名が付いた1983年のアメリカツアーの少し前から。こちらも既に彼岸の人となってしまった、大学の先輩でバンド仲間の津田さんから紹介された。当時彼は近大生でギターを弾いていた。津田さんの米原のお宅には色んな人が週末に集まっては大騒ぎをしていたっけ。

アメリカツアーの最中、ほぼ行動を共にしていたため、帰国後もごく近しくなってしまい、夜中に2時間も恋愛相談の電話を受けたり、あちこち遊びに行ったり、一度などは家出して、これから新居になる私と相方の住処に1週間ほど居候していたこともあった。今、家にあるレコード棚は彼の手作り、もう30年以上前から我が家に居座っている。
しばらく音楽から遠ざかっていた時期があったけど、滋賀でバンドに入れてもらってフィドルを弾いたり、あちこちのライブに顔を出したりして、少しずつ皆と旧交を温め合っていた。デイジーヒルのライブにも何度か来てくれた。病気が見つかってからも、身体と相談しながら時々顔を出して、この八日市のイベントにも何度か参加していた。

そのお客さまは、ゴルフの帰りで、本当に初めてこの店に来られて、世間話に親方が、「どちらから来られたんですか?」と聞いたところ、「長浜です。」「長浜と言えば、駅前に清水酒店ってありますよね。」「あ、同級生の店です。」という話になったのだそうだ。しかも、お客さまは歯医者さんで、地元で開業されていて、晩年の湯水のかかりつけだったとか。後日奥さまのkyこちゃんに聞いたら、「亡くなるちょっと前まで送迎してました。地元で人気のある歯医者さんですよ。」とのことだった。

なんとなく、湯水がその方を連れてきたのかな、という気がしている。そして恐らく彼も、2階のステージ前で「かわりばえせんメンバーやなあ」と思いながら聴いていたんじゃないか、と思う。

1983年の彼と私とにゃんことK杉さん



同じく1983年のツーショット



写真が好きで大きなカメラで撮ってくれたライブの写真

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