ひな菊の丘から

初!南蛮文化館

お天気は良し、散歩に行こうと思っていたら、相方からお使いを頼まれた。そういえば銀行へ行く用事もあったし、隣町までは歩こう、いや散歩には足らんから、三国まで行くか。そんな事をかんがえていたら、ふと思いついた。まだ行ったことがない美術館が中津の駅前にある。途中でしんどなったら電車に乗っちゃおう、中津から梅田はすぐやから、梅田でウロウロして電車で帰ろう。

神崎川を渡った。ここまではまあ時々行ってる。


十三までは高架の横の道をてくてく。おっ!ヒミツの会合に使う店。


十三を過ぎる。このお店の息子さん、子ども会でお世話したな。



十三の渡し、ならぬ十三大橋から梅田方面をのぞむ


もうここまで来たら歩かなしゃあない。よし、ここだ。



見つけた。


この時点で私はまだ気づいていなかった。今月の展示はこれなんだ、とか思ってた。



入口へのアプローチもちょっと隠れ家的で素敵だ。



受付でお金を払い、中に入る。すぐに戻って受付の方に聞く。「写真は撮ってもいいのでしょうか?」
エントランスの部分はOK、奥のドアの向こうは美術品が直接展示されているものもあるのでNGとのこと。これはOKなものたち。
キリシタン大名の高山右近の像



扉の向こうが写ってしまうのは不可抗力だよね、と管理者の女性が言われたので。ちょっとズルかなあ。



詳しい説明書きはなかったが、天正遣欧使節を描いたものと思われる。楽器はリュートとヴィオラの祖先?ヴィオラ・ダモーレかヴィオラ・デ・アルコかだろうと詳しい人に教えてもらった。


この母子像も日本風ではあるけど、キリストとマリアかなあ。



これまでのポスターが飾られてた。





入って右手の小部屋



そしてここからは写真がないので文章で。まず、ステンドグラスが3点、後でわかったのだが、真ん中のものは正しく設置されているのに両脇のは裏返しになっているそうだ。でも違和感があまりないのと元に戻すのはたいへんとのことでそのままにしてある。

キリスト教関連の展示、絵画や像も並んでいた。竹筒に入った状態で発見された『悲しみのマリア像』は縦横に入った折り目が痛々しい。キリストを刺繍で表現した掛け軸は、日本人ぽく見えた。12使徒の額縁をはじめ、螺鈿、象嵌が多用されている。螺鈿と象嵌の違いはいまだによくわからないけど。

聖龕(せいがん)とは厨子のようなものなのかな、扉を開けると母子像が現れる。桃山時代に輸出されていたそうだ。

日本製の十字架も展示されており、説明によると、細川ガラシャ夫人の持ち物で、エリザベスサンダーホームの沢田美喜さんが所蔵されていたようだ。他にも日本製の象嵌の十字架があり、当時の日本にはかなりキリスト教が広まっているような印象があった。

大きなつづらのようなものがいくつかあった。大櫃というそうで、鳥獣草花蒔絵螺鈿大櫃、とあった。大きな展示物もひとつひとつに詳しく説明書きがあるわけではなく、そのあたりが個人所蔵物を集めた私立美術館の特徴になっているのかもしれない。

印籠や馬具鎧など、様々なものに南蛮人の蒔絵が施されていたり、刀の鍔には南蛮船があったり、と興味深いものがいくつもあった。東インド会社の鐘、なんてのもあった。そうそう、表記は聖フランシスコ・サビエル、と書かれていたので、よしよし、と思ったのだった。

二階のメインは屏風で、時代的には少し違う(ポルトガル人が種子島に漂着した1543年から鎖国が始まった1639年の間に宣教師や商人らがもたらした文化等を南蛮文化と称するらしい。)が、洛中洛外屏風や、賤ケ岳合戦屏風などもあったが、重要文化財の南蛮屏風が圧巻だった。これもあとで管理者の方から説明を受けて、あれこれ納得したのだが、当初、狩野派の作品と思われていたのが、どうも長谷川等伯の作のようだ、ということになり、等伯は堺に赴き、実際に南蛮船の荷下ろしや、街中の様子を見聞きし、それに基づいて書いてあるので、細かいところまで正確である。確かに、船の上から孔雀の羽の包みを降ろす人がいて、それを小舟の中で受け取る人(どちらも有色人種と思われる)がいる、などという表現は、見た人でないと書けないのではないかと思う。町の中でかごに入った孔雀や繋がれていない猪も描かれていたり、肌の色が微妙に違ったり、というあたりは私も見た時細かいなあ、と思ったのだった。

万国人物図・日本、世界地図屏風と外国十二都市図・世界地図屏風もおもしろかった。ひらがなで書いてある国名(と思しきもの)が、

ろそん、かうち、あひりか、まかはる、しやむ、あめりか、きねいや、ろれん、長人、強盗島(どこ?)、しやは、へるしや、たかさご、らう、るんぢ、かなりん、ふらしる、小人国、大明、朝鮮、かふり、さまたら、あるめいにや、いすはにや、おらんかい、ひりたにや、こんとうりや、たあにや、

ここからが12都市かなあ?地名と一緒に衣装を着た男女が書いてあった。日本のところは源氏物語みたいな装束。
うむかうり、ほるとかる、日本、ほろうにや、韃靼、さも、もすかうひや、つうるこ、いるらんて、いんけれす、せるまにや、おらんた 横に写本のようなものが展示されていたので、それを見本に書いたのかな。

黄金の十字架もあった。ずいぶん長い時間いたようで、出る時に管理者の女性(大阪のおばちゃん、って感じでとても話好き、でも詳しいこともご存じだし、歴史的な年代もきっちり覚えておられた。)にちょっとご挨拶したら、いっぱいいろんな裏話をしてくださって(長谷川等伯が、堺で見てきた話などはそこから。狩野派は長崎に行ってるはずだ、とかステンドグラスの逆向きの話も。)また来ようと思った。

出てすぐのケースにはこれが。



中津のガード下を通って、梅田に出ようとしていたら、突然足元から煙が!



あわや火事か!ドライアイスだった。
無事梅田到着、三番街で手芸用品を買って電車で帰宅。
片道だけだけど13,736歩。

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