ひな菊の丘から

大阪の高低差@真田丸

久しぶりに教科書を開いた。



暑かったりお天気が悪かったり、なかなか重いお尻が上がらなかったので、高低差探検にはずっと行けていなかった。冬とはいえとても穏やかで、いいお天気、しかもまだ正月休み中だったので、思い立ち相方を誘って出かけてみた。
何気なく乗った環状線、同じドアからギターを持った女性が乗り込んできた。あれ?なんと!音楽仲間のユキちゃんだった。


リアルで会うのは久しぶり。積もる話をあれこれして、私たちの写真も撮ってもらって、生駒までバン練に向かう彼女と別れて



降り立ったのはこちら。もしかして初めて降りたかも。


今日の探訪は、真田丸周辺。まずは駅前の石碑を。


道の両脇に『つる屋』『ます屋』という茶店があったので、二軒茶屋というらしい。


いろんな会館があるものだなあ。


教科書(実はガイドブック)にはスーパー玉出がある、と書いてあった場所は更地となり、何が建つのかな。このあたり緩やかなカーブになっていて、もとは川が流れていたらしい。


わ!サクラクレパスだ!と思って写真撮ったけど、本社は森ノ宮だし工場は東大阪だし、ここは何だろう?


いぬの幼稚園、らしい。ロイヤルホームセンターの建物にあった。


まずはこちらへ向かう。少し高いところにある玉造稲荷神社


とても段差の薄い階段を上る。


かつて、なにわの伝統野菜について少し勉強したことがあるので、この表示が引っかかった。


神社のゆるキャラになっているらしい。



こちらのお社には色々見るものがあった。まずは秀頼公の奉納された鳥居の上のところ。


秀頼公の像


この石に毛利家の刻印があるらしい、けどわからなかった。


この近所で名水が汲まれた、ということらしい。


玉造、の地名の元になった勾玉(曲玉)の資料館は予約制のため入れず。



本殿を横から撮る


これ、ちょっと微妙な看板。


よくわからないものの聖徳太子とゆかりがあるらしい『偲び石』


聖徳太子の伝説の


栗の木、まさかね。


正門から入るとこんな感じ、まだ三が日の中だったので、お詣りに来る人たちで列ができていた。


そこから降りると、高低差が現れた。


道の真ん中に木


この木もご神木らしい。


高低差は続く



大阪女学院の校舎とフェンス



そこを南に向くと急な坂。坂の下が、かつての清水谷で、豊臣時代には南惣構堀があり、その先に大阪城の守りのために作られたのが真田丸といわれている。


もう一度坂を上る。


この辺りは寺の密集地


右手のフェンスの向こうが明星学園で、実は諸説ある中で有力なのが、ここのグラウンドに真田丸があった、という説。資料が残っていないので詳しいことがなかなかわからないらしい。


この向こうなんやろなあ。


興徳寺の准低観音


顕彰碑


大應寺には木村兼葭堂の墓がある。でもこの人のことは全く知らない。



肝心の真田親子の供養のために建てられた心眼寺は見られなかったので、裏に回る。


しゃれた墓所


しばらくお寺ばかり見てたので、向こうにある高層ビルが新鮮


大阪のマンホール


教科書によると抜け道があるはずだったのだが、通り抜けできなかったので、真田山小の脇を通って陸軍墓地へ。


ここにも高低差


ウォーリーを探せ


このコース最後のポイントは三光神社。その境内にある、真田の抜け穴跡、大阪城まで続いてたという説もあるらしい。



真田信繁(幸村)の像


ここのお詣りの人は少なかった。


おや?鳥居が二重になってる?実は片側だけ。第二次世界大戦の大阪大空襲で破壊されたそうだ。



六文銭とお別れし、お腹が空いたのでランチに向かう。



さて、次はどこを探索しようか。
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